ワインとチーズとバレエと教授
彼女は何か、警戒しているのか?だから、本音が言えないのか?いや、それにしても毅然とした態度だー
誠一郎は質問を変えた。
「クラシックバレエをされているようですね」
「はい」
聞かれたことのみしか返事をしないのが理緒の特徴らしい。それか、話したくないのか…?
でも、理緒の表情は柔らかく、うっすら微笑んでいる。
「大変ハードなスポーツというか…身体を使う芸術なのでしょうが疲労感はありませんか?」
「ありません、バレエが踊れて幸せです」
幸せ…?
「どんなところが幸せですか?」
「厳しく指導して頂き、上達していく自分の成長が嬉しいです。あとは、レッスンが終ったあと疲労感は感じますが、多幸感も感じます」
多幸感…
誠一郎は、無意識に左手の甲を、カリッと掻いたー
「"今のご家族"とは、会われていますか?」
「はい、時々」
誠一郎は少しホッとした。亮二の目の届く範囲に理緒がいる。亮二は医者なのだから、理緒に万が一、何かあっても対応出来る。
何より理緒にとって、大きな後ろ盾になる。
「最近は、眠れていますか?生理は順調ですか?」
「はい」
理緒の柔らかい雰囲気からは、やはり、誠一郎が入る隙を感じるかとは出来なかった。
「その他は、どんなふうに過ごされていますか?」
「はい、土日はピアノを習い、今は、ラフマニノフを練習しています」
完璧すぎる回答だ。
それでも、初診は1時間程度、理緒と話した。会話は一般人より高尚かつ、丁寧で、問題が何一つなさそうだった。
そして、理緒は終始、ブレることも泣くこともなく、穏やかで、知的で最後まで隙がなかった。まるで、虐待などなかったかのようにー
誠一郎は、今日の理緒からこれ以上、何かを聞き出す事は止めた。多分、無理だ。
「では、お疲れ様でした、来月、一ヶ月後、この日に来れますか?」
「はい」
「では、来月」
「はい、ありがとうございました」
理緒は柔らかい笑顔で丁寧に会釈し、診察室を後にした。