千秋先生は極甘彼氏。
「仕方がないので特別に。特別に。大事なのでもう一回言います。特別に、柾哉さんのお父様に貸してあげます。私の宝物なのでちゃんと返してください」
眉を顰めた柾哉さんのお父様に記事をスクラップしたファイルを差し出した。ここに来る前に自宅に寄ってもらって鞄の中に忍ばせていた。きっと「外科医VS産業医」の対立になるとなんとなく想像がついたから。
せめて柾哉さんがどんな思いで現場に立っているか、職務についているのか知ってもらいたかった。
ちなみに、雑誌は保存用だ。データと紙とそれぞれ買ってデータの必要な場所だけ印刷する。そしてこんなファイルを作っているなど私は柾哉さんにも打ち明けていない秘密だ。今日この場で初披露するのは惜しいけど、出し惜しみをしている場合ではない。
「柾哉さんがどんな思いで産業医を目指したのか、考えたことありますか。ただの反抗心だとお思いですか?ちゃんと息子さんの姿を見てください。もう誰かにお世話をしてもらわないといけないほど、柾哉さんは小さくもないし弱くもない。思考も感情もある、ただの一人の人間です」
私はそのファイルを柾哉さんのお父様に持たせて見るように促した。そしてあらかじめ、一番最初に持ってきた、彼がなぜ産業医を目指したかインタビューを受けている記事を目で辿っている。
「…果穂、あれは?」
「柾哉さんの取材記事です。私の知る限りバックナンバーも全て取り寄せたのであれに全部詰まってるはずです」
目元を拭いながら柾哉さんに笑みを向ける。柾哉さんは驚き、目をまん丸にしたもののすぐにくしゃりと表情を歪めた。
「…本当にきみは。俺を喜ばせる天才だ」
「私の愛は重いんですよ」
柾哉さんが甘えるように抱きついてくる。由紀子さんと芳佳さんと目があって少し恥ずかしくなった。それでもふたりの表情は優しくて柔らかい。茅野さんだけがとても居心地悪そうにしていた。
「…すまなかった」
柾哉さんのお父さんがここでようやく頭を下げた。深々と下げた背中は丸くて小さく見える。柾哉さんのお父様は私のファイルを持ったまま両膝に手をついた。
「代々続く千秋の家系を柾哉に良い形で引き継ごうと躍起になっていたようだ。それが当然で使命だと思っていた。昔柾哉が“父さんのようになりたい”と言ってくれたことが嬉しくて、それが柾哉の幸せだと錯覚していたんだ。時間が経てば考えなど変わるはずなのに」
柾哉さんのお父様はどこか寂しげに目を伏せた。きっと彼も心のどこかで分かっていたのかもしれない。だけどそれを認められるほど感情は追いつかなかっただけで。
「…申し訳ないが、もう少しこれを借りていてもいいだろうか。情けないが、柾哉がこれほど私たち医療職のことを考えてくれていたとは思わなかった。ずっと目を背けて柾哉と話すことから逃げていただけかもしれないが」
「貸すのはいいですけど、せっかく目の前に本物がいるんですからちゃんと話してはいかがですか?いきなり話しにくいかもしれませんが、由紀子さんも芳佳さんもいますし」
ふたりをチラッと見ると二人は同じように苦笑しながらそれでも頷いてくれた。柾哉さんを見れば呆れているけどここで否定はできないのだろう。
「茅野さん、申し訳ないが今日は帰っていただけますか。後日私からお詫びに行きます」
柾哉さんのお父様は茅野さんに頭を下げる。茅野さんは顔を真っ赤にして千秋の家を出て行った。