【完結】鍵をかけた君との恋
「このマドレーヌ大好き!美味しいよね!」

 とある週末。私が玄関先で差し出した手土産を、楓は豪快に喜んでくれた。その声に、陸の母もエプロン姿で顔を出す。

「あらまあ乃亜ちゃん。お菓子なんて持ってきて、どうしたの?」
「ずっと、お礼が言いたくて」
「お礼?」
「はい。私が妊娠した時にすごく支えてくれて、本当にありがとうございました」
「そんなこと、気にしなくていいのに」

 彼女は楓と目を合わせる。

「お礼なんて言われること、私達何かしたかしら?」
「してないしてなーい。乃亜ちゃんよそよそしいよぉ」

「でも」と言葉を続けようとした私の頭に、彼女はぽんと手を置くと、こう言った。

「こんな立派に挨拶できるようになっちゃって。お母さんに、報告しなくちゃね」


「あれ、陸は?」

 居間で三人、世間話をする中、陸の姿はいつまで経っても現れない。楓は言う。

「お兄ちゃん昨日遅くまでゲームしてたから、まだ寝てるんじゃない?」
「え!もう十一時半だよ?」

 湯気の立つ台所で、包丁を動かしていた陸の母は、苦笑い。

「乃亜ちゃん、陸を起こしてきてやって。みんなで一緒にお昼ご飯食べましょう」


 これから起こすのだから、物音など気にしなくていいはずのに、何故かだかそおっと扉を開けた。

「陸ぅ?」

 部屋に踏み入った途端、陸の匂い。昔よりも、男臭い。

 今にもベッドから落ちそうな寝相なのに、すやすやと気持ちよく寝息を立てる陸の顔に、ふと笑みが抜けていく。床に腰を下ろして、彼の枕元で頬杖をついた。
 髭が薄ら生えている。まつ毛は羨むほどに長い。髪は猫っ毛。

「んー……」

 ぼんやり観察していると、陸の瞼が半分開いた。細い目が段々と丸くなって、視線がかちりと嵌まったところで、私は彼の耳を引っ張った。

「こら陸っ。いい加減起きろっ」

 陸はまだ、寝ぼけ顔。

「なんでお前いんの……」
「もうお昼だよ、ご飯できるよっ」
「えー、もうそんな時間……」

 まだ眠るのだと言わんばかりに、陸は私に背を向けた。

「こら、陸ってばっ」

 そんな陸を強引にベッドから出そうとした手は、寝起きとは思えぬ強い力で握られた。そのまま彼は言う。

「俺を信じて、乃亜」

 頬しか見えないその横顔に、胸が締め付けられた。
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