ワインとチーズとバレエと教授
2022年12月
理緒は12月2日で28歳になっていた。
二週間後、大学病院に訪れた理緒は、
誠一郎が思うより、全てがヒドく悪化していた。
診察室に入ってきた理緒は、目が落ちくぼんで
口びるがカサカサで、痩せこけていた。
もともと細かった理緒だがさらに痩せたというより、頬がコケていた。
目の下は、メイクでは隠しきれないクマができ、
服や髪は乱れてないが、黒のスーツワンピースからは鎖骨が浮き出て、いつものキレイなネイルも無くなっていた。
最近の理緒の服は、黒が多くなった。
誠一郎は
「…どうぞ」
と、理緒をパイプ椅子に座るよう促した。
理緒は静かに座ったが、そこには、自分の身体を
支え切れないほど疲れ切った理緒が見えた。
靴もハイヒールではなく、底の低いものに変わっていた。
もう、ハイヒールでは、自分を支え切れないのだろうと誠一郎は思った。
「…二週間、どうでしたか?」
聞くまでもないが、誠一郎は努めて冷静に聞いた。
「好きなことを、好きなだけしました」
理緒が淡々と答えた。
「…バレエをしたのですか?」
「はい…」
やはり、反動は大きく出たか。
「どれくらいの頻度で?」
「毎日」
誠一郎は押し黙った。ここから、どう治療にもっていこうか…
「…どんな気分ですか?」
「……疲れて…もう、歩けません…」
「でしょうね…」
診察室は沈黙が続いた。
「あなたは、どうして行きたいですか?」
「……早く、死にたいです」
「………」
「…ごめんなさい…」
消えそうな声で理緒が頭を下げた。
「…治療をやめるということですか?」
誠一郎に緊張が走る。
「はい、もう、いいんです、お手数をおかけし、申し訳ありません、それを伝えに来ました」
「内科の治療はどうされるのですか?」
「もう、いいんです…私は治療をやる気がないので
ここに来る意味はもう、ないかと思います。
もっと、生きたいと思う別の患者さんを救ってください」
投げやりというより、あきらめたような感じだろうか…
「慢性疲労症候群は、休めば回復します。
今すぐ治療に入れば、それだけリカバリーが早まります。バレエは出来ませんが普通の生活に戻るとこも可能です」
「そこまでして、生きていようとは思いません…」
「慢性疲労症候群は立派な、脳の炎症です。
特に、音と光には気をつけなければいけません。
同時にうつ病も併発する場合が多いです。
今のあなたを見ていると、まさにその典型例と
私は思いますが」
「………」
「うつ状態のあなたが正常な判断が
できていると思えません」
「………」
「ここまで頑張ってきたのに、全部やめるのは、
あまりにも極端と感じます」
「……もう疲れたんです」
「疲れるよう、自分を追い込んだのはあなたでしょ?筋肉も炎症を起こしているでしょうし、
疲れて当然です」
「………でも、もういいんです…」
「あなたは今、正常に物事を判断できる
状態ではありません」
「先生が検討だけでもしてくださいと仰ったから
検討しました」
「それがバレエをやって、病気を悪化させて
早く死ぬという結論になったと…?」
理緒はコクンとうなずいた。
「……夢は、あきらめたのですか…?」
「……はい」
「………」
診察室は再び沈黙となった。
理緒の顔は意外にも穏やかで、苦しみから開放されたような、そんな印象まで見える。
今の理緒は死への恐怖はないー
では、引き止められるものは、
あと、何が残されているのだろうー
誠一郎はしばらく考えた。
そして、何かを決意した。
それは、とても固い決意だったー
「…では、私のために
生きて頂けないでしょうか」
「……え?」
「あなたがこのまま治療を放棄し、
まだ残っている人生を放棄し、
夢も放棄し、そのまま、いなくなってしまうのは
私としてはとても悲しいです」
「………」
「死へ行き急ぐあなたを見て
私は、つらいです」
「………」
「生きる覚悟をするあなたとしては、もっとお辛いでしょうし、これは、私のエゴだと言うことも分かっています。ただ、あなたが死に急ぐことが悲しいです」
誠一郎は静かに理緒を、真っ直ぐ見つめてそう言った。
理緒はしばらく沈黙した。
そして、考え込んだ。
「……先生は、ズルいですね」
理緒が疲れた微笑みを見せた。
「それが私の正直な気持ちです」
また、診察室は沈黙したー
誠一郎は一呼吸置いて
「治療を続けてください、そして元気になってください、そんなあなたの姿を…私は見たいです」
誠一郎のその目は、全く迷いがなく
真っ直ぐ理緒を捉えていた。
理緒にもそれは伝わった。
誠一郎にそんな言葉を言われたら、
誠一郎が好きな理緒が断れないと、知っているのか、いないのか…
理緒は根負けした。同時に覚悟も決めたー
「……分かりました、内科で治療をします。
精神科も継続します宜しくお願い致します」
理緒が頭を下げた。
誠一郎も
「はい、改めて
宜しくお願い致します」
と言い、頭を下げた。