千秋先生は極甘彼氏。

 
 千秋先生が連れてきてくれた場所は青山にある隠れ家のようなお店だった。
 看板も控えめで店は地下にあるせいで知らない人なら素通りしてしまうような場所だ。

 店はまだ開店前だったようだけど、千秋先生の知り合いらしく「奥へどうぞ」と通してくれた。
 四人掛けのテーブル席が2席と二人掛けのテーブル席が2つ。
 奥に個室がひとつ。カウンターが7席とこじんまりしたお店だった。

 「飲めるならどうぞ」
 
 千秋先生はテーブルにメニューを広げてくれた。文字は手書きらしく筆で書かれた文字が時々掠れていてそれがまた趣深かった。
 見たところ普通の居酒屋のようだけど、食材へのこだわりが強い店主らしくとても美味しいんだと千秋先生が説明してくれた。

 「あ、じゃあ生ビールを」
 「食事メニューは?夕食には少し早い?」
 「あ、いえ。実は11時前に食べて以降何も食べていなかったのでペコペコで…」

 その言葉を肯定するようにお腹がキュゥゥゥと鳴る。
 恥ずかしくて俯けば控えめな笑い声が聞こえてきた。

 「ごめんごめん。あまりにもさりげなく返事するからかわいいなって」
 
 か、かわ…っ!?

 驚いてフリーズしてしまった私に千秋先生は顔を逸らせた。肩が揺れているところを見ると遊ばれたらしい。

「ひ、ひどいです!」
「ごめんって」
「思ってないですよね?」
「思ってるよ」

 これ以上ないぐらい緊張しているのに冒頭から千秋先生の笑顔が炸裂しすぎて心臓がもたない。
 過呼吸というか酸欠になりそう。このまま息が止まってしまってもいいかも。そしたら人工呼吸してって黙れ私!

「じゃあ好きなもの頼んでいっぱい食べて。ここの料理美味しいから」

 ね、と言われて小さく頷いた。

(ね、って言った。ね、って!しかもちょっと首傾げた!くびっ!)

 表面上はなんとか取り繕っているけど内心は歓喜の嵐。花吹雪がビュンビュン舞っている。バレリーナのようにクルクル踊りたくなった。

 彼女がいなかっただけでも朗報なのに二人きりでしかもプライベートで食事ができるなんて私どんな徳を積んだのかな。

 は!もしかして。これは異動になってずっと頑張ってきた私への神様からのご褒美なのでは?

 私は切ってもらったばかりの前髪を指で整えながらメニューを見るふりしてにやけそうになる口元を必死で誤魔化した。

 
 
< 14 / 103 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop