ワインとチーズとバレエと教授
【交差する三人】交差する二人
理緒もピタッと身体が固まった。
理緒のマンションの入り口に、これから出勤する予定だろうスーツ姿の亮二がいた。
亮二も、目の前の二人を見て、状況が理解できず、
ぽかんとしていたが、驚きは、徐々に怒りに変わったようだ。
誠一郎は亮二の目つきを見て車から出た。
「いったい、どういうことだよ?」
亮二は、誠一郎に明らかに不快な顔を見せた。
誠一郎も車のドアをバタンと閉めて、亮二に一歩近づいた。
「久しぶりに理緒のマンションに立ち寄ったら、
理緒の主治医のお前がいるとはな。何やってるんだよ、患者を朝まで連れ回すのがお前の治療か?」
そこで理緒が
「あ、あの、亮二さん、そうじゃなくて…」
理緒は険悪になった二人の間を、何とか取り持とうとした。
…そうか、理緒は亮二と二人きりのときは、津川先生ではなく「亮二さん」と呼ぶのかー
誠一郎は、嫉妬はしないまでも、この二人の仲は自分の想像以上に複雑だと感じた。
これ以上、理緒を困らせるわけにはいかないので、ここは自分から言わなければと、誠一郎は思った。
「彼女とは付き合っている、
もちろん、真剣に。いつかお前にも話そうと思っていたが遅くなってすまない」
「ふざけるな!一体どうなってるんだ!?」
「あの、亮二さん…」
「いいから理緒は黙ってろ!オレは誠一郎に聞いてるんだ」
亮二は、姪だった理緒を、娘として大切に引き取った。
だからこそ精神科医として信頼する誠一郎に診察を頼んだ。なので、亮二が誠一郎に対し、頭に来ているのは分かる。
逆に誠一郎は、淡々と冷静な態度だった。
「お前は叔父で養父なのに、彼女のことを何も知らないんだな、彼女の精神科治療はとっくに終わった」
「え…?」
「そうなの、亮二さん聞いて!私が伝えていなかっただけで…精神科の治療は終わったの、それで…」
理緒は、本当にしばらく、亮二と会っていなかったのだろう。
理緒が一生懸命、亮二に弁明しているが、誠一郎も
亮二に言いたいことが山ほどあった。
「あぁ、精神科医の治療は
キチンと終わらせた。
残っているのは、お前が彼女に伝え忘れた
Y病院から通達されていた、慢性疲労症候群が放置され、それが悪化し、その治療をウチの大学病院が引き継いでいることくらいだ
安心しろ、彼女はバレエはやめた。
過集中も起こらないし、異型狭心症の発作も、一度も出てない。
で、お前は一体、医者として養父として、何をしてたんだ?うっかり1年も、慢性疲労症候群を彼女に伝え忘れてたか?」
誠一郎がそう言うと、亮二は黙りこんでうつむいた。
「…黙ってたってどういうこと?
亮二さん、まさか私が慢性疲労症候群だって知ってたの?」
誠一郎は、理緒のいる前で、悪い伝え方をしたと思った。
「理緒、隠してたつもりじゃないんだ、 ただ…」
と亮二が口ごもった。
誠一郎は、亮二に近づき耳元で
「どうせ、そんなことだろうと思ったよ、お前は今、俺に殴りかかりたい気持ちでいるだろうけどな、俺も、お前に聞きたいことと、言いたいことが山ほどあるんだよ。でも、ここで話すのは得策じゃない、後で大学病院から連絡する」
誠一郎は小声で言うと
「あぁ…」
と、亮二も、堪忍したように静かにうなづいた。
誠一郎は、心配そうに、二人を見つめる理緒に視線を向け
「では、津川先生とよく話し合ってください、
あとゆっくり休んでくださいね、またご連絡します
薬をきちんと飲んでください、あとでLINEします」
ここにいても、亮二とケンカになるだけだ。
車に戻り、バタンとドアを閉め
そのまま誠一郎は大学病院へ向かった。
亮二は、この状況をまだ飲み込めずにいた。
理緒は
「亮二さん、お久しぶりです」
とペコッ と頭を下げた。
「よかったら出勤前でしょうがお部屋に上がって行きませんか?私のことを、心配で見に来てくれたんでしょ?」
最後に理緒とあったのは、部屋の中が散らかり放題で、包丁を振り回し 自分が持ってきた、たこ焼きを投げつけ、出ていけ!と、怒鳴り散らした理緒だった。
それから、理緒が気になっていたが、精神科の治療は終わり完治しているようだ。元の落ち着いた理緒に見える。
そして、以前より表情が柔らかくなった雰囲気だ。
それは紛れもなく誠一郎の治療の成果であり、おそらく、誠一郎の存在が大きいのだろうと、亮二は実感した。
少なくとも自分と東京へオーケストラを聴きに行ったときの理緒は、もっと隙がなくトゲトゲしかった。
そうさせたのは自分だということも自覚している。
今の理緒は、どこか落ち着き、ふんわりしているように見える。
「じゃあ、出勤前だけど少しだけ…」
理緒に促され、亮二はマンションの部屋に入った。