スノードロップと紫苑の花
**
足早にこちらへと向かってアキレアに話しかけている人がいる。
その彼はアキレアたち女性涅槃師とは色違いで、黒い司祭服のような衣装を身に纏っている。
おそらく女性が白で男性が黒ということだろう。
「ちっす。アキ姉、お久しぶりっす」
「竜胆くん、久しぶり」
竜胆くんと呼ばれるその青年はアキレアのことを『アキ姉』と呼んでいる。
良き弟分なのだろうか。
茶髪に紫紺の瞳。
アイドル並みに整った顔と高い身長。
軽い口調とは裏腹に無骨さは全く感じなかった。
彼は俺の方に身体を向け、軽く会釈をしてきた。
「ども、はじめまして。自分は深山 竜胆って言います。雪落さんのことはアキ姉やアス姉から予々聞いてます」
何を聞いていたのかよりも彼の名前が気になって仕方なかった。
みやま りんどう。
なんじゃその仏のような名前は。
「名前カッコイイね」
思わず心の声が出た。
「あざっす。本名はめっちゃ普通の名前なんすけどね」
涅槃師はみんな涅槃名と呼ばれる名前を与えられ、本名を名乗ることや必要以上の情報を漏らすこと、涅槃師自身の感情を入れることは固く禁じられているということをアキレアから聞いていた。
だから彼女の生前のことはこの前話してもらったこと以外知らない。
もちろんこの彼のことも。
かといって知りたいわけではない。
もともと深く詮索はしないタイプというのもあるが、俺がこの世界で意識を保てるのはあとわずか。
冷たく聞こえるかもしれないが、他人のことを知る必要がない。
それよりも両親を見つけなければ。
ってかアス姉って誰?
「ごめんね、急に呼び出して」
「アキ姉のためならいつでも飛んで行くっすよ」
「ありがと。でね、お願いがあるんだけど」
「さっき聞いたっすよ。雪落さんのご両親わ顕現させれば良いんすよね?」
「うん、そうだったね」
「今回はちゃんと内容聞いといて良かったっす」
「どういうことだ?」
「アキ姉が自分を呼ぶときって、高いものを取ってほしいとか、厄介な対象者がいるから仲介に入ってほしいとかそんなんばっかなんす」
イケメンの無駄遣い。
救急車を緊急以外で呼ぶ無粋な人みたいに呼んであげるなよ。
「ごめんごめん。そんな優しくて頼もしい竜胆くんが好きよ」
「自分も飾らないアキ姉が大好きっす」
口元が緩みながら言い合うその雑なやりとりが2人の仲の良さを伺える。
「要は俺の両親を同時に顕現させるには、2人の涅槃師の力が必要ってことだよな?」
「えぇ。私たちのような一般涅槃師が1人が一度に顕現させられるのは1人だけなの。今回は同時に2人顕現させないといけないから彼に手伝いに来てもらったってわけ」
だんだん涅槃師がサービス精神旺盛なホテルマンに見えてきた。
「ただし、ご両親を同時に顕現させるってことは一気に2日分消費するってことだけどいい?」
前言撤回。そんな都合よくいかないよな。
ただ俺の目的を果たすにはこれしかない。
「やってくれ」
残り約3日間の猶予がある。
両親に再会することでようやく浄化できる。
「……そう、わかったわ」
なぜかアステルのテンションが低い。
何か問題でもあるのか?
「確認だけど、本当にいいのね?」
ここにきて何を逡巡する必要がある?
一生会えないと思っていた両親に再会できるなんてこんな幸せなことはない。
「頼む」
「じゃあ目を閉じて心を無にして」
アステルと竜胆くんが同時に手を翳すと曼荼羅の刻印が光を放った。
ー滝沢商店の近くにある都営住宅。
驚くほど忠実に再現されている。
そこの304号室。
生前、家族4人で住んでいた場所だ。
扉を開けて部屋へと入る。
襖で仕切られ畳のある3DKほどの家に2人の人がいた。
雪落家が揃ったのは何十年ぶりだろう。
「慶永、久しぶり。こうして顔を見るのはいつぶりだろうな」
父親の幸寧だ。
背は決して大きくないが、相変わらず背中は大きい。
「あんた、ちゃんとご飯食べてる?」
母親の由乃が続く。
死んでからも心配するなんてどんだけだよ。
身体は小さいけれど、父親の代わりを何年もしてくれた偉大な母親。
「もう死んでるから食べたくてもいいんだけど」
「あんたは昔から少食だったからね、お母さんは心配だったんだよ」
「毎日ご飯食べなさいってうるさかったもんな」
「親っていうのはそういうものなのよ」
こんな他愛ない会話が1番落ち着く。
何より生前は喧嘩ばかりしていた2人が仲睦まじくしているのは心が安らぐ。
「そういえば英治はどうしたの?」
母さんの言葉に何て返すべきか迷った。
しかし、嘘を吐く理由がないので有体を話した。
「……そうか」
父さんは思っていたよりクールな返しだった。
「英治は、元気だった?」
母さんは選んで選んで選び抜いたような言葉だった気がする。
「2人を恨んでいる様子はなかったし、それなりに楽しそうだったよ」
家族が揃うことはなくてもこの世界を通じてつながることができた。
兄さんの姿はないが、久しぶりの再会に自然と会話が弾む。
父さんの影響でアメフトが好きになったことや、母さんが一瞬だけヴィーガンになりかけたこと。
父さんの好きだったジャマイカ産のビターコーヒーを淹れ、母さんの好きだったダージリンティーを注ぎ、3人で食卓を囲む。
こんなにも時間は早いのかというくらいにあっという間に過ぎていった。
物思いに耽っていると両親の魂は消えていた。
建物も消え、目の前にあるのは暁の空のみ。
何とも言えないこのあっさりとした感じ。
とどのつまり会者定離。
これでようやく浄化される。
そう思ったらどっと疲れた。
雲海の上に座り込んだら眠くなってきた。
しかし、いくら経っても消えることはなかった。
俺の浄化の条件ってこれじゃなかったのか?
部屋を出て外で待っていたアキレアに問いかける。
「どういうことだ?浄化の条件を満たしていないってことか?」
「やっぱりね」
「やっぱり?」
「本当の条件が違うってことよ」
「ってかこれって俺自身の問題だよね?生前の未練がまだあるから消えないってことでしょ?」
「雪落くん生前って未練しかなかったんじゃない?」
いまさらながら自分に腹が立ってきた。
自分自身のことなのに生前のことを思い出せないなんて。
あと1日を残して振り出しに戻ってしまった。
俺は何かものすごく大切なことを忘れてしまっている気がする。
やり残したことって何だ?
思い出そうとすると激しい頭痛に襲われる。
しかし、それでも思い出すことはできなかった。
足早にこちらへと向かってアキレアに話しかけている人がいる。
その彼はアキレアたち女性涅槃師とは色違いで、黒い司祭服のような衣装を身に纏っている。
おそらく女性が白で男性が黒ということだろう。
「ちっす。アキ姉、お久しぶりっす」
「竜胆くん、久しぶり」
竜胆くんと呼ばれるその青年はアキレアのことを『アキ姉』と呼んでいる。
良き弟分なのだろうか。
茶髪に紫紺の瞳。
アイドル並みに整った顔と高い身長。
軽い口調とは裏腹に無骨さは全く感じなかった。
彼は俺の方に身体を向け、軽く会釈をしてきた。
「ども、はじめまして。自分は深山 竜胆って言います。雪落さんのことはアキ姉やアス姉から予々聞いてます」
何を聞いていたのかよりも彼の名前が気になって仕方なかった。
みやま りんどう。
なんじゃその仏のような名前は。
「名前カッコイイね」
思わず心の声が出た。
「あざっす。本名はめっちゃ普通の名前なんすけどね」
涅槃師はみんな涅槃名と呼ばれる名前を与えられ、本名を名乗ることや必要以上の情報を漏らすこと、涅槃師自身の感情を入れることは固く禁じられているということをアキレアから聞いていた。
だから彼女の生前のことはこの前話してもらったこと以外知らない。
もちろんこの彼のことも。
かといって知りたいわけではない。
もともと深く詮索はしないタイプというのもあるが、俺がこの世界で意識を保てるのはあとわずか。
冷たく聞こえるかもしれないが、他人のことを知る必要がない。
それよりも両親を見つけなければ。
ってかアス姉って誰?
「ごめんね、急に呼び出して」
「アキ姉のためならいつでも飛んで行くっすよ」
「ありがと。でね、お願いがあるんだけど」
「さっき聞いたっすよ。雪落さんのご両親わ顕現させれば良いんすよね?」
「うん、そうだったね」
「今回はちゃんと内容聞いといて良かったっす」
「どういうことだ?」
「アキ姉が自分を呼ぶときって、高いものを取ってほしいとか、厄介な対象者がいるから仲介に入ってほしいとかそんなんばっかなんす」
イケメンの無駄遣い。
救急車を緊急以外で呼ぶ無粋な人みたいに呼んであげるなよ。
「ごめんごめん。そんな優しくて頼もしい竜胆くんが好きよ」
「自分も飾らないアキ姉が大好きっす」
口元が緩みながら言い合うその雑なやりとりが2人の仲の良さを伺える。
「要は俺の両親を同時に顕現させるには、2人の涅槃師の力が必要ってことだよな?」
「えぇ。私たちのような一般涅槃師が1人が一度に顕現させられるのは1人だけなの。今回は同時に2人顕現させないといけないから彼に手伝いに来てもらったってわけ」
だんだん涅槃師がサービス精神旺盛なホテルマンに見えてきた。
「ただし、ご両親を同時に顕現させるってことは一気に2日分消費するってことだけどいい?」
前言撤回。そんな都合よくいかないよな。
ただ俺の目的を果たすにはこれしかない。
「やってくれ」
残り約3日間の猶予がある。
両親に再会することでようやく浄化できる。
「……そう、わかったわ」
なぜかアステルのテンションが低い。
何か問題でもあるのか?
「確認だけど、本当にいいのね?」
ここにきて何を逡巡する必要がある?
一生会えないと思っていた両親に再会できるなんてこんな幸せなことはない。
「頼む」
「じゃあ目を閉じて心を無にして」
アステルと竜胆くんが同時に手を翳すと曼荼羅の刻印が光を放った。
ー滝沢商店の近くにある都営住宅。
驚くほど忠実に再現されている。
そこの304号室。
生前、家族4人で住んでいた場所だ。
扉を開けて部屋へと入る。
襖で仕切られ畳のある3DKほどの家に2人の人がいた。
雪落家が揃ったのは何十年ぶりだろう。
「慶永、久しぶり。こうして顔を見るのはいつぶりだろうな」
父親の幸寧だ。
背は決して大きくないが、相変わらず背中は大きい。
「あんた、ちゃんとご飯食べてる?」
母親の由乃が続く。
死んでからも心配するなんてどんだけだよ。
身体は小さいけれど、父親の代わりを何年もしてくれた偉大な母親。
「もう死んでるから食べたくてもいいんだけど」
「あんたは昔から少食だったからね、お母さんは心配だったんだよ」
「毎日ご飯食べなさいってうるさかったもんな」
「親っていうのはそういうものなのよ」
こんな他愛ない会話が1番落ち着く。
何より生前は喧嘩ばかりしていた2人が仲睦まじくしているのは心が安らぐ。
「そういえば英治はどうしたの?」
母さんの言葉に何て返すべきか迷った。
しかし、嘘を吐く理由がないので有体を話した。
「……そうか」
父さんは思っていたよりクールな返しだった。
「英治は、元気だった?」
母さんは選んで選んで選び抜いたような言葉だった気がする。
「2人を恨んでいる様子はなかったし、それなりに楽しそうだったよ」
家族が揃うことはなくてもこの世界を通じてつながることができた。
兄さんの姿はないが、久しぶりの再会に自然と会話が弾む。
父さんの影響でアメフトが好きになったことや、母さんが一瞬だけヴィーガンになりかけたこと。
父さんの好きだったジャマイカ産のビターコーヒーを淹れ、母さんの好きだったダージリンティーを注ぎ、3人で食卓を囲む。
こんなにも時間は早いのかというくらいにあっという間に過ぎていった。
物思いに耽っていると両親の魂は消えていた。
建物も消え、目の前にあるのは暁の空のみ。
何とも言えないこのあっさりとした感じ。
とどのつまり会者定離。
これでようやく浄化される。
そう思ったらどっと疲れた。
雲海の上に座り込んだら眠くなってきた。
しかし、いくら経っても消えることはなかった。
俺の浄化の条件ってこれじゃなかったのか?
部屋を出て外で待っていたアキレアに問いかける。
「どういうことだ?浄化の条件を満たしていないってことか?」
「やっぱりね」
「やっぱり?」
「本当の条件が違うってことよ」
「ってかこれって俺自身の問題だよね?生前の未練がまだあるから消えないってことでしょ?」
「雪落くん生前って未練しかなかったんじゃない?」
いまさらながら自分に腹が立ってきた。
自分自身のことなのに生前のことを思い出せないなんて。
あと1日を残して振り出しに戻ってしまった。
俺は何かものすごく大切なことを忘れてしまっている気がする。
やり残したことって何だ?
思い出そうとすると激しい頭痛に襲われる。
しかし、それでも思い出すことはできなかった。