ワインとチーズとバレエと教授
「あなたが行きたい場所です、もうここへは来ないのでしょ?」
理緒の顔が、ぱぁと明るくなった。
「先生が行きたい場所が私の行きたい場所です」
「週末まで、考えておきましょう…」
そういうと、誠一郎はメモ帳に自分の電話番号とLINEのIDを書いて理緒に渡した。
理緒は恐る恐る、そのメモを受け取った。まるで、最高のプレゼントでも、受け取ったかのように。
「…私、生きててよかった…」
理緒が一粒の涙をポロンとこぼした。ダイヤモンドのように美しい涙だった。
「大げさですね、たかが私の電話番号です」
誠一郎は、照れ隠しで言ってみた。
「夢が、叶ったわ…」
それは、誠一郎も同じだった。なぜ理緒が自分を好きになったのか?どうして自分なんかでいいのか?歳の差は気にしないのか?これから、どうしていきたいのか?誠一郎は聞きたいことが、実は山のようにあった。
でも、今はやめた。
あまり診察室で、こんなことを聞くのもカッコ悪いー
「本当にお疲れ様でした。私の携帯を登録したら、
一言、何か入れておいてください、今は仕事が残っているので、すぐにお返事は出来ませんが、夜までにはお返しします」
あくまで事務的に伝えた。
「もう、ここに来れなくなると思うと少し寂しい‥‥」
理緒が微笑んだ。
「あなたがここを卒業すると言ったんですよ」
「もう、白衣の先生が見れなくなるのね…」
「こんな格好、大した事はありませんよ」
本当は誠一郎は、白衣の自分が好きだった。
でも、理緒と外で会うほうが、もっと大切な事だった。理緒は診察室を見回した。ここで、泣いたり、笑ったり、嫌味を言われたりした。
「…はい、会計のときの書類です」
理緒がそっと受け取った。
「気をつけて帰ってくださいね、私と会う前に、倒れたら困ります」
誠一郎は不愛想に言ったが、顔は微笑んでいた。
「…はい、ありがとうございました」
理緒が頭を下げて、診察室を出た。
「では、ここではない別の場所で、また」
誠一郎は、素っ気なく言ったが、心は十代の少年のように弾んでいた。