スノードロップと紫苑の花
【マウント?】

🍦

太陽系の(あるじ)が最も盛んになる季節がやってきた。

湿気という魔物が去ってから間もなく、入れ替わるようにやってくる紫外線という魔物。

熱を帯びた大地が頭上からでなく足元からも攻めてくる。

この時期になると、毎年毎年同じことをいっている気がする。

去年より暑くない?と。

都内の河川敷で行われる花火大会。

映画を観に行った翌日、彼に誘われて行くことになった。

新しいのを買おうか迷ったけれど、エステにネイル、美容院を優先させたらお金が足りなかった。

だからお姉ちゃんにお願いして浴衣を借りることにした。

待ち合わせは15時に駅前の噴水。

朝から髪のセットやメイクをいつも以上に気合い入れて行ったら遅刻しそうになった。

時間はもう14:45だった。

「ごめん、ちょっと遅れるかも……」

すると、すぐに返事がきた。

「今日暑いし、人多いからゆっくりでいいよ」

こういうときに優しい人って安心する。

着慣れていない浴衣と履き慣れていない下駄で電車に乗る。

駅に着くと、待ち合わせの時間はすぎていた。

だけど、汗が気になる。
髪型もメイクも気になる。

トイレに行ってメイクを直そうとするも、女子トイレにはたくさん並んでいる。

遅刻確定だ。

申し訳ないと思いながらも、見窄(みすぼ)らしい姿で会うわけにはいかない。

メイクを直して彼のいる噴水前に向かう。

深い藍色のしじら織の浴衣は彼の小麦色の肌と綺麗に合わさり、大人の男性を感じさせた。

「ごめん、お待たせ」

怒っているかと思ったけれど、彼はそんな素振りすら見せず、

「紫苑ちゃん、めっちゃ似合ってる」

と言ってくれた。

「あ、ありがと」

予想していなかった角度からの言葉にドキッとした。

浴衣は家に3着あった。

白に水色の帯、紺に赤い帯、濃い紫と黄色の帯。

お姉ちゃんが当日白い浴衣を着ていくことになっていたので紺か紫の二択だったが、気分的に濃い紫を選んだ。

「慶永くんも似合っとるよ」

「あ、ありがとうございます」

なぜか敬語の彼。
少し照れた様子がちょっと可愛く見えた。

横並びで歩きながら河川敷まで向かう。

まだ花火が打ち上がるまで時間があるが、辺りには多くの人が場所を取るためブルーシートを敷いている。

都内の花火大会とだけあってすでに場所は限定されてきていた。

せっかくなら良いところで見たいという気持ちもあったけれど、正直彼と見られるならどこでも良かったので、打ち上がる場所から少し離れた場所に彼の持ってきた小さなシートを敷いた。

近くのコンビニで買い物をしようと駅の方まで戻ろうとすると、目の前から浴衣を着た女性がやってきた。

「あれ?慶永?」

猫のような可愛らしい顔をした女性。でも、彼のことを下の名前で呼ぶなんてどんな関係?

「やっぱ慶永だよね?」

「梨紗?」

梨紗って、あなたも下の名前で呼ぶ間柄なの?

「この前ぶりだね」

嬉しそうに彼の肩をポンポンと叩く彼女。
何この親密な関係。

ってかこの前ぶりって何?

「おう、そうだな」

「浴衣めっちゃ似合ってる!かっこいい!」

両手を後ろに回して彼の顔を覗き込む。
この人あざとくない?

「はいはい、ありがとう」

「つめたくない?」

何このカップルみたいな距離感。

胸の奥が激しく動揺している。

「本当に本気?」

(はし)なくよ声に出てしまった。

それを聞いた彼女に一瞥(いちべつ)されたが、それは私を敵対視している表情にも思えた。

「それ、会うたびに言われてる気がするんだが」

「そうだっけ?」

「ってか最近ずっとそんな感じだぞ」

「え〜そんなことないし〜」

見えない2人の空気感は私の介入を受け入れなかった。
横にいるのにすごく遠くにいる。
そんな複雑な感情に心がざわついた。

「ってかこの人、カノジョ?」

私を再び一瞥した後、彼の顔を伺う。

「いや、まだ」

まだって何?
私のことどう思ってるの?

「ふぅ〜ん」

そう言いながら私の目の前に立って、舐め回すように足元からじっくり見上げてきた。

身長は私の方が高いけれど、彼女の目つきは獲物を狩る肉食動物のように威圧感があった。

「あなた、名前は?」

何その上から目線な言い方。
先に名乗るのが礼儀でしょう。

「神法 紫苑です」

「神法さんって言うんだ。綺麗な人だね」

なんだろう、褒められた気が全くしない。なんだか(しゃく)(さわ)る。

「私は七海 梨紗。よろしくね」

私は目も合わさず軽く会釈した。

「梨紗も花火大会見にきたのか?」

「友達がトイレに行くって言うから待ってたんだけど全然帰ってこなくて」

「すぐそこの簡易トイレに行ったんじゃないのか?」

「あそこは汚いから嫌だって言ってどっか行っちゃった」

「連絡はつかないのか?」

「何度連絡してもつながらないの」

「その子とはどの辺で(はぐ)れたんだ?」

ちょっと、この女の人探しの手伝いするつもり?私たち関係なくない?

「あのコンビニのトイレ行くって言ってからいなくなったの」

河川敷の上にはコンビニが見えるが、彼は腕を組みながら怪訝(けげん)な表情を浮かべている。

「恐らくだけど、駅まで行ったんじゃないか?」

「駅まで?」

駅までは歩いて10分以上かかる。

この暑さの中では10分という時間は何倍にも感じる。

「あのコンビニはトイレの貸し出しをしていない。中でタバコを吸うやつや酒を飲むやつ、酷いやつは吐瀉物(としゃぶつ)を片付けないやつもいたから使用禁止になったんだ。だからこの簡易トイレ以外で行く可能性があるとするなら駅前しか考えられない」

この時期は河川敷内にある簡易トイレに人が殺到するらしい。

ただ簡易トイレというだけあって残念ながら綺麗とは言えない。

もし使うには一瞬逡巡(しゅんじゅん)する。

「慶永めっちゃ詳しいね」

「伊達に腹下しやすい体質じゃないんでね」

「そういえば入社したてのころ、よくお腹痛いって言ってトイレに駆け込んでたっけ」

「新入社員専用のプレゼン研修なんて謎のものがあるからだ。会ったこともない人に毎週プレゼンしなきゃいけないんだからそりゃあ緊張もする」

「あれは大変だったよね。懐かしいな」

なんかこの2人すごく仲が良い。

この(ひと)は私の知らない彼を知っている。

なんだかすごく悔しくなってきた。

「ってか最近明るくなったな。なんか良いことでもあったか?」

「慶永この前会ったときにさ、『梨紗って見た目に反して冷たいとこあるから』って言ってたじゃん?あれ結構ショックでさ、だから冷たくないとこ見せてやろうと思って」

「俺そんなこと言ったっけ?」

「うわっ、ひどっ!」

2人を見ていると、胸の奥を棍棒で何度も叩かれているような気がする。

うまく言えないけれど、確実に言えることは良い気分ではないってことだけ。

モヤモヤする気持ちを抑えようとしていると、駅の方からこちらに向かってくる女性を見つけた。

「あっ、いた!」

どうやら探していた友達のようだ。

「ごめん、トイレ全然なくて駅前まで行ってた」

「もう、探したんだよ。電話しても全然つながらないし」

その友達がスマホを見ると、画面は暗いままだった」

「ごめん、電池切れてた」

「彼にも手伝ってもらったんだからね」

彼にもって私のことは無視?
たしかに私は何もしていないけれど、空気のように扱われた気がして腹が立ったが、この感情は穿(うが)っているのかな?

「そうなの?それはすみませんでした」

その友達が申し訳なさそうにこちらにお辞儀をすると、

「いえ、俺らは何も」

と応えた後、

「ってか何でここの花火大会に来てるんだ?横浜の方が近いだろ?」

梨紗に向かって素朴な疑問を投げかける彼。

「この子の家埼玉の方だから」

「そっか」

彼の言葉の後、トイレに行っていた友達が梨紗に確認する。

「この人たちは梨紗のお知り合い?」

「うん。元カレと今カノさん」

梨紗の発言に私も彼もその友達も喫驚(きっきょう)している。

「おい、梨紗」

「違うの?」

「まだそんなんじゃねぇから」

「でもこの子、慶永のこと好きだと思うよ」

急に何を言っているの?

眼鏡の奥の瞳の瞬きが早いのがわかる。

この反応はどっち?

良い方?悪い方?

「ちょっと梨紗、2人とも困ってるよ。行こう」

少し残念そうな表情にしている梨紗たちは去っていった。

「なんか、ごめん」

ごめんって何に対して?

「なんで謝ると?」

「いや、梨紗にかき回されたから」

「慶永くんは悪くないよ」

ただ、優しすぎるだけ。

それから私の心はざわつきが収まらず、花火どころではなかった。
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