冷徹御曹司は想い続けた傷心部下を激愛で囲って離さない
 夜。あさひは、景が暮らすマンションの最寄り駅周辺にあるコーヒーチェーン店で景と向かい合った。
 メッセージの返信では、部屋で話そうと書かれていたけれど、いざマンションのエントランスで呼びだしたら、景が下りてきたのだった。

 外へ行こう。

 そのひと言だけで、部屋には結麻がいるのだと察しがついた。
 テラス席のアイアンチェアの冷たさが、薄手のコートから覗いた肌から、心にまで染みこんでくる。紙カップのホットカフェラテは、またたくまに冷めてしまった。

 向かいで、景が所在なさげにコーヒーの紙カップを持ち上げては下ろすのを繰り返す。社内では癒し系と称されていた特徴的な垂れ目が、いつもに増して垂れている。もこもことしたダウンジャケットに身を包んだ景は、これまでより小さく見えた。

 あさひが問い詰めるまもなく、景はあっさりと浮気を認めた。

「ごめん。結麻のことは……なんだかんだと頼られるうちに、放っておけなくなって。でもそれだけで、指輪にも深い意味はないっていうか。どうしてもほしいって言うから」
「……あの指輪に深い意味がない? そんなの誰も信じないよ」

 深い意味もなく、海外の有名ブランドの数十万もする指輪をプレゼントするものだろうか。
 左手に嵌めたのだろう、その輝きを想像するだけで、胃がよじれそうになる。
指輪がほしい、なんていう話じゃない。

 あさひと付き合っていながら、景が別の女性に心を砕いていたのが苦しい。悔しい。……辛い。
 否定しかけた景が、あさひの尖った視線に気づいて口ごもる。

「……だから悪いと思って、君にはチーフのポストをあげたんじゃないか。君は指輪をほしがるタイプじゃないし、昇進のほうが嬉しかっただろう?」
「な……に、言ってるの? チーフ職をあげるって」

 カップをテーブルに置く手元がぶれる。横倒しになりかけ、あさひはハッとして寸前で止める。
 景が気まずそうに顔を歪めた。

「うちにはすでにチーフがいるから、君を自然な形で昇進させるためには、よそに異動させるのがいいだろう?」

 景は目の前にいるのに、すごく遠い。なにを言ってるのだろう。
 まるで分かり合える気がしない。

「これでも僕なりに、君に申し訳ないと思って――」
「昇進させてやるから浮気を許せって?」

 あさひは飲みかけのカップを引っつかんだ。
 景がぎょっとして肩を縮める。その甘い顔にコーヒーをぶちまけてしまいたい気持ちを、あさひは何度も荒い呼吸を繰り返してやり過ごす。
 ようやく絞り出した声は、自分でも抑えられないほど震えていた。

「……もういい、わかった。わたしは下りる。じゃあね」

 それが景との、約一年に及ぶお付き合いの最後だった。

 このまま家になんて帰りたくない。
 あさひはふらふらと店をあとにすると、夜の街をあてもなくさまよった。

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