冷徹御曹司は想い続けた傷心部下を激愛で囲って離さない
「おかえりなさい、凌士さん」
「……ただいま」

 あさひが玄関で出迎えると、凌士はそう告げたきり立ち尽くした。

「お先に失礼してます。……凌士さん? どうされました?」
「今すぐ結婚したくなった」

 あさひの顔が曇ったのに気づいたのだろう、凌士は返事を求めずに玄関を上がった。ネクタイを緩めながら鼻を動かす。

「いい匂いがする。作ったのか?」
「はい。いつもの定食屋の女将さんにコツを教えてもらってきたので、そこまでひどくはないはずですが……」

 あさひ自身は洋食やエスニックな味が好きでもあり、これまで和食を作る機会は少なかった。けれど、凌士の好みを知ってからは和食も練習していたのだ。
 それでも凌士に出すと思うと安心はできず、女将にも教えを請うてきたという念の入れよう。

「食う」

 凌士が待てないとばかりに足早にキッチンへ向かう。あさひもあとを追い、夕食の支度をととのえた。
 テーブルには、凌士の好みのあっさりめの味つけにした豚バラ肉と大根の煮物に、初心者向け料理本の最初に出てきそうな、ほうれん草のごま和え、そしてにんじんとしめじの味噌汁。

 凌士がジャケットとネクタイを取り、シャツを肘までまくりあげる。ご飯をよそうあさひの隣で、凌士はダイニングボードからグラスをふたつ取りだした。

「この前作ったグラスですね!」
「ああ、あさひとふたりのときに使うと決めていた。ビールでいいか」
「はい」

 禁酒は続けているけれど、今日は別。せっかく揃いで作ったグラスがあるのに、飲まない選択はない。
 凌士はグラスをテーブルに並べ、冷蔵庫から取りだした缶ビールを注ぐ。寄り添うように並んだふたつのグラスを、あさひはじっと眺める。そのときふいに、プロポーズのときから感じていた引っかかりの正体に思い至った。

(そっか、だから……)

 乾杯、とグラスを合わせる。軽やかな音に、「いただきます」という凌士の声が被さる。
 凌士は黙々と箸を進めながら、ときおり小さくうなずく。凌士なりの「おいしい」の示しかただ。凌士はあっというまにすべて食べ終え、煮物のお代わりまですると息をついた。

「うまかった。会社帰りに作るのは大変だっただろう」
「でも、喜んでもらえたので作ったかいがありました」

 好きなひとに喜ばれる。これ以上に嬉しいことなんてない。

「次は俺も一緒にやる」
「はい。楽しみにしています。……ただ」

 まだ半分ほどビールが残ったグラスを手にして、あさひは姿勢を正した。
 凌士も本題がくると気づいたのか、表情をあらためる。

「結婚は……すみません」
「なにがいけない? 俺と一緒に生きていくのは嫌か」
< 78 / 116 >

この作品をシェア

pagetop