ワインとチーズとバレエと教授

「私が、藤崎先生を好きになったの…」

いれたてのコーヒーを亮二に差し出しながら、理緒は伝えた。

「そうか…」

「言ってなくてごめんなさい」

「いや、きっと理緒も、オレには、言いにくかっただろう…」

コーヒーを飲みながらまた、沈黙が流れた。

「二人は、いつから付き合ってるんだ?」

「4ヶ月半くらい前から」

「体調は?大丈夫か?」

「うん」

「二人は、どこに行ったりしてるんだ?」

「えっと…動物園とか、水族館とか…私が行きたくて連れて行ってもらったの…」

亮二は意外な顔した。
理緒が動物園?
水族館?

理緒が好きなのは5つ星ホテルではなく?

クラシックバレエやオーケストラ観賞や、三つ星レストランでもなく?

「でも、あんまり歩けないから動物園でも、水族館でも、藤崎先生に迷惑をかけてしまって…
もう、あんまり歩かないようにしようと思う」

理緒は少し笑いながらうつむいた。

「…慢性疲労症候群のことだけど…」

亮二がようやく話しだした。

「本当に知ってたの?」

「あぁ…」

「じゃあ何で伝えてくれなかったの?私一年間も知らずにバレエをやってしまったわ…」

「当時の理緒は、慢性疲労症候群だとわかっても、バレエをやめなかったと思った。それでも、説得しようとした…でも、オレたちは、当時…」

「複雑な関係になってしまったものね…」

「あぁ、オレのせいでな」

亮二はうつむいた。

「でも、理緒が歩けなくなったときは、オレが面倒を見ようと思ってた。それは、本当だ」

「うん、分かってる」

理緒もうつむいた。

そう、二人の関係は複雑過ぎた。

「全て、オレのエゴだよ…理緒は、オレに
"わたしはあなたの人形じゃない"と言ったか、
本当に、その通りだ…オレはどこかで
理緒を自慢したかったし、理緒が誇らしかったし、
そんな理緒が側にいる自分が、一番誇らしかったのだと思う」

亮二は、自分の理緒にした過去の扱いを苦々しく思った。

「バレエまで奪ってまで、健康でいろ、というのであれば、もっとオレのエゴかと思った。

あと何よりオレが理緒を慢性疲労症候群だと認めたくなかったのかも知れない…オレはそんな人間だよ」

亮二がため息をついて言った。

「それにまさか、理緒がバレエをやめると思わなかった…誠一郎の説得か?」

「そうね…説得というより治療でもあり、上手く
私を誘導して、やめさせてくれたの…バレエを止めなきゃ過集中は治らないし、異型狭心症も治らない」

「たしかに…どうやって誠一郎は、説得したんだ?」

「私が、自暴自棄になったとき、病院のトイレにこもって、泣いてるのを連れ出されその後、診察室でケンカに…」

亮二はそれ自体が驚きだった。
理緒があの冷静な誠一郎とケンカ?

「私が、藤崎先生にひどい言葉を言ってしまったの…あなたに治せるの?診察室で泣いたって迷惑なくせに!とか、いろいろ…

でも、藤崎先生が…
死に行き急ぐあなたを見ると悲しいです、私のために生きてもらえませんか?それは、私のエゴですが、あなたが元気になった姿を見てみたいですって…それで、バレエをやめたの…」

「そうだったのか…」

精神科では、いろんなことが起こる。
理緒も例外ではなかったのか。

亮二は、誠一郎に対し、やはり理緒を頼んで良かったと思った。あの誠一郎が診察室で、そこまで言ったのなら本気だろう。

「これからどうするつもりだ?」

「藤崎先生には、そばにいてほしいと言われたの。
家にいて欲しいと…料理や家事や洗濯をして欲しいわけじゃない、ただ、そばにいてほしいって、そして、きちっと食事を食べてほしいと」

「同棲したいってことか?」

「同棲という言葉は使わなかったけど、そういうことだと思う…」

「理緒はどうしたいんだ?」

「私もそうしたい」

理緒が亮二の目をハッキリ見て伝えた。

「…それが二人の回答なのだろうな…」

亮二は、どこか、あきらめたように言った。

理緒との関係が歪んだせいで、こうなっても仕方ない状況だった。

そうなったのは自分の責任だと亮二も十分、理解していた。

「誠一郎の、どんなところが好きなんだ?」

「そうね、静かで、知的で、私に似ているところ…」

「理緒と似ている?どこが?」

誠一郎と理緒の共通点がいまいち、見つけれない。

「あのね、亮二さん、大学生の頃、藤崎先生を見て
何とも思わなかった?」

「えー…?」

「私より藤崎先生のこと、詳しいでしょ?」

「まぁ、そうだけど…
あいつは学生の頃からテニスをやってて
クールなタイプだったな…
今とそんなに変わらないよだけど、こんなに女性に
情熱的だとは思わなかったな。

あまりにも意外すぎて驚いたよ、まさか、教授というポジションに就きながら、元患者に、しかもオレと関係がある理緒に手を出す度胸があるとも思わなかったし…まぁ、理緒がそれほどキレイで可愛いからだな」

亮二は笑ってみせた。

「多分そうじゃないと思う」

理緒が真剣な目つきでそう言った。

「亮二さん、藤崎先生を見て、何とも思わない?」

理緒は目を潤ませた。

「本当に藤崎先生が…普通に精神科医をやってると思う…?」

理緒の瞳から、とうとう涙が溢れた。

「次は私が藤崎先生を助けたいの…!」

理緒が涙を流した。

「アイツがいろいろ、大変だったのは事実だ…
でも、いつもの誠一郎だよ」

「違う!私には分かるの!亮二さんも、本当に藤崎先生が、普通だと思う!?教えて、亮二さん!藤崎先生に何があったの!?」

理緒は、誠一郎のことを色々知ってるようだ。

「今の誠一郎は…」

亮二は重い口をひらいた


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