冷徹御曹司は想い続けた傷心部下を激愛で囲って離さない
「……なにも、なかったんです。愛されるだけの可愛げも、評価されるだけの実績も、能力も。同期の内でいちばん早い昇進に調子に乗って、もっとやってやるんだ、なんてイキがって……でも恋も仕事も順調だなんて、ぜんぶ勘違い。ただの思い上がりでした」

 思い返すほどに、自分の馬鹿さ加減が際立つ。

(ほんと、馬鹿……)

 くすくすと笑い声が口をつく。笑い声は知らず大きくなった。
 ふたり分の空席を挟んだ向こうから別の客の視線を感じたけれど、お酒のおかげか、どうでもよくなってくる。

 けれど口を開いたが最後、止められない。それどころか酔いも手伝って勢いづき、あさひは栓の外れた蛇口さながら、吐き出してしまった。
 社内恋愛だったとか、その元恋人によって昇進に手心を加えられていた、なんてことは次期社長の前では言えなかったけれど。

「……碓井」
「なんて、お耳汚しでしたね! お酒の場だということで聞き流してください。次、なに飲みます? わたしはまたギムレットにしようかな……」
「碓井」
「あ、お代わりお願いしまーす」

 この話題はこれで終わり、とばかりにあさひは注文を重ねた。凌士もそれ以上はなにも言わず、お代わりする。
 その一杯を飲みながら、凌士が左手の腕時計に目を落とす。それであさひはやっと、現実に少しだけ意識を戻した。

「ご馳走になってしまって……ありがとうございました」

 ビルの前の人気のない道に出ると、あさひは凌士に頭を下げた。
 冷たく乾いた空気が髪をなぶり、コートの身頃をかき合わせる。

 どれくらい飲んだのか、あやふやだ。あさひが化粧室から戻ったときにはバーの会計も済んでおり、自分の分は払うと言っても凌士は取り合わなかった。

 吐いた息が白く色づき、とろりとしたアルコールの匂いを放つ。

 凌士が呼んでいたらしいタクシーが、しんとした夜の気配を縫うようにして滑りこんだ。

「送っていく」
「いえ、ひとりで帰れますー……。まだ電車も間に合いますし」
「いいから乗れ」

 タクシーの後部座席ドアが開く。凌士があさひの手を引こうとするのを、あさひはうしろに下がって首を横に振った。

「ちゃんと歩けますよー……。統括部長こそ、遅くまで付き合ってくださったんですから、早く帰ってください。ほら、早く」

 外の空気を吸ったせいか、現実が迫ってくる。喉の奥から、お酒で流しこんだはずの痛みが迫り上がってくる予感にあさひは焦った。

 今にもあふれ出しそうだ。

 これ以上、上司と一緒にいるのはまずい。あさひは搾りだすようにして笑うと、手振りで凌士をタクシーに追いやった。

「碓井」

 凌士が後部座席から、ふたたび手を伸ばしてくる。

(……っ、限界)

「失礼します! また月曜日に。お疲れ様でした」

 あさひはありったけの力で最後に笑顔を作ると、凌士の手に捕まる前に踵を返した。

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