ワインとチーズとバレエと教授
カツカツ…と
足音が近づいてきた。
やっぱりハイヒールを
履いているようだ。
「失礼致します」
理緒が相変わらず
礼儀正しく頭を下げた。
今日はスーツ姿だった。
水色のブラウスに
上下紺色のスーツに
黒のハイヒールだ。
法律事務所の
仕事帰りだろうか?
でも、歩き方はスムーズで
足を引きずってはいない。
どうやら、バレエは
言いつけどおり休んだらしい。
でも、今日も、何かがぎこちない。
理緒が診察室のカゴに
バッグを置いたとき、そのぎこちなさの、正体が分かった。
手を使わず、腕でバッグをカゴにそっと置いた。
ネイルもしてない。
「どうぞ」
いつも通り、誠一郎は
理緒をパイプ椅子に座るよう促した。
理緒はいつもイスに座るとき
丁寧にスカートを整えて座るが
今日はそれもしなかった。
「一ヶ月間、どうでしたか?」
誠一郎は今日も淡々と
診察を始めた。
「はい、バレエはお休みしてました」
「足の痛みはどうですか?」
「ありません」
あっても、なくても理緒はそう答えるだろう。
「それは良かったです
で、一ヶ月間、どのように過ごしてましたか?
バレエをお休みして、さぞ、暇に感じたと思いますが」
さぞ、暇に感じたと思いますがー
は、誠一郎の作戦だった。
「はい、なので、
ピアノと仕事を頑張りました」
ほらきた。
「ピアノは
どれくらいのペースで?」
「毎日8時間ほど」
8時間…!?
「土日だけでなく、平日も
ピアノの先生についてもらい
レッスンし、自宅でも練習をしていました」
「何をひいていたのですか?」
「はい、練習中の
ラフマニノフを
あと、幻想即興曲を…」
全て激しい曲だろう…
「私はクラシックに詳しくありませんが
全て、テンポの速い曲でしょうか?」
「ええ、まぁ、比較的…ノクターンをひく気分ではなくて…」
だろうなと誠一郎は思った。
「ところで、手首は痛くないですか?」
「え?はい…?」
また理緒は質問の意図が全く理解していない様子で
ぽかんとしていた。
「両腕を伸ばしてください」
「はい」
「手首を上下に動かしてみてください」
「………」
あきらかに嫌そうな顔だ。
「手首を動かせますか?」
理緒はぎこちなく
上下に動かした。
「では、手首をこのように
ぐるっと回してみてください」
「………」
「回せないんですか?」
「………」
回せないようだ。
「整形の先生に診て貰いましょう」
「必要ありません」
「でも動かせないのでしょ?」
「痛くありません」
「痛くないわけないでしょ?」
「痛くありません、本当です」
それは、分かっている。理緒の中では痛みなど
感じてないだろう。
「でも、手首が動いていません
整形の先生に内線でお電話して、
診て貰えるか聞いてみましょう」
「大丈夫です」
「大丈夫かどうか、整形外科の先生に
診て貰いましょう」
「本当に大丈夫…」
またしても誠一郎は、有無を言わさず
整形外科に内線で問い合わせた。
前回と同じ流れだ。
「今から診てくれるそうです
前回と同じく、先にレントゲン室によってから
整形外科へいってください、地図は必要ですか?」
「いりません」
理緒はあきらかに不満そうな顔だ。
「では、この用紙を持って
レントゲン室に行ってください
前回と同じく、成宮先生が、担当してくださるそうです、良かったですね」
誠一郎は、かるく嫌味を言ってみた。
理緒は内心ムッとしているだろうが、顔には出さなかった。