冷徹御曹司は想い続けた傷心部下を激愛で囲って離さない
 凌士は、あさひが無理をしていることに、隣に腰を下ろしたときから気づいていた。

 無理やり貼りつけた笑み、凌士を気遣う態度。いずれも、上司を前にした部下としてはありがちな振る舞いだ。

 しかし、まばたきの瞬間やグラスを置く際にふと見せる表情には、拭いきれない陰が差していた。

 あさひは気づかれないようにしたつもりだろうが。

 事業開発本部長の下、事業開発統括部の統括部長が凌士の肩書だ。そのさらに末端の部署に異動してきた、歳若い女性チーフ。
 直接話す機会こそほとんどなかったが、その存在は常に頭にあった。それこそ社内に恋人がいるという噂まで、耳が拾うほどに。

 浮気されたと打ち明けた表情は、仕事での溌剌としたものとはほど遠かった。
 チーフの器じゃないとつぶやく声は、よりどころを失って頼りなかった。

『お疲れ様でした』

 と、あさひが背を向けて歩きだす。早足のつもりだろうが、足元がおぼつかない。

(それより、なんだその笑顔は)

 その瞬間、言葉にならない衝動が湧き起こり、凌士は弾かれたようにタクシーを降りた。
 ふらつきながら駅を目指すあさひに追いつき、その細い肩を強く引く。

「――碓井!」
「……っ」

 ふり向いたあさひの目が見開かれ、つかんだ肩が強張った。マスカラが落ちて目元を汚している。

 あさひは泣きじゃくっていた。

 ずっとこらえていたのか。そう思ったときには命令していた。

「乗れ」
「やっ……ちょっ、離して! 見ないでください!」
「なにも見ていない。だから乗れ」

 手を振り払おうとするあさひの頭に、凌士は脱いだジャケットを被せ、待たせていたタクシーに押しこむ。あさひは観念したのか、おとなしく座ると凌士のジャケットを深く被り直した。

 タクシーが発進する。適当に走らせるあいだ、あさひからはくぐもった嗚咽が止まなかった。
 凌士は腕を組んで座席に深くもたれると、目を閉じた。

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