ワインとチーズとバレエと教授

理緒が診察室を出ていったあと、
誠一郎はため息さえ出なかった。

本当は2週間後、大きな学会がある。

それにはかなりの準備が必要だった。

ここの大学病院の医局員も、数十名連れて行くし、医局員の発表する論文も見なければいけない。

誠一郎は座長を務めなければいけないので、
他の演者の論文にも目を通さなくてはいけない。

だから、外来は3日間ほど休診し、他の医者に任せようと思ってたくらいだ。

でも、理緒の事がいつも頭から離れないー

理緒がこの大学病院に来てから、誠一郎は、理緒の存在が次第に自分の中で、大きくなっていることに
気づかないフリをしていた。

わざと、冷淡で淡々とした態度を取って、理緒との距離を取っていた。

それが誠一郎の医者としての精一杯の誠意だった。
そうじゃなければ、距離感を見誤りそうだった。
患者に、個人的な感情を診察室に持ち込みたくないし、そうしなければ正しい診察も出来ない。
ただ、理緒に冷たくすることが、正しい診察とも思いえないだろう。

理緒は泣きながら
「トイレで泣くのも許してくれないなんて
私の親と一緒だ」
と言った言葉が、誠一郎の胸を刺した。
理緒は泣くことも許されない環境だったのか。

「どうせ診察室で泣いたらめんどくさがるくせに」
とも言った。

そんな事はないし、診察室で泣く患者は、精神科に限らず多くいる。

自分が理緒に冷たく当たっていたので、
理緒は、ここで泣かない、決心をしたのだろう。

そうさせたのは誠一郎の態度のせいだ。

理緒と極端に距離を取ったくせに、

「そろそろ本音で話をしてもいい頃です」

は、都合がいい言葉だった。

< 135 / 302 >

この作品をシェア

pagetop