冷徹御曹司は想い続けた傷心部下を激愛で囲って離さない
 オフィスの立ち並ぶ一角から離れた、裏通りの古ビルの地下にあるバーは、壮年のマスターひとりで切り盛りしていた。
 適度に落とした淡い照明に、丁寧に磨かれたバーカウンターが艶を放つ。カウンターうしろの棚に並ぶ、ありとあらゆる酒のボトルも物珍しいものばかりだ。

 電車に乗る気にもなれず、うろうろと歩くうちに見つけたのが、この店だった。知る人ぞ知るといった(たたず)まいに緊張したのは、最初だけだ。

 飲み始めればすぐに、佇まいなんて意識から抜け落ちた。

「は……あ」

 あさひは三杯目のギムレットを飲み干す。すいすい飲めて、簡単に酔えるものをという曖昧な注文に、マスターがチョイスしてくれた。
 カクテル言葉は「長いお別れ」だと告げられ、自棄(やけ)になる気持ちに火をつけられたのもある。

 重いため息とともにカクテルグラスをカウンターに置き、あさひはお代わりを注文する。
 マスターには気遣わしげな目を向けられた気がするけれど、どうでもよかった。

 新たな一杯を口に含み、あさひはため息を重ねる。
 景は、三か月のディーラー研修を終えて如月(きさらぎ)グループ本体に戻ったあさひの、最初の指導者だった。
 あさひは一から十まで景の教えに従った。不明点にぶつかったときは、真っ先に景に確認した。
 今から思えば(ひな)が親鳥についていくように、景についていったのだと思う。

 景も、あさひを部下として可愛がってくれた。
 彼との関係が変わったのは、部全体の忘年会だったと思う。
 酒に弱い景の介抱をしたのがきっかけで、ふたりでご飯を食べにいくようになった。いつしか、はっきりした言葉のないまま恋人としての付き合いが始まった。

 大きな喧嘩はしたことがない。ただ、景はあさひが自分より酒に強いのをよく思っていなかったから、あさひは景の前では飲まないようにしていた。喧嘩にならないように、努力していた。

 けれど順調だと思っていたのは、きっとあさひだけだったのだろう。

『結麻のことは……なんだかんだと頼られるうちに放っておけなくなって』

 くしくも、その言葉はあさひが付き合い始めた当時に言われたものとおなじだった。
 ひとりではなにもできずに頼ってくる女性には、景はとびきり優しい。
 けれどあさひは、仕事を覚え、ひとり立ちを始めた。
 今なら、景の庇護(ひご)したい対象から外されたのだとわかる。けれどそのときは、連絡が途切れがちなのも忙しいからだと自分をなだめていた。

(まさか浮気なんて……っ)

 あさひとの付き合いを宙ぶらりんにする一方で、結麻に甘い言葉をささやいたり……触れたのか。抱いたのか。
 バレなければいいと、思われていたのか。

< 7 / 116 >

この作品をシェア

pagetop