婚約破棄された社交苦手令嬢は陽キャ辺境伯様に愛される〜鏡の中の公爵令嬢〜
彼がわたしに手を差し出す。わたしはその大きな手を握って、彼にエスコートされながら前へと進んだ。
一歩一歩、ゆっくりと。
「この聖なる大鏡を潜ると元の世界に戻れるはずだ」
「分かったわ」
わたしは名残惜しさを振り払って、彼からそっと手を離す。
そして……一歩、前へ進んだ。
鏡の表面は水面のように揺らいで、吸い込むようにわたしを受け入れる。
わたしの身体は、空間の境目なんてないみたいに、すっと鏡の中へと入り込んだ。
ゆっくりと、振り向く。
見ると、デニス様が今にも泣きそうな顔でこちらを見ていた。
わたしは、溢れ出そうな涙を堪えて、彼に笑顔を向ける。
「デニス様、これまでありがとうございました。短い間でしたが、本当に幸せでした」
それは、くしゃりとした、片えくぼ。
最後は笑っていたいから。
「俺も……君と一緒に過ごすことが出来て、幸せだった」
彼も、笑顔を返してくれる。
そして、
「好きだ、マーガレット」
「わたしも……大好きです。デニス様」
わたしたちは、どちらからともなく自然に鏡に近付く。
「きっと……向こうの世界の俺も、君を好きになる」
「はい……!」
そして、キスをした。
鏡越しの、冷たくて平べったい、無機質なキスを。