スノードロップと紫苑の花
【邂逅】
☕️
自動販売機の横にあるベンチの端。ここが俺の定位置。
ワイヤレスイヤホンで、音楽を聴きながら缶コーヒー片手に駄菓子を食べるのが仕事終わりの楽しみのひとつ。
昭和の景色と香りを残してくれる駄菓子屋。
店内にはいつも険しい表情をしている白髪混じりの猫背のお婆さん。
両腕を背中に回しながら、すげない態度でレジ横に立っている。
ここ滝沢商店の店主だ。
「買わないなら触らんで」
眼鏡の奥に見える黒く鋭い瞳は、ベテラン万引きGメンの如く険しくも冷静だ。
このキラーワードは地元では有名で、手に取ったら買わないといけない暗黙のルールがあるため、小学校のボス的存在の子ですら毎回店主の一挙手一投足にオーバーリアクトしていた。
二十代になってからこの店に行く人はそういない。
この時世に好き好んで駄菓子屋に行く理由がないからだ。
この街は多くの人がイメージするような東京という感じはあまりなく、下町の中でもとくに平和で静かなエリア。
近くにはコンビニやスーパーくらいしかなく、大きな買い物をするには池袋の方まで行かないといけない。
それもあって、同世代で地元に残る人は少なく、みんな都心部へ移ってしまう。
でも俺はこの街が好きだ。
だから引っ越す気はない。
職場から近いわけでもないし、誰もが憧れるような魅力的な家に住んでいるわけでもない。
横文字の多い名前のただのマンションに住み続けている。
滝沢商店は住宅街から離れた大通りにポツンとあり、外観には蔦が生え、大きな地震がきたら一瞬で崩れてしまいそうなほどボロボロだ。
店の前には国道につながる道があり、その奥には大きな公園がある。
坂を登った先に図書館があり、その奥にはサイクリングコースやテニスコート、野球場が併設されている。
小学生のころ、兄さんが所属していた地元の野球チームに入った。
最初はあまり興味がなかったが、当時生きていた父親に薦められたこともあって、軽い気持ちではじめることにした。
兄さんは当時チームのエースピッチャーで、近所では結構な有名人だった。
きっと将来はプロに行って活躍するんだろうと思っていたけれど、いまはどこで何をしているのかわからない。
そんな兄さんと野球終わりによく滝沢商店に来ていた。
小遣いを握りしめ、チョコバットやうまい棒などをよく買っていた記憶がある。
昔はこの辺にも駄菓子屋がよくあったらしいが、少子化やドーナツ化現象の影響もあって、残っているのはこの店だけ。
店の入り口を出て右にあるカプセルトイとレトロゲームが数台。
左側には3人掛けのベンチと自動販売機が1台置いてある。
仕事終わりの落葉時、帰り道にひと息つこうとあの定位置を目指す。
ここに足繁く通うには理由がある。
1本10円のふ菓子と20円のねじり棒ゼリーだ。
コンビニにはなかなか売っていないハイスペックでハイクオリティな駄菓子界のツートップ。
ふ菓子のサクサク感と同時にやってくる黒く色付けされた砂糖と飴の甘味。
端っこを歯でねじって破り、穴の空いた箇所からチューチューと吸い、冷たくても常温でも楽しめるねじり棒ゼリーは童心に帰った気分にさせてくれる。
大人になったいまでも地元の子供たちに混ざり、狭い店内で決まったお菓子を手に取ってまとめ買いする。
いまでは何でもネットで買える時代だが、直接足を運んで、その場の雰囲気や風情を楽しむようにしている。
それに、ここに通う理由はもう一つある。
彼女との出会いは、去年の春だった。
駄菓子屋の閉店時間は早い。
地元の子どもたちしか買いに来ないから、当然っちゃ当然だが、この店は比較的遅くまで開けてくれている。
とは言っても店主の気分次第なところはあるがらしいが。
この日は仕事が早めに終わったので、真っ直ぐ店に向かえばギリギリ間に合う。
口の中はコーヒーと駄菓子を求めていた。
店に近づいていくと、自動販売機に凭れかかりながらベンチに座っている1人の若い女性がいた。
ウェーブのかかった茶色く長い髪と綺麗な睫毛、フレアスリーブのブラウスから見える細く白い腕は、彼女の美しさをより引き立てている。
その透き通った瞳は、アスファルトに咲く一輪の花のように光り輝いていた。
アイスを食べる彼女の表情はどこか儚げに見えたが、あまりに魅力的なので思わず見入ってしまった。
撮影の合間のモデルか何かだろうか?
だとすると、周りにスタッフがいるはずだが周囲には誰もいない。
この辺では見ない顔だが最近引っ越してきたのだろうか?
そうだったとしてもこの街を選ぶのはだいぶ酔狂だと我ながら思う。
これと言って目立つものもないし、とりわけ家賃が安いわけでもない。
利便性から見てももっと良い街はたくさんある。
強いて言うなら自然が多く人が少ないところくらいだろう。
店に入る前、一瞬彼女と目が合った……気がしたが、俺は思わず目を逸らしてしまった。
☕️
自動販売機の横にあるベンチの端。ここが俺の定位置。
ワイヤレスイヤホンで、音楽を聴きながら缶コーヒー片手に駄菓子を食べるのが仕事終わりの楽しみのひとつ。
昭和の景色と香りを残してくれる駄菓子屋。
店内にはいつも険しい表情をしている白髪混じりの猫背のお婆さん。
両腕を背中に回しながら、すげない態度でレジ横に立っている。
ここ滝沢商店の店主だ。
「買わないなら触らんで」
眼鏡の奥に見える黒く鋭い瞳は、ベテラン万引きGメンの如く険しくも冷静だ。
このキラーワードは地元では有名で、手に取ったら買わないといけない暗黙のルールがあるため、小学校のボス的存在の子ですら毎回店主の一挙手一投足にオーバーリアクトしていた。
二十代になってからこの店に行く人はそういない。
この時世に好き好んで駄菓子屋に行く理由がないからだ。
この街は多くの人がイメージするような東京という感じはあまりなく、下町の中でもとくに平和で静かなエリア。
近くにはコンビニやスーパーくらいしかなく、大きな買い物をするには池袋の方まで行かないといけない。
それもあって、同世代で地元に残る人は少なく、みんな都心部へ移ってしまう。
でも俺はこの街が好きだ。
だから引っ越す気はない。
職場から近いわけでもないし、誰もが憧れるような魅力的な家に住んでいるわけでもない。
横文字の多い名前のただのマンションに住み続けている。
滝沢商店は住宅街から離れた大通りにポツンとあり、外観には蔦が生え、大きな地震がきたら一瞬で崩れてしまいそうなほどボロボロだ。
店の前には国道につながる道があり、その奥には大きな公園がある。
坂を登った先に図書館があり、その奥にはサイクリングコースやテニスコート、野球場が併設されている。
小学生のころ、兄さんが所属していた地元の野球チームに入った。
最初はあまり興味がなかったが、当時生きていた父親に薦められたこともあって、軽い気持ちではじめることにした。
兄さんは当時チームのエースピッチャーで、近所では結構な有名人だった。
きっと将来はプロに行って活躍するんだろうと思っていたけれど、いまはどこで何をしているのかわからない。
そんな兄さんと野球終わりによく滝沢商店に来ていた。
小遣いを握りしめ、チョコバットやうまい棒などをよく買っていた記憶がある。
昔はこの辺にも駄菓子屋がよくあったらしいが、少子化やドーナツ化現象の影響もあって、残っているのはこの店だけ。
店の入り口を出て右にあるカプセルトイとレトロゲームが数台。
左側には3人掛けのベンチと自動販売機が1台置いてある。
仕事終わりの落葉時、帰り道にひと息つこうとあの定位置を目指す。
ここに足繁く通うには理由がある。
1本10円のふ菓子と20円のねじり棒ゼリーだ。
コンビニにはなかなか売っていないハイスペックでハイクオリティな駄菓子界のツートップ。
ふ菓子のサクサク感と同時にやってくる黒く色付けされた砂糖と飴の甘味。
端っこを歯でねじって破り、穴の空いた箇所からチューチューと吸い、冷たくても常温でも楽しめるねじり棒ゼリーは童心に帰った気分にさせてくれる。
大人になったいまでも地元の子供たちに混ざり、狭い店内で決まったお菓子を手に取ってまとめ買いする。
いまでは何でもネットで買える時代だが、直接足を運んで、その場の雰囲気や風情を楽しむようにしている。
それに、ここに通う理由はもう一つある。
彼女との出会いは、去年の春だった。
駄菓子屋の閉店時間は早い。
地元の子どもたちしか買いに来ないから、当然っちゃ当然だが、この店は比較的遅くまで開けてくれている。
とは言っても店主の気分次第なところはあるがらしいが。
この日は仕事が早めに終わったので、真っ直ぐ店に向かえばギリギリ間に合う。
口の中はコーヒーと駄菓子を求めていた。
店に近づいていくと、自動販売機に凭れかかりながらベンチに座っている1人の若い女性がいた。
ウェーブのかかった茶色く長い髪と綺麗な睫毛、フレアスリーブのブラウスから見える細く白い腕は、彼女の美しさをより引き立てている。
その透き通った瞳は、アスファルトに咲く一輪の花のように光り輝いていた。
アイスを食べる彼女の表情はどこか儚げに見えたが、あまりに魅力的なので思わず見入ってしまった。
撮影の合間のモデルか何かだろうか?
だとすると、周りにスタッフがいるはずだが周囲には誰もいない。
この辺では見ない顔だが最近引っ越してきたのだろうか?
そうだったとしてもこの街を選ぶのはだいぶ酔狂だと我ながら思う。
これと言って目立つものもないし、とりわけ家賃が安いわけでもない。
利便性から見てももっと良い街はたくさんある。
強いて言うなら自然が多く人が少ないところくらいだろう。
店に入る前、一瞬彼女と目が合った……気がしたが、俺は思わず目を逸らしてしまった。