Einsatz─あの日のメロディーを君に─
第11話 奇跡の出会い
年が明けて、学校も三学期になった。
塾ではさすがに危険物体たちも真面目に授業を受けているけれど、学校ではやはりそうはならないらしい。新学期早々に彼らは教室や廊下を走り回っていたし、破壊大魔王と裕人はなぜか教卓を壊していた。
「あーあ……またやってる……」
そんな“やんちゃ”すぎる二人とは、次の班替えで一緒になってしまった。もちろん、美咲と彩加に直接の影響は何もなかったけれど。美咲と彩加は教卓の前で、彩加の後ろに裕人。右側に違う班の朋之がいて、塾なのか学校なのか、よく分からなかった。
理科の授業で、ようやく電流を習った。授業が終わってからの美咲と彩加の会話の内容は、“フレミングのこと”だ。塾に通うようになって美咲の成績が戻ったかは覚えていないけれど、入って良かったとは思う。
数日後の昼休み、美咲と彩加は国語の教科書を開いていた。古文の平家物語『木曾の最期』の音読を先生に聞いてもらわなければならなかったからだ。
「ひやうふつと射る、ってなに?」
「ひゅぅーっ、って飛んでいくんじゃない?」
美咲と彩加は読みの練習をしていたけれど、やはり男子たちは走り回るほうを優先させたらしい。そんな中で裕人は一人だけ、自分の席で塾の宿題を片付けていたのだけれど。
「あー、なんか疲れた」
美咲はそう言ってから教科書を閉じた。
「侑ちゃんに手紙書こっかなぁ」
美咲の席は教卓に向かって左側だった。普段なら左側に掛けてある鞄を持ち上げて中から便箋を探すけれど、その日は机の中に入れた気がしていた。だから机の中身を引っ張ったけれど、気のせいだったらしい。
ダダダダダダ──
その頃、廊下で走り回っていた朋之が一人で教室に逃げ込んだのは視界の隅に見ていた。
(鞄、鞄ーっと)
ドーン!
(えええ?)
「ごめんなさぁい」
彼は後ろから前に走ってきて、曲がりきれずに美咲の机に追突してしまっていた。教卓の手前で滑って笑い、なんとか持ち直して彼はそのまま走っていった。もし美咲が鞄を持ち上げるのが少し早かったら、おそらく彼の顔面に直撃していた。教科書やノートもいつもは左側に置いているけれど、その日は右に置いていて正解だった。
「今の……山口君?」
「うん。……さってっ、教科書読も」
ふと美咲が後ろを見ると、裕人は全く気にせずに塾の宿題を続けていた。
思いがけないことは続いて起こるようで、その日、三学期最初の音楽の授業は先生が変わると聞いていた。
一年のときに担当してくれた男の先生は非常に良かったけれど、彼は楽団に加入すると言って年度末に学校を離れていった。今年度から女の先生に変わると聞いてそれはそれで楽しみにしていたけれど、大学を卒業してすぐの彼女は初めは親しみやすいと思われたけれど、やがて嫌味ばかり言うようになって大半の生徒に嫌われていた。
「お礼のメッセージ渡したら?」
彼女が担当ではなくなると聞いたときに担任が言っていたけれど、それは代議員だった朋之が全員分をまとめて二学期最後の授業で渡すことになったけれど、感謝の気持ちは全然こもっていなかったし、渡す気もなさそうだった。美咲が音楽室から出ようすると、彼女に呼び止められた。嫌な顔をすると「悪いことちゃうから」と、やはり美咲のことも良く思っていなかったらしい。
音楽の新しい先生・篠山は、それまで産休を取っていたらしい。代わりになっていた先生とは違い、非常に親しみやすい先生だった。他の先生と比べて喋りすぎではあったけれど。
終わってから帰ろうとしたとき、やはり美咲は篠山に呼ばれた。そうなることは、なんとなく予想していた。
「今度の合唱コンクールで伴奏するのは聞いてるけど、一回弾いてみて」
「はーい……どっち? 課題曲? 自──」
「自由曲弾いて」
一緒にいた彩加には待ってもらい、美咲はピアノの前に座った。そして自由曲の冒頭数小節を弾いたあと、篠山が『大丈夫そうやね』と言うのを聞いてから止めた。
「紀伊さん……小学校低学年のときに、自転車とぶつかって怪我したでしょ?」
「え?」
「七年くらい前……学校行くときに中学生の女の子と……」
「小学校……あっ、……した……めっちゃ怪我した」
七年前・小学校一年のとき、美咲は確かに自転車の中学生とぶつかって怪我をした。通学路だった国道沿いの細い歩道に電柱のせいで更に狭くなった場所があって、そこを通るときに正面衝突した。道はカーブしているので、見通しが非常に悪い。
「なんで知ってんの……?」
当時から篠山は江井中学に勤めていたらしい。
「出勤して廊下歩いてたら、女の子が私のとこ来て、泣きながら『小学生の女の子と自転車でぶつかったーどうしよう!』って言うのよ。それで『名前は?』って聞いたら『平仮名で〝きい みさき〟って書いてあった』って」
遅刻しそうだったのもあって、美咲は気にせずそのまま登校し、いつも通りに過ごしていた。篠山は小学校に電話をしてくれたようで、一限目が終わった休み時間に保健の先生が教室に飛んできた。特に痛いところはなかったけれど、両足に大怪我をしていた。
「もうすぐあの子が入ってくるんやなぁって思ってたんやけど……ちょうど産休から戻ってきたら受け持つことになって」
篠山にそのことを言われるまで、美咲は当時の怪我のことをすっかり忘れてしまっていた。なのに、面識のない、事故に直接関係のない篠山がずっと覚えていた。
その時の気持ちは何と言っていいのかわからない。
江井中学の柄が悪いのを心配した両親にも勧められて、美咲は私立中学を受験していた。不合格だったので江井中学に進学したけれど、もし合格していたら篠山には出会っていなかった。もちろん、これから長い付き合いにもなる同級生たちともだ。
もしかすると、私立に行ったほうが良いことがあった、かもしれないけれど。それは後に彩加と裕人、それから高井が進学することになる学校の中等部なので、彼らとは違う形で出会ったかもしれないけれど。もっと後に出会う、美咲の最初の夫の母校でもあるので、先輩・後輩になっていたかもしれないけれど。
美咲が江井中学に進学したことは、いろんな意味で正解だった。
塾ではさすがに危険物体たちも真面目に授業を受けているけれど、学校ではやはりそうはならないらしい。新学期早々に彼らは教室や廊下を走り回っていたし、破壊大魔王と裕人はなぜか教卓を壊していた。
「あーあ……またやってる……」
そんな“やんちゃ”すぎる二人とは、次の班替えで一緒になってしまった。もちろん、美咲と彩加に直接の影響は何もなかったけれど。美咲と彩加は教卓の前で、彩加の後ろに裕人。右側に違う班の朋之がいて、塾なのか学校なのか、よく分からなかった。
理科の授業で、ようやく電流を習った。授業が終わってからの美咲と彩加の会話の内容は、“フレミングのこと”だ。塾に通うようになって美咲の成績が戻ったかは覚えていないけれど、入って良かったとは思う。
数日後の昼休み、美咲と彩加は国語の教科書を開いていた。古文の平家物語『木曾の最期』の音読を先生に聞いてもらわなければならなかったからだ。
「ひやうふつと射る、ってなに?」
「ひゅぅーっ、って飛んでいくんじゃない?」
美咲と彩加は読みの練習をしていたけれど、やはり男子たちは走り回るほうを優先させたらしい。そんな中で裕人は一人だけ、自分の席で塾の宿題を片付けていたのだけれど。
「あー、なんか疲れた」
美咲はそう言ってから教科書を閉じた。
「侑ちゃんに手紙書こっかなぁ」
美咲の席は教卓に向かって左側だった。普段なら左側に掛けてある鞄を持ち上げて中から便箋を探すけれど、その日は机の中に入れた気がしていた。だから机の中身を引っ張ったけれど、気のせいだったらしい。
ダダダダダダ──
その頃、廊下で走り回っていた朋之が一人で教室に逃げ込んだのは視界の隅に見ていた。
(鞄、鞄ーっと)
ドーン!
(えええ?)
「ごめんなさぁい」
彼は後ろから前に走ってきて、曲がりきれずに美咲の机に追突してしまっていた。教卓の手前で滑って笑い、なんとか持ち直して彼はそのまま走っていった。もし美咲が鞄を持ち上げるのが少し早かったら、おそらく彼の顔面に直撃していた。教科書やノートもいつもは左側に置いているけれど、その日は右に置いていて正解だった。
「今の……山口君?」
「うん。……さってっ、教科書読も」
ふと美咲が後ろを見ると、裕人は全く気にせずに塾の宿題を続けていた。
思いがけないことは続いて起こるようで、その日、三学期最初の音楽の授業は先生が変わると聞いていた。
一年のときに担当してくれた男の先生は非常に良かったけれど、彼は楽団に加入すると言って年度末に学校を離れていった。今年度から女の先生に変わると聞いてそれはそれで楽しみにしていたけれど、大学を卒業してすぐの彼女は初めは親しみやすいと思われたけれど、やがて嫌味ばかり言うようになって大半の生徒に嫌われていた。
「お礼のメッセージ渡したら?」
彼女が担当ではなくなると聞いたときに担任が言っていたけれど、それは代議員だった朋之が全員分をまとめて二学期最後の授業で渡すことになったけれど、感謝の気持ちは全然こもっていなかったし、渡す気もなさそうだった。美咲が音楽室から出ようすると、彼女に呼び止められた。嫌な顔をすると「悪いことちゃうから」と、やはり美咲のことも良く思っていなかったらしい。
音楽の新しい先生・篠山は、それまで産休を取っていたらしい。代わりになっていた先生とは違い、非常に親しみやすい先生だった。他の先生と比べて喋りすぎではあったけれど。
終わってから帰ろうとしたとき、やはり美咲は篠山に呼ばれた。そうなることは、なんとなく予想していた。
「今度の合唱コンクールで伴奏するのは聞いてるけど、一回弾いてみて」
「はーい……どっち? 課題曲? 自──」
「自由曲弾いて」
一緒にいた彩加には待ってもらい、美咲はピアノの前に座った。そして自由曲の冒頭数小節を弾いたあと、篠山が『大丈夫そうやね』と言うのを聞いてから止めた。
「紀伊さん……小学校低学年のときに、自転車とぶつかって怪我したでしょ?」
「え?」
「七年くらい前……学校行くときに中学生の女の子と……」
「小学校……あっ、……した……めっちゃ怪我した」
七年前・小学校一年のとき、美咲は確かに自転車の中学生とぶつかって怪我をした。通学路だった国道沿いの細い歩道に電柱のせいで更に狭くなった場所があって、そこを通るときに正面衝突した。道はカーブしているので、見通しが非常に悪い。
「なんで知ってんの……?」
当時から篠山は江井中学に勤めていたらしい。
「出勤して廊下歩いてたら、女の子が私のとこ来て、泣きながら『小学生の女の子と自転車でぶつかったーどうしよう!』って言うのよ。それで『名前は?』って聞いたら『平仮名で〝きい みさき〟って書いてあった』って」
遅刻しそうだったのもあって、美咲は気にせずそのまま登校し、いつも通りに過ごしていた。篠山は小学校に電話をしてくれたようで、一限目が終わった休み時間に保健の先生が教室に飛んできた。特に痛いところはなかったけれど、両足に大怪我をしていた。
「もうすぐあの子が入ってくるんやなぁって思ってたんやけど……ちょうど産休から戻ってきたら受け持つことになって」
篠山にそのことを言われるまで、美咲は当時の怪我のことをすっかり忘れてしまっていた。なのに、面識のない、事故に直接関係のない篠山がずっと覚えていた。
その時の気持ちは何と言っていいのかわからない。
江井中学の柄が悪いのを心配した両親にも勧められて、美咲は私立中学を受験していた。不合格だったので江井中学に進学したけれど、もし合格していたら篠山には出会っていなかった。もちろん、これから長い付き合いにもなる同級生たちともだ。
もしかすると、私立に行ったほうが良いことがあった、かもしれないけれど。それは後に彩加と裕人、それから高井が進学することになる学校の中等部なので、彼らとは違う形で出会ったかもしれないけれど。もっと後に出会う、美咲の最初の夫の母校でもあるので、先輩・後輩になっていたかもしれないけれど。
美咲が江井中学に進学したことは、いろんな意味で正解だった。