悪戯な魔法使い

「では……やってみます」

 ろうそくに向かって両手をかざす。イスに浅く座り直し、気力を奮い立たせて一点集中だ。全身に巡る魔力を手のひらに込めて、込めて。それはもう、込めまくる。

(今日こそできる! 私はできる!)

 だがエリーの意気込みも虚しく、魔力は一向に感じられない。代わりに吹き出た汗が一筋、たらりと頬を伝う。

「下手くそ」

 エリーはイスにぐったりともたれかかった。無理もない。エリーの生家は魔法道具を扱う小さな商いを営んでおり、エリー自身、学院に入学するまでほとんど魔法を使ったことがなかった。

 それでもこの学院に入学すると決めたのは、ナルムクツェがここで講師をしていると聞いたからである。エリーはどうしてもナルムクツェとの結婚を諦められなかったのだ。そして死にものぐるいで勉強した結果、奇跡的に入学試験に受かった。今となれば受かってしまった、と言うべきなのかもしれない。

「……このままじゃ進級ヤバいですか」

「まあ、ヤバいな」

 ナルムクツェは席を立つと、部屋の隅にある小さな丸テーブルの近くで煙草に火をつけた。
 形の良い唇の間に煙草をくわえ、ふっと息を吐く。立ったまま窓の外を見るその姿は正に美丈夫だ。ナルムクツェが教室に入っただけで、女生徒が色めき立つのもよく分かる。だからこそ、エリーにはライバルが多かった。

 いや、むしろライバルと呼べるのかさえも疑問である。他にも理由があったとはいえ、ナルムクツェはエリーとの結婚が嫌で家を出たのだ。初めから、恋愛対象外と見なされていると考えてまず間違いないだろう。ライバル達とは違い、エリーはスタート地点にさえ立てていない。

 ナルムクツェは魔術師の名門一族の出身で、エリートコースを地で行き、皆が憧れるような容姿も兼ね備えている。条件の良い女性が常に寄ってくるナルムクツェが、見た目も中身も出自も平凡な何の特徴もないエリーに魅力を感じないのは当然だ。

 その上、ほんの少し触れることさえ拒否される始末。そのうち、一方的に婚約破棄でもされるのではないだろうか。身分違いの婚約なだけに、今のナルムクツェが理由を付ければすんなりと意見が通りそうだ。それだけは絶対に避けたい。

 エリーはテーブルに突っ伏した。昼間にあんなことがあったからこそ、今日はちゃんと聞きたかった。エリーには、どうしてもナルムクツェに聞いて確かめたいことがあったのだ。だから今日の課題は何とかして成功させたかった。そうすれば、少しは格好がつくだけに。

「今日はもう帰れ」

 腕に頭を乗せたまま、ナルムクツェの方を見る。彼は丸テーブルに置かれた灰皿に煙草の火を押し付けた所だった。エリーの視線など気にも留めていない。今は一刻も早くエリーを寮に帰したいのだろう。
 
 それもそうだ。ナルムクツェにとって、エリーはやっかいな存在。進級が危うくなければ、定期的に自分の執務室に呼んで、わざわざマンツーマンのレッスンまでして関わろうとしない。
 魔法がからきし駄目なエリーのせいで、毎回消灯時間ギリギリまで長引いているが、ナルムクツェからすれば早く終わらせたいに決まっている。

「3日後にまたみるから、その時までにやっとけよ」

 (スパルタ過ぎ! そんなにすぐにできる訳ないでしょ、今だってピクリとも炎を動かせなかったんだから)

 またしても心の中で悪態をつく。ナルムクツェの授業は厳しいことでも有名だった。また次のレッスンでも難しい課題を押し付けられるに違いない。
 今後も情けない理由でここに夜な夜な通うことになるだろう自分の姿を思い浮かべながら、エリーは黙って立ち上がった。

 ナルムクツェが執務室のドアを開ける。

「寄り道すんなよ」

「寮まで近いので大丈夫です。それにいつものことなので」

 執務室を一歩出ると、廊下の窓から見える夜空に白い満月が浮かんでいた。月から澄んだ光が丸く滲み出ていて、神秘的な輝きを放っている。そういえば、あの日の夜も満月だった。

 あれは、2年前。エリーが16歳の誕生日を迎えた夜のこと。眠りにつこうとベッドに入ったその時、コツコツと窓を叩く音がしたので振り向くと、何とそこにはナルムクツェがいたのだ。
 6年ぶりの予期せぬ再会だった。
 彼は目深に被っていた黒いローブのフードを脱ぐと、美しく成長した姿をエリーの前に晒し窓を開けるよう促した。そして、彼は確かにこう言ったのである。

『時が来れば、必ず迎えに来る』

 迎えに来る、の意味が分からないほどエリーも野暮ではない。言葉の意味を噛み締めながら、月明かりに照らされたナルムクツェの美しさに見入っていると、彼はエリーの返事も聞かずにすぐに行ってしまった。

 ほんの少しの逢瀬だったが、何の音沙汰もなかったナルムクツェが突然現れ、自分と結婚すると告げてくれたのだ。薄れつつあった恋心が、その時に爆発的に再燃したのは言うまでもない。
 そこで暴走してしまったエリーは夢中で勉強し、ナルムクツェを追いかけてこの学院に昨年入学したという訳だ。

 入学する前は、ナルムクツェとの甘酸っぱい学生生活を想像していた。きっと、自分の顔を見て驚くだろう、そしてあわよくば、俺を追いかけて来たのか、可愛いやつめ、などと言ってくれるかもしれないと期待に胸を膨らませていたのである。

 だが現実は180度違った。ナルムクツェはエリーを見ても何の反応もしなかった。勿論、特別な言葉もない。こちらから話かけても、「へえ」「そう」としか言わず、感動的な再会のかの字もなかった。その後のナルムクツェの態度は誰が見ても明らかだ。

 だから、エリーは確かめたいのである。あの夜の言葉を今でも覚えていますか、と。ナルムクツェに二人きりでレッスンをして貰っているのをいいことに、その機会を常に伺っているのだ。そして今日も撃沈し、執務室を後にするのである。

「それでは、おやすみなさい。ナルムクツェ先生」

「ああ、おやすみ」

 ナルムクツェはいつも、お互いが見えなくなるまで見送ってくれる。背中に向けられる想い人からの視線をひしひしと感じながら、エリーは一人、帰路についた。

 

 
 


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