Einsatz─あの日のメロディーを君に─

第14話 春休みの出来事

 学校は二年の課程が終わって春休みに入り、塾でも通常授業が終わって春期講習になった。冬期は席は自由だったけれど、今回は決まっているらしい。クラス替えはあったけれど特に大きな変更はなく、美咲と彩加はまだ同じクラスだった。もちろん、裕人や朋之、森尾も一緒だ。

「は? 待って、後ろ竹田でしかもこれ?」
 竹田というのは男子生徒で、学校のクラスは違うけれど美咲は幼稚園の頃から知っていた。母親も仲が良かったせいか、遊んだ記憶もある。小学校は別になって距離ができたので、それ以降に話した記憶はない。
 竹田はさておいて、彼の二つ隣が朋之だった。
(いや、これ……、あかんって。慣れたけどあかんって)
 後ろを向かない限りは視界に入らなかったけれど、全く入らないわけではなかった。ギリギリで視界に入る位置に彼は座っていた。

「あ! 国語のノート忘れた!」
 それは、美咲だ。
 国語の先生は、女性だったけれどかなり怖かった。もちろん美咲は怒られたけれど、それほどキツく言われずに済んだ。後ろの二人に確実に見られていたのは嫌ではあったけれど。
(って、待って、何これ……)
 国語のノートを忘れた上に、英語の小テストが不合格だった。英語の先生も若い女性だったけれど、やはり厳しかった。
(くそう……英語の復習……しかも多いし……)

「美咲ちゃーん、頑張れー」
 授業が終わってから残っていたのは美咲と、それを待つ彩加だけだった。
「あーもー嫌やぁ」
「あんたが勉強せーへんから悪いんやろー」
「彩加ちゃん、先帰って良いで?」
「いいよ。帰ってもやることないし」
 彩加は笑っていた。

 通っていた塾は隣町にあった。地元に塾はいくつかあったけれど、その塾が有名だったからだ。通っている間に江井市にも同じ塾が出来たけれど、対象は小学生だった。中学生を対象としていた隣町の塾には、江井市より更に遠い町からやってくる生徒もいた。
 だから授業終了の午後九時半を回ると、最寄りの駅はいつもうるさくなっていた。線路に下りるバカもいて、駅員はいつも怒っていた。
 美咲が復習を終えて帰るとき、駅に人影はほとんどなかった。降りる一つ手前の駅で彩加を見送り、美咲はもう数分揺られてから電車を降りた。

「おかえり」
 駅前で母親が待っていた。
「今日、中学のクラブの先生から電話あったよ」
「電話? なんで?」
「クラブの用事があるから来てほしいんやって」
 新入部員募集のためのポスターを描くらしい。

 同じ電話は、彩加の家にもかかっていたらしい。
「面倒くさいなぁ」
「なんで春休みに行かんとあかんのよ。三学期の間にやっといてほしかったなぁ」
(三学期……二年……もっかい(もう一回)あのクラスに行きたいなぁ)
 美咲はそんなことを思い、日記にも書いた。

「もっかい前のクラスでやりたいよなぁ」
(え?)
 塾で同じことを言ったのは朋之だった。彼は隣の竹田と話していたのだろうか。
(ほんま、もっかい戻りたい……)
 あのバカの塊のとんでもないクラスに。
「あー、そこ三人で交換して。んで紀伊、後ろ向いて竹田と」
(はあ? こいつと?)
 小テストはいつも隣と交換して答え合わせをしていたけれど、美咲の隣が休みのときはいつも相手が竹田になってしまった。
(うわー嫌や……でも……、山口君よりマシかな……でもな……まぁいいや)
 点数がどうだったかは忘れたけれど、とりあえず合格していたらしい。

 四月一日は雨が降っていた。
 美咲は彩加と侑子の三人で、学校近くの交差点で待ち合わせをしていた。彩加は通学路が違ってその場所は通らないので決めるときに不思議だったけれど、彩加はちゃんと交差点に現れた。
「あれ? 彩加ちゃん、どっから来たん?」
 彩加は自転車通学なのに歩いていて、しかも駅のほうからやってきた。
「公共移動物を使ってきた」
「え? 公共移動物……?」
 雨の日に自転車も大変なので電車に乗ってきたらしい。

 学校に到着して、三人は保健室に行った。放送部の顧問が保健の先生で、保健室が第二の部室だったからだ。
「あっ、おはよう。ごめんね、わざわざ」
 部長など他の部員も到着していて、保健室で遊んでいた。
「先生ー、こういうことは去年のうちにやっとこうよ」
「ごめんねぇ、すっかり忘れちゃってて」
 と言いながらも、部員たちは楽しくポスターを作っていた。新入部員が来る気は、全くしていなかったけれど。もちろん来てくれないと、卒業学年しかいないクラブになるので、学校としても困るけれど。

 塾の社会は、塾長・山川(やまかわ)(ひろし)が担当だった。背は低いほうで、小柄な彩加とあまり変わらない。ただ、やはり知識は豊富で、板書のときは小さい字で黒板全体を埋め尽くしていた。写すのがかなり大変だったけれど、早く書くことが鍛えられた。
 その頃に習っていたのは、旧ソ連・ロシアのことだった。具体的に何を、そんなことは忘れたけれど、当時も今も、その国に関する歴史上の人物の名前で美咲がわかるのは一人しかない。

「この下線Bに当てはまるのは誰や? 竹田?」
 竹田が当てられたけど、彼は「わかりません」と答えた。
(うっそ、こいつ……へへっ、勝った)
「紀伊?」
(ええ、なんで私……まぁ合ってると思うけど……)
「レーニン」
「そうやな。竹田、いいか?」
 美咲が知っているのは、レーニンだけだった。それを証拠に、社会の小テストはいつも不合格だった。みんな七割は取れているのに、美咲はいつも半分以下だった。答え合わせの後で点数を言わされるのが、いつも嫌だった。ちなみにレーニンが何をした人かは、大人になった今はさっぱり覚えていない。

 保護者勉強会のお知らせをもらったのはその翌日だった。保護者が勉強するのではなく、高校受験や塾の説明会だ。
 美咲は帰ってすぐに母親に渡したけれど。
「どうしよっかなぁー。佐方さんのお母さん知らんし……。あ、もしもし?」
 美咲の母親が電話したのは、竹田の母親だった。
(うわ……)
「え? プリントもらってきてない?」
 竹田は勉強会のお知らせを渡していなかったらしい。美咲は部屋に入ったので、その後のことは知らない。

 塾の春期講習は四月七日に無事に終了した。
 美咲が登校拒否をしたくなる前日のことだった。
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