ミステリアスなイケメン俳優は秘密の妻と娘を一生離さない。


「……意外に野心があるんだなぁ」


 監督の声音はどこか楽しそうに聞こえた。


「ミステリアスだの何だの言われてるらしいが、意外と人間らしいところあるんじゃないか」

「幻滅しましたか?」

「人間ってのはそうじゃないと面白くないんだよ」


 監督はニヤリと笑う。


「陽生、この映画をお前の踏み台にしてもいいぞ」

「踏み台なんてそんな……!そんなつもりはありません!」

「いいじゃねぇか。水野一希って男は目的のためなら手段を選ばない。弟と妹を守るためなら、汚い手にも染まる男だ。
案外お前と似てるかもしれないぞ」

「……!」


 その時、何か一つ緊張の糸が切れたような気がした。
 本当の意味で水野一希という役が、水野一希という男の人生が体の中に流れ込み、染み込んでいくような感覚になった。

 もう、迷いはない。焦りもない。
 ただひたすらに進むだけ。


「ありがとうございます」


 今日一番の敬意を払い、一番深いお辞儀をした。


「監督にいただいた言葉、生涯忘れません」

「大袈裟な奴だ。次のシーンからやるぞ」

「はいっ!」


 この人がどうしてヒューマン映画が得意なのか、何故あんなに繊細な心理描写を描けるのかわかった気がした。
 ますます尊敬の思いが強くなった。

 監督の期待に応えたい、その期待をいい意味で裏切りたい。
 パン!と両頬を強く叩き、気合いを入れ直した。


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