Einsatz─あの日のメロディーを君に─
第31話 コンサートのあとで
秋のコンサートで、えいこんとHarmonieはまた顔を合わせることになった。合同ではなく、今回は単独での出演だ。
井庭がHarmonieの代表を引退することは、メンバーではまだ朋之と美咲以外には伝えられていない。定演のあとで言うつもりにしていたらしいけれど、言う時間がないままコンサートが近づき、朋之もまだ悩んでいたのでメンバーを不安にはさせたくなかったらしい。
Harmonieが危機というのは彩加から篠山に伝わり、えいこんの人数が減っていることも、裕人から朋之と美咲に伝えられていた。だから朋之が暗い顔をしているところに篠山が通りかかっても、特に驚かれることはなかった。危機は篠山も同じなので、むしろ一緒に暗い顔になった。
「あんまり沈んでたら歌に影響するで?」
「はい……」
「相談ならいつでも乗るから。いまは今日のステージに集中しとき。井庭先生も、他のメンバーも心配するやろうし」
篠山にそう言われ、朋之は深呼吸をしてから控え室に戻った。ピアノがある部屋を借りられたので、美咲が一人で練習していた。今年の曲はメロディがシンプルなものを選んだので、伴奏も易しいと美咲は言っていた。その代わり大事になるのは、音の明るさと言葉の柔らかさだ。暗い気持ちで演奏すると汚く聴こえるのは、美咲も同じだ。
「美咲、顔かたい」
「え?」
「客席からは見えんけど、笑顔でな。……ってさっき篠山先生に言われた」
「あ──うん。ついあのこと考えてしまって……」
美咲は両手で頬を押し上げた。無理にでも笑顔を作って、メンバーを安心させないといけない。井庭が普段通りでも、団長と伴奏が不安定では良い演奏はできない。
控え室に全員がいるのを確認してから最後の練習をして、舞台袖で順番が来るのを待った。Harmonieの次にえいこんが出るので、列の後方で待機していた美咲はえいこんのメンバーを数えた。美咲が知っている時期と比べると、確かに人数は少ないと感じた。
「先生……、彩加ちゃんは?」
「あれ、いてない? ああ、あそこ、アルトの……後ろ向いて喋ってるわ。楽譜見れへんし覚えられてないからって迷ってたけど、出てくれたの。──美咲ちゃんもやけど、彩加ちゃんも四十歳手前には見えへんよなぁ」
美咲は篠山と、彩加の思い出話をしていた。そのことには彩加も気付いていたけれど、驚いてから手を振っただけで寄っては来なかった。
Harmonieの出番が来て、美咲はメンバーの最後にステージに出た。メンバーを見渡して、朋之がいつも通りなのも確認して、井庭の登場を待った。井庭が楽しそうにしていたので、美咲も後の事は考えずに演奏することができた。もちろん、雛壇に並んでいるメンバーたちも同じだ。
控え室に戻っていつも通りのミーティングをしてから、大事な話があります、と井庭は真剣な顔をした。
「申し訳ないんやけど、来年の定演で──Harmonieの代表を引退します」
当然、メンバー全員から驚きの声が上がった。たまたまHarmonieを選んだメンバーもいるけれど、井庭から教わりたくてHarmonieを選んだメンバーも多い。井庭がいなくなることは、誰も想定していなかった。
「先生いなくなったら……解散ですか?」
メンバーからの質問にも、どよめきが起きた。
朋之と美咲は、知っていたので特に何も言わなかった。朋之はまだ井庭には何の返事もしていない。
「解散……かもしれん」
どよめきは収まらない。
「ただ──後任の依頼は出してます。まだ良い返事はもらってないからどうなるかは分かれへんけど、決まったらまたお知らせします」
「誰に頼んでるんですか?」
「それは、決まったら言います。みんなもよく知ってる人です」
誰だろう、とまたメンバーはざわざわし始める。美咲が朋之のほうを見ると、彼は少し険しい顔をしていた。自分で代表が務まるのかという不安と、いまは名前を出すなという井庭へのメッセージだ。
「先生は辞めてどうするんですか?」
「どうしようかなぁ。時々は、顔出します」
ミーティングが終わって解散になり、美咲はまっすぐ朋之のところへ行った。まだ近くにメンバーはいたので詳しい話はせず、ただ彼の背中をぽんぽんと叩いた。そして、井庭に話しかけた。
「先生──もし解散になったら……先生は、良いんですか?」
美咲の質問は他のメンバーにも聞こえていたようで、何人かが振り返った。
「うーん……まぁ、嫌といえば嫌やけどな。そのときは、他のとこに移ってくれても良いし。二人も、えいこんのほうが練習行くの近いやろ?」
えいこんは美咲の古巣でもあるけれど、多くの思い出があるのはHarmonieだ。
「そんな暗い顔せんでも、何とかなるって。山口君も、落ち込んでる暇ないで? 言うてる間にクリスマスコンサートやで」
井庭は、ははは、と笑い、残っていたメンバーに声をかけながら控え室を出ていった。最後に残された美咲と朋之は、見届けてからため息をついた。
車に乗ってエンジンをかけ、話題はもちろんHarmonieのことだ。朋之は暗い表情のまま、不安を口にする。代表を務める自信はないし、会社で任される仕事も増えたのでHarmonieに割ける時間も減った。だからと言ってHarmonieを解散させたくもない。
「美咲はどうする? もし解散になったら。えいこん行く?」
「どうやろなぁ……。行くにしても、それはトモが行くって言ったときやわ。一人では行けへん」
美咲が言うと朋之は少しだけ笑った。
「それに出禁解除なってないし」
「……そうやったな」
美咲は篠山やえいこんメンバーとは普通に話すし、Harmonieとえいこんの合同のときは普通にえいこんの練習場所に行っているけれど。数年前、まだ幼かった美歌を連れて、えいこん単独の練習にも顔を出していたけれど。篠山と再会したときに出された“えいこんへのメンバーとしての出禁”はまだ解除されていない。
「えいこんも、人数減ってるから危ないみたいやけどな」
「さっき見たけど、ほんまに少なかったわ。コンクールの規定はクリアできてるみたいやけど……減ったなぁ」
「なぁ美咲──こんなんどうかな」
朋之の提案に美咲はすぐには頷けなかった。
井庭がHarmonieの代表を引退することは、メンバーではまだ朋之と美咲以外には伝えられていない。定演のあとで言うつもりにしていたらしいけれど、言う時間がないままコンサートが近づき、朋之もまだ悩んでいたのでメンバーを不安にはさせたくなかったらしい。
Harmonieが危機というのは彩加から篠山に伝わり、えいこんの人数が減っていることも、裕人から朋之と美咲に伝えられていた。だから朋之が暗い顔をしているところに篠山が通りかかっても、特に驚かれることはなかった。危機は篠山も同じなので、むしろ一緒に暗い顔になった。
「あんまり沈んでたら歌に影響するで?」
「はい……」
「相談ならいつでも乗るから。いまは今日のステージに集中しとき。井庭先生も、他のメンバーも心配するやろうし」
篠山にそう言われ、朋之は深呼吸をしてから控え室に戻った。ピアノがある部屋を借りられたので、美咲が一人で練習していた。今年の曲はメロディがシンプルなものを選んだので、伴奏も易しいと美咲は言っていた。その代わり大事になるのは、音の明るさと言葉の柔らかさだ。暗い気持ちで演奏すると汚く聴こえるのは、美咲も同じだ。
「美咲、顔かたい」
「え?」
「客席からは見えんけど、笑顔でな。……ってさっき篠山先生に言われた」
「あ──うん。ついあのこと考えてしまって……」
美咲は両手で頬を押し上げた。無理にでも笑顔を作って、メンバーを安心させないといけない。井庭が普段通りでも、団長と伴奏が不安定では良い演奏はできない。
控え室に全員がいるのを確認してから最後の練習をして、舞台袖で順番が来るのを待った。Harmonieの次にえいこんが出るので、列の後方で待機していた美咲はえいこんのメンバーを数えた。美咲が知っている時期と比べると、確かに人数は少ないと感じた。
「先生……、彩加ちゃんは?」
「あれ、いてない? ああ、あそこ、アルトの……後ろ向いて喋ってるわ。楽譜見れへんし覚えられてないからって迷ってたけど、出てくれたの。──美咲ちゃんもやけど、彩加ちゃんも四十歳手前には見えへんよなぁ」
美咲は篠山と、彩加の思い出話をしていた。そのことには彩加も気付いていたけれど、驚いてから手を振っただけで寄っては来なかった。
Harmonieの出番が来て、美咲はメンバーの最後にステージに出た。メンバーを見渡して、朋之がいつも通りなのも確認して、井庭の登場を待った。井庭が楽しそうにしていたので、美咲も後の事は考えずに演奏することができた。もちろん、雛壇に並んでいるメンバーたちも同じだ。
控え室に戻っていつも通りのミーティングをしてから、大事な話があります、と井庭は真剣な顔をした。
「申し訳ないんやけど、来年の定演で──Harmonieの代表を引退します」
当然、メンバー全員から驚きの声が上がった。たまたまHarmonieを選んだメンバーもいるけれど、井庭から教わりたくてHarmonieを選んだメンバーも多い。井庭がいなくなることは、誰も想定していなかった。
「先生いなくなったら……解散ですか?」
メンバーからの質問にも、どよめきが起きた。
朋之と美咲は、知っていたので特に何も言わなかった。朋之はまだ井庭には何の返事もしていない。
「解散……かもしれん」
どよめきは収まらない。
「ただ──後任の依頼は出してます。まだ良い返事はもらってないからどうなるかは分かれへんけど、決まったらまたお知らせします」
「誰に頼んでるんですか?」
「それは、決まったら言います。みんなもよく知ってる人です」
誰だろう、とまたメンバーはざわざわし始める。美咲が朋之のほうを見ると、彼は少し険しい顔をしていた。自分で代表が務まるのかという不安と、いまは名前を出すなという井庭へのメッセージだ。
「先生は辞めてどうするんですか?」
「どうしようかなぁ。時々は、顔出します」
ミーティングが終わって解散になり、美咲はまっすぐ朋之のところへ行った。まだ近くにメンバーはいたので詳しい話はせず、ただ彼の背中をぽんぽんと叩いた。そして、井庭に話しかけた。
「先生──もし解散になったら……先生は、良いんですか?」
美咲の質問は他のメンバーにも聞こえていたようで、何人かが振り返った。
「うーん……まぁ、嫌といえば嫌やけどな。そのときは、他のとこに移ってくれても良いし。二人も、えいこんのほうが練習行くの近いやろ?」
えいこんは美咲の古巣でもあるけれど、多くの思い出があるのはHarmonieだ。
「そんな暗い顔せんでも、何とかなるって。山口君も、落ち込んでる暇ないで? 言うてる間にクリスマスコンサートやで」
井庭は、ははは、と笑い、残っていたメンバーに声をかけながら控え室を出ていった。最後に残された美咲と朋之は、見届けてからため息をついた。
車に乗ってエンジンをかけ、話題はもちろんHarmonieのことだ。朋之は暗い表情のまま、不安を口にする。代表を務める自信はないし、会社で任される仕事も増えたのでHarmonieに割ける時間も減った。だからと言ってHarmonieを解散させたくもない。
「美咲はどうする? もし解散になったら。えいこん行く?」
「どうやろなぁ……。行くにしても、それはトモが行くって言ったときやわ。一人では行けへん」
美咲が言うと朋之は少しだけ笑った。
「それに出禁解除なってないし」
「……そうやったな」
美咲は篠山やえいこんメンバーとは普通に話すし、Harmonieとえいこんの合同のときは普通にえいこんの練習場所に行っているけれど。数年前、まだ幼かった美歌を連れて、えいこん単独の練習にも顔を出していたけれど。篠山と再会したときに出された“えいこんへのメンバーとしての出禁”はまだ解除されていない。
「えいこんも、人数減ってるから危ないみたいやけどな」
「さっき見たけど、ほんまに少なかったわ。コンクールの規定はクリアできてるみたいやけど……減ったなぁ」
「なぁ美咲──こんなんどうかな」
朋之の提案に美咲はすぐには頷けなかった。