冷徹御曹司は想い続けた傷心部下を激愛で囲って離さない
(可愛げがないのはわかってるけど……目の前の仕事を頑張っただけなのに)

 ワンフロアに百五十名ほどが勤務する三十階のオフィスでは、昼休憩を終えて戻ってきた社員が、続々と頭を仕事モードに切り替えている。そんな中、どうにかフロアの自席に戻ったあさひは、まだ呆然としていた。
 さいわい、あさひの変化に気を留める人間はいない。そのことに救われる思いがする。
 もしもあさひが購買部所属のままだったら、きっと景と結麻の姿が目に入るたびに心臓を抉り出される気分を味わったに違いなかった。

 別の部署でよかった。まだ仕事で気を紛らわせることもできる。

(そうよ、仕事。仕事では成果を認められてる。だからこそチーフになれたんだし、手を抜いてられない)

 思い上がっているわけじゃない。けれど、そう思わないと今日は乗り切れない。あさひは呪文のように言い聞かせながら、午後の業務をこなす。

「碓井チーフ、ファイル送ったんでハンコお願いします」

 部下の手嶋(てじま)が向かいの席からのっそりと眠そうな顔を覗かせたときの対応も、いたって普段どおり。

「うん。すぐやるね」

 送られてきたファイルを、そそくさと開く。押印といっても、電子ハンコだ。
 さっきの出来事が頭にこびりついて、ともすれば上滑りしそうな文章だったが、最後まで確認する。いくつか手嶋に質問をしてから、「確認者」欄に電子ハンコを押した。

 所属部署の略称と日付、そして碓井という名前が資料の右上に表示される。

(うん、仕事は問題ない)

 あさひは心の内でまた言い聞かせ、部長に回付した。恋愛はダメでも、せめてチーフとしての働きはしないと。
 それがあさひにとっての最後の砦。

 ――けれどその日の夜のうちに、その砦さえも崩れてしまった。

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