冷徹御曹司は想い続けた傷心部下を激愛で囲って離さない
     *

 空席のままの凌士の席にちらりと目を走らせ、あさひは自席のパソコンに視線を戻す。会議が長引いているのだろうか。
 凌士と付き合い始めてから、なにかにつけて彼の席を確認するのが癖になっている。
 忙しいのはわかっているけれど、タイミングが合うなら一緒に帰りたい。
 凌士の顔が見られないと、パズルの最後のピースが見つからないときのような心細さを覚えてしまう。

(なんて、それより仕事! 凌士さんの隣に立っても恥ずかしくないわたしにならないと)

 あさひは、先日凌士に話をしたプロジェクトの企画書に目を通す。打ち合わせをしてから、手嶋にブラッシュアップさせたものだ。
 手嶋の資料には、いくつか直すべき点があった。自分で直したほうが早いし、実際にそうしようかとも思ったけれど、それでは手嶋のためにならないだろう。
 反抗的な態度を取られるのを覚悟しつつ、あさひは手嶋を呼んだ。

「まとめてくれた企画書、よくできてたよ。ただ、さらによくするなら、ここの視点を広げて輸送コストにも言及すると——」

 あさひの席に回りこんだ手嶋が、熊みたいな体を屈めて、あさひの手にある資料をのっそりと覗きこむ。
 部下に指示を出すとき、胃に引きつれるような痛みが走る。指示を出せる立場じゃないという負い目があるせいだ。
 特に手嶋には、本来の実力を見透かされているのではという気がして落ち着かない。

(でも、それはぜったいに部下の前で顔に出しちゃダメ。研修時代も似たようなことを言われたし、気をつけないと)

 明らかに面倒くさそうにした手嶋に、あさひはにこやかに資料を返す。

「よろしくね」
「はあ」

 気のなさそうな返事にも心を削られ、あさひは飲み物を買いにいこうと財布を手にしてフロアを出る。そのときだった。

「あさひ先輩! いいところにいた!」

 声のほうを振り向けば、エレベーターホールに女性社員が立っていた。結麻だ。
 つい、結麻の左手の指輪に目がいってしまう。無意識に口元が歪んだ。

「なに? 急ぎじゃないなら、あとにしてもらえる?」
「急ぎですってば! 早く。景ちゃんを助けてください!」

 えっ、と思うまもなく、あさひは引きずられるようにして下りエレベーターに乗せられる。カフェテリアのある階に連れてこられ、あさひは困惑した。

「なんでここ? というか、野々上部長とは別の部署なんだけど」
「景ちゃんが、如月統括部長に吊し上げにされてるんですよ!? しかもあさひ先輩のせいっぽいし、なんとか助けてあげようと思わないんですか!?」
「なんとかって……」

 さっきから、あさひの前で「景ちゃん」と呼ぶ無神経さに気づいていないのだろうか。状況はさっぱりわからないながら、あさひが景を助けて当然のように思われるのも気分が悪い。
 でも、凌士と景が揉めているとなれば無視もできない。

 あさひは、本日の日替わり定食が飾られたショーケースを横目に、カフェテリアに駆けこんだ。
 結麻が息をのみ、あそこ、と窓際の一角を指差す。
 ——席を立ちあがった凌士が、景の胸ぐらをつかんでいた。

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