異世界からの逃亡王子に溺愛されています ~『喫茶マドレーヌ』の昼下がり~
 翌日。

 店は閉めることにした。ただ、いきなりやめてしまうと常連客や近所の人に心配されそうなので、とりあえずは『臨時休業』の張り紙を出した。

 なにもかも失ってしまった。愛しい人たちも、店も。

 つい、そう思ってしまう。

 そんなことはない。大喜がいるではないか。

 自分を叱責し、納得させ、正しかったのだと言い聞かせる。

 そんなことの繰り返しだ。

 心は沈んでしまって、なにもする気が起きないが、ぼんやりしていても仕方がない。そう思い、ひたすら片付けと掃除をしようと決めた。

 昨日は結局なにもせずに終わってしまったので、今日から頑張らなければ。

 そんな多希だったが、スマートフォンが震えていることに気づいて手に取ると、メッセージが受信されている。展開すると、大喜からだった。

『すぐにこい』

 入力が苦手なのでひらがな平打ちの短いメッセージだ。

「まったく」

 呆れながら了解の返事を送り、急いで出かける用意をした。

 施設に到着し、受付でスタッフに挨拶しながら名前を書いていると、奥の事務室から施設長が慌てて近づいてきた。

「吉村さん」
「こんにちは。いつも祖父がお世話になっています」
「こちらこそ。あの、吉村さん、大喜さんとケンカなさいましたか?」
「え?」
「以前来られてから、大喜さんの元気がなくてですね。お孫さんに連絡しようとすると怒られるので、こちらからはなにもできずにいたんです。いらっしゃるのを待っていました」

 言われて目を丸くする。

「おじいちゃん……あ、いえ、ケンカってほどのことはないんですが、口論しちゃって。すみません、ご心配をおかけしてしまって」
「そうなんですか。なんだかずっと考え事をされているのか、お声がけしても上の空というか。ちょっと気をかけて差し上げてください」

 互いに頭を下げ、多希はエレベーターに向かった。

(おじいちゃん、ケンカしたので落ち込んでた? そんな性格じゃないと思うんだけど。でも、いきなり来いって呼びつけるんだから、元気よ、きっと)

 部屋の前に到着し、ノックをしたら返事を待たずスライドさせた。

 大喜はいつものように一人掛けのソファに座っていた。

「多希、待ってたんだ。名案を思いついた」
「名案?」

 反芻しながら大喜の隣に座る。土産にと持参した手作りのマドレーヌをテーブルの上に置いた。

「お前とライナスさんがうまくいく方法だ」
「え?」

 刹那に多希の顔が曇った。しかしながら、大喜は一方的に話を続ける。

「そうだ、万事がうまく行く方法だ。お前がライナスさんの子を産んだらいい」
「…………はあ?」

「水晶とやらは王家の者しか持ってはいけないんだろう? ライナスさんの血を引いていたら持っていていいということだ。秘術の力がたまるまで行き交いはできないが、満ちれば自由だ。どうだ、名案だろう?」

 多希が目を瞬いている。驚きすぎて言葉が出てこない。

「俺がお前たちの子どもを見てやれば、お前だってライナスさんの国に行けるわけだしなぁ」
「なにを言ってるのよ」
「結婚して、子どもが生まれたら、すべてがうまくいく、って話じゃないか」
「…………」

 そう言われたら、その通りだ。

 想いあっている。その想いのままに結婚し、普通に暮らせばいいのだ。子どもはフェリクス王国の王家の血を引くのだから、座標の水晶を持つ資格を持っている。子どもを水晶ごと大喜に預けておけば、多希とライナスは秘術の力さえ満ちれば自由に行き交いができる。そこにアイシスが加わっても、なんら問題はない。

「ライナスさんに話して、さっそく子作りをしろ」
「! おじいちゃん!」

「なんだよ、良いことじゃないか」
「良いとか悪いとかじゃなくてっ。恥ずかしいこと言わないでよ。それでも祖父なの?」

「俺はお前たちが幸せになれる方法をずっと考えていたんだ。万事解決できる名案を思いついたから言ってるんだろうが。お前だってライナスさんが好きなんだったら、貪欲になれ……多希?」

 多希の目から、また涙が溢れている。

「多希、どうした」
「…………」

 黙り込む多希を凝視する大喜だったが、やがて涙の意味を察したのか、肩を落とした。

「遅かったのか」
「……昨日、だったの」
「そんなに早かったのか」
「う、ん。ライナスさんも、驚いてた」
「そうか」

 二人して項垂れる。
 しばらくの間、互いに口を噤み、沈黙が続いた。

「行けばよかったのに」
「おじいちゃん」

「まあ、聞け」
「…………」

「済んだことを言っても始まらん。次にこれと思う相手を見つけたら、迷うな。俺の生い先は短い。俺に構って貴重な時間を無駄にしてはいけない」

「そんなことない! たった一人の身内のために頑張ることは、私自身の問題じゃない。おじいちゃんとの時間が私にとって大事なことなのよ? 選択を誤ってなどいないわ」

 泣く多希の頭を、大喜がゆっくりと撫でた。

「多希。お前が生きる道に、他人を考慮することはない。他人はお前の人生を保障してくれないし、お前に譲ってもくれない。冷たいように聞こえるが、それが現実だ。お前がもし、人を思いやって生きていきたいと言うなら、与え続けられるくらい人の数倍幸せになれ。お前の手の中になにもなければ、お前は人を頼って、人に与えられないと生きていけなくなる」

「私はただ……初めて人を好きになって、その恋が実らなかったことが、悲しいだけなの。後悔なんか、してないから」

 涙を流しながら、だが強い目力で言う多希を、大喜は悲しげなまなざしで見返す。そして頭を撫でていた手を後頭部にやり、ぽんと弾くように優しく叩いた。

「初恋は実らないもんだ。俺も実らなかった」
「そんなこと言ったら、天国でおばあちゃんが怒るよ」
「ははは、そうだな。だけど、大事にしたさ」
「苦労させられたって言ってたけどなぁ」
「言うだけだ。逃げなかったじゃないか」
「そうだね」
「人生は長いからな。次、現れたら、逃すなよ」
「……うん」

 そんな日が来るのかどうなのか。多希には来ないような気もするのだが、今は祖父の優しさに甘えて頷くことにした。

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