お願いだから、キスしてください!〜妖精だけど人間に恋をしています〜

 湖面をそろそろと飛んでいく。慣れれば恐怖も無くなるだろうと思っていたが、湖に落ちてしまう心配をし始めるとまた冷や汗をかく。
 耳元でひとりのトンボの羽の妖精が嬉しそうな声で話し始めた。
「月の妖精のところに人間のお客さんなんて珍しいし、おれたちも人間を見れてラッキーだよなー」
 トンボの羽の妖精はフィオンが重たくは無いのだろうかと心配になるが、トンボの羽の妖精の話ぶりから月の妖精を慕っているようだった。
「月の妖精は怖いと聞いたぞ」
 今の恐怖に勝るほどなのだろうかとフィオンは聞いてみる。トンボの羽の妖精はきょとんとした声を出した。
「月の妖精はおれたちに薬を作ってくれるし良い妖精だけどなー。誰が怖いなんて言ったんだ」
 フィオンは少し前を飛んでいるバイオレットを見る。バイオレットは知らんぷりをした。
 湖面に反射する月を真っ直ぐ飛んでいく。
 しばらくすると「着いたぞー」と先ほどのトンボの羽の妖精が耳元で言った。
「ここが扉だ。大勢で押しかけちゃ月の妖精に悪いから、おれたちはここまでなー」
 フィオンは辺りを見回す。扉らしきものは何も無い。
 じゃぁ月の妖精によろしくーとトンボの羽の妖精はその声を合図に一斉に手を離した。落ちると思うと思わず目を閉じる。同時にヒュッと心臓が縮んだ。しかし水に触れる感触はなく、物が落ちた水音もしない。足は地面にしっかりと着いていた。
 恐る恐る目を開くと、見たこともないほど美しく輝く妖精――背格好はフィオンと同じだが、明らかに人間ではない人型の何かだったので妖精だと判断した――がいた。バイオレットの言っていた怖さがフィオンにもわかった。今まで感じた事のない、得体の知れない怖さだった。周りからじわじわと攻められるような、足元からだんだんと上に這い上がってくるような、そんな感覚だ。ここへ来るまでの恐怖など一瞬で超えてしまったのだった。
 しかし、トンボの羽の妖精の言っていた良い妖精という言葉を信じようとフィオンは拳を握りしめる。
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