Einsatz─あの日のメロディーを君に─
第4章 過去─無法地帯─
第10話 学校みたいな
美咲が塾に通うようになったのは、十二月の下旬になってからだった。それまでは学校の勉強だけで大丈夫だったし理解も出来ていたけれど、一年の後半から成績は下がりっぱなしだった。以前から話を聞いていた彩加に案内をもらい、入塾テストを受けた。
通常授業ではなく、冬季講習から受けることになった。通常授業は席が決められているけれど講習の席は自由だったので、美咲は彩加の隣に座った。一人ずつのものではなく、三人掛けの長い机と、椅子は個別だ。後ろの机には裕人や朋之などよく知った男子たちが並んでいたので、ここは学校か、と思うくらいの顔ぶれだった。
美咲が入ったときは、同じ学校の人が多いな、と思うくらいだったのが、なぜか急に増え続けていつしか学年の半分以上が同じ学校の人になっていた。──侑子は他の塾を選んでいたけれど。だから学校の定期試験対策で学校ごとのクラスになったときは一番大きい教室でも全員が入ることは出来ず、江井中学の生徒は成績順に二つに分けられることになった。
講習がどういう授業展開をしていたのかは覚えていないけれど。
理科は阿部真治という先生で、出席をとってから教科書を捲り始めた。
「えー……磁界は次回します」
初日だったのもあって、美咲は後ろのほうで小さくなって座っていた。阿部の発言を特に気にせず『はーい』と心の中で返事をして次の言葉を待った。
「笑えよ!」
阿部がギャグを発したことには誰も気づいていなかったらしい。
どういう先生なんだ、と思いながら、周りの面子に戸惑いながら、美咲は少し緊張していた。だから突然の指名に対応出来ず、電流が苦手だったのもあって頭が回らなくなってしまった。
「んじゃ、この問題……紀伊」
一キロワットは何ワットか、という問題の答えが分からなかった。
「一キロメートルは何メートル?」
「千メートル」
「じゃあ……?」
単純に〝千ワット〟と答えれば良いのに、本当に分からなかった。隣に座る彩加は笑っていたし、後ろに座る男子たちも、『え?』という顔で美咲を見ていた。
数日後、美咲と彩加は黒板に一番近い席にいた。講習で使っていた教室は広く、後ろからではときどき見えなかった。近すぎて首が疲れるけれど、質問するにはちょうど良かった。
「ん? こう? こうか? あ……手攣る!」
理科の授業で〝フレミング左手の法則〟を習っていて、阿部は黒板に書いた電流の絵に自分の左手を合わせようとして悲鳴をあげていた。左に回せば良いものを右に回したらしい。
「先生、反対に回したら?」
「ん? あ、そうか……はい、こうなるから、電流は上に流れて磁界は右で──」
大人になった今は、何のこっちゃ、になってしまっているけれど、当時は楽しく勉強したはずだ。先生たちは厳しかったけれど、みんな冗談が通じる人だった。
体内の各臓器で分泌される液体とその働きの覚え方も、先生同士で共有していたらしい。
「大胆水鳥出た死亡ブドウ足グリ」
大胆な水鳥が出てきたら死亡した、死因はブドウで足をグリッとやっちゃった。唾液・胃液・胆汁・膵液・腸液/デンプン・たんぱく質・脂肪/ブドウ糖・アミノ酸・脂肪酸・グリセリン、の略だ。
何がどこで分解されて何に変わるのか、詳しいことは検索してください。
冬期講習の最後に試験があってから、普通の授業になった。
「えーっと席は……えー……何じゃこりゃ」
教室の入り口に張られていた座席表を見て美咲は顔を歪めた。
「これって……あの森尾? こっちも?」
「うん。囲まれたね」
学校でよく見る人たちが同じクラスになったのは分かっていたけれど。
美咲の席は、前から三列目の黒板に向かって右の壁側で。
目の前が森尾で。斜め後ろに朋之で。二つ後ろが彩加で。森尾の列の左端には裕人がいて、その後ろは一年のときに高井が前髪命と読んでいた女子だった。
もちろんそれ以外にも、同じ学校の人がたくさんいた。
(なんで塾来てまで危険物体に囲まれなあかんの……)
と思いながらも、美咲はいつも授業中は森尾の背中を観察していた。服装をチェックして、これはオシャレなのか?、と考えたりしていた。休み時間には横を向いて壁にもたれ、後ろの二人の隙間を覗きながら彩加と話をしていた。もちろん朋之が座っていて大きい声で話せないことは、覚えたばかりの指文字や合図を使っていた。
「大倉君、なんか寂しそうやなぁ」
「ほんまやな……」
という美咲と彩加の会話は、朋之も聞いていたらしい。
「ヒロ君? ああ……一人やな」
同じ学校の生徒はいるけれど、同じクラスの生徒は彼の近くにいない。
三人で裕人を見ていることには森尾も気づき、やがて四人の視線に裕人が振り返った。
「うわ、そっち良えなぁ。楽しそうやなぁ。俺もそっち行きたいわ」
「大倉君、俺と代わる?」
森尾が提案したけれど。
「嫌や、おまえと変わっても一番前やし、楽しくないわ。……トモ君とこが良いな。そこ行きたい、代わって」
「嫌やわ。俺も前行きたくないし」
「残念、大倉君、みんな嫌やって」
「うわぁ……トモ君、幼稚園から一緒やのになぁ……」
そんな話をしていると、次の授業の先生がやってきた。開始まではまだ時間があるので、美咲たちの会話に加わった。
「そうか、おまえら同じ学校か。江井中……多いよなぁ。そういえばまた入塾テスト何人か受けに来たらしいで」
「え、誰?」
「いや、名前は分かれへんけど」
「先生、俺そっちのトモ君と、紀伊と佐方と同じクラスやのに、俺ここで一人やねん。かわいそうやろ?」
「……そうやな。でも、席は決められてるからな」
「俺、一年とき紀伊さんと佐方さん同じクラスやったよな」
「え? うん」
森尾が後ろを向いて美咲に同意を求めてきた。ものすごく笑顔だったけれど、やはり彼には全くときめかない。同級生の中ではお洒落に見えるけれど、既に美咲の恋人候補ではない。
「紀伊と佐方……大変そうやな。ははは!」
「ちょ、先生、それどういう意味?」
先生が笑ったので裕人が問い詰めたけれど、先生はそのまま理由を言ってはくれなかった。
通常授業ではなく、冬季講習から受けることになった。通常授業は席が決められているけれど講習の席は自由だったので、美咲は彩加の隣に座った。一人ずつのものではなく、三人掛けの長い机と、椅子は個別だ。後ろの机には裕人や朋之などよく知った男子たちが並んでいたので、ここは学校か、と思うくらいの顔ぶれだった。
美咲が入ったときは、同じ学校の人が多いな、と思うくらいだったのが、なぜか急に増え続けていつしか学年の半分以上が同じ学校の人になっていた。──侑子は他の塾を選んでいたけれど。だから学校の定期試験対策で学校ごとのクラスになったときは一番大きい教室でも全員が入ることは出来ず、江井中学の生徒は成績順に二つに分けられることになった。
講習がどういう授業展開をしていたのかは覚えていないけれど。
理科は阿部真治という先生で、出席をとってから教科書を捲り始めた。
「えー……磁界は次回します」
初日だったのもあって、美咲は後ろのほうで小さくなって座っていた。阿部の発言を特に気にせず『はーい』と心の中で返事をして次の言葉を待った。
「笑えよ!」
阿部がギャグを発したことには誰も気づいていなかったらしい。
どういう先生なんだ、と思いながら、周りの面子に戸惑いながら、美咲は少し緊張していた。だから突然の指名に対応出来ず、電流が苦手だったのもあって頭が回らなくなってしまった。
「んじゃ、この問題……紀伊」
一キロワットは何ワットか、という問題の答えが分からなかった。
「一キロメートルは何メートル?」
「千メートル」
「じゃあ……?」
単純に〝千ワット〟と答えれば良いのに、本当に分からなかった。隣に座る彩加は笑っていたし、後ろに座る男子たちも、『え?』という顔で美咲を見ていた。
数日後、美咲と彩加は黒板に一番近い席にいた。講習で使っていた教室は広く、後ろからではときどき見えなかった。近すぎて首が疲れるけれど、質問するにはちょうど良かった。
「ん? こう? こうか? あ……手攣る!」
理科の授業で〝フレミング左手の法則〟を習っていて、阿部は黒板に書いた電流の絵に自分の左手を合わせようとして悲鳴をあげていた。左に回せば良いものを右に回したらしい。
「先生、反対に回したら?」
「ん? あ、そうか……はい、こうなるから、電流は上に流れて磁界は右で──」
大人になった今は、何のこっちゃ、になってしまっているけれど、当時は楽しく勉強したはずだ。先生たちは厳しかったけれど、みんな冗談が通じる人だった。
体内の各臓器で分泌される液体とその働きの覚え方も、先生同士で共有していたらしい。
「大胆水鳥出た死亡ブドウ足グリ」
大胆な水鳥が出てきたら死亡した、死因はブドウで足をグリッとやっちゃった。唾液・胃液・胆汁・膵液・腸液/デンプン・たんぱく質・脂肪/ブドウ糖・アミノ酸・脂肪酸・グリセリン、の略だ。
何がどこで分解されて何に変わるのか、詳しいことは検索してください。
冬期講習の最後に試験があってから、普通の授業になった。
「えーっと席は……えー……何じゃこりゃ」
教室の入り口に張られていた座席表を見て美咲は顔を歪めた。
「これって……あの森尾? こっちも?」
「うん。囲まれたね」
学校でよく見る人たちが同じクラスになったのは分かっていたけれど。
美咲の席は、前から三列目の黒板に向かって右の壁側で。
目の前が森尾で。斜め後ろに朋之で。二つ後ろが彩加で。森尾の列の左端には裕人がいて、その後ろは一年のときに高井が前髪命と読んでいた女子だった。
もちろんそれ以外にも、同じ学校の人がたくさんいた。
(なんで塾来てまで危険物体に囲まれなあかんの……)
と思いながらも、美咲はいつも授業中は森尾の背中を観察していた。服装をチェックして、これはオシャレなのか?、と考えたりしていた。休み時間には横を向いて壁にもたれ、後ろの二人の隙間を覗きながら彩加と話をしていた。もちろん朋之が座っていて大きい声で話せないことは、覚えたばかりの指文字や合図を使っていた。
「大倉君、なんか寂しそうやなぁ」
「ほんまやな……」
という美咲と彩加の会話は、朋之も聞いていたらしい。
「ヒロ君? ああ……一人やな」
同じ学校の生徒はいるけれど、同じクラスの生徒は彼の近くにいない。
三人で裕人を見ていることには森尾も気づき、やがて四人の視線に裕人が振り返った。
「うわ、そっち良えなぁ。楽しそうやなぁ。俺もそっち行きたいわ」
「大倉君、俺と代わる?」
森尾が提案したけれど。
「嫌や、おまえと変わっても一番前やし、楽しくないわ。……トモ君とこが良いな。そこ行きたい、代わって」
「嫌やわ。俺も前行きたくないし」
「残念、大倉君、みんな嫌やって」
「うわぁ……トモ君、幼稚園から一緒やのになぁ……」
そんな話をしていると、次の授業の先生がやってきた。開始まではまだ時間があるので、美咲たちの会話に加わった。
「そうか、おまえら同じ学校か。江井中……多いよなぁ。そういえばまた入塾テスト何人か受けに来たらしいで」
「え、誰?」
「いや、名前は分かれへんけど」
「先生、俺そっちのトモ君と、紀伊と佐方と同じクラスやのに、俺ここで一人やねん。かわいそうやろ?」
「……そうやな。でも、席は決められてるからな」
「俺、一年とき紀伊さんと佐方さん同じクラスやったよな」
「え? うん」
森尾が後ろを向いて美咲に同意を求めてきた。ものすごく笑顔だったけれど、やはり彼には全くときめかない。同級生の中ではお洒落に見えるけれど、既に美咲の恋人候補ではない。
「紀伊と佐方……大変そうやな。ははは!」
「ちょ、先生、それどういう意味?」
先生が笑ったので裕人が問い詰めたけれど、先生はそのまま理由を言ってはくれなかった。