元皇女なのはヒミツです!


「リナ、見てくれ。俺が初めて労働をして手に入れた報酬だ」

 帰り道、セルゲイは嬉しそうに私に封筒をひらひらと見せてきた。
 その中には今日の分の給金が入っていた。彼は最初は辞退したのだけれど、マーサさんが「庶民は貸し借りなし」と、半ば強制的に押し付けたのだった。

「良かったわね。――と言っても、平民の賃金なんて貴族の令嬢の一回分のお茶代にも満たないわよ」と、私は念のため忠告しておく。きっと貴族が思っている金額と平民の金額はとてつもない乖離があると思うのだ。

「それでも嬉しいよ」と、セルゲイはふっと微笑んだ。

 私はドキリとして思わずそっぽを向く。顔が熱かった。

「どうしたんだ?」と、彼は首を傾げる。

「べ、別に。……そ、それより相変わらず女性陣から人気なのね。素晴らしいこと」

 狼狽して、ついつい皮肉を言ってしまった。

 セルゲイは少し目を見開いてから、

「なんだ。俺の人気に嫉妬しているのか」と、ニマニマといたずらっぽく笑った。

「はっ、はぁ!? 違うわよ!」

「大丈夫だよ。俺が好きなのはこれからもずっと君だけだから」

 彼は今度はとても柔らかい表情で言った。

「えぇえぇえ……」

 私は暗闇でも分かるんじゃないかってくらいに頬を真っ赤に染めた。

「な、なんで突然そんなことを言うの……」

「ちゃんと言葉にしないと分からないだろう? 俺には王太子殿下みたいに手紙はないけど、言葉だったらいくらでも気持ちを伝えられるから」

「…………」

 私たちは、しばらく無言で見つめ合った。その間も、胸に早鐘が鳴りっぱなしだった。

「そ、そう!」

 私は逃げるようにセルゲイの先を歩き始める。彼は歩調を合わせて隣を歩いた。

「そっ、そういえば!」私は気まずい空気に耐えきれずに口を開いた。「今日は本当にありがとう。おかげで助かったわ。でも、公爵令息があんなことをして良かったの?」

「あぁ、昔の俺だったらやらなかったかもな」

「昔?」

「そう、昔。帝国時代の自分だったら絶対にやらなかったと思うよ。あの頃は名門貴族の血筋っていう高いプライドがあって、でも三男だから自分にはなにも残らないっていうコンプレックスもあって、その葛藤でいろいろ拗らせていたからな」

「……セルゲイでも、悩みとかあるのね」

「はぁ? 俺のことなんだと思ってるんだ」

「だって、あなたって家柄も顔も学業も魔法も剣の腕もずば抜けていいのに、悩むことってある?」

「俺のもいろいろあるんだよ……」セルゲイはちょっとため息をついてから「でも、君を見て変わったんだ」

「わっ、私……?」

「そうだ。リナは皇女から平民になっても挫けずに努力しているし、苦労なんて見せずにいつも笑顔でいるだろう? そういう姿を見て自分も前向きに生きようって思ったんだよ」

「そうなんだ……」

 私は口を噤む。そんなことを正面から言われると照れくさくて、なんだか身体がむずむずとした。彼がこんなことを思っていたなんて……ちょっと嬉しい。

「あぁ。あとは出会った頃のグレースだな。絶対にああはなるまい、って」と、セルゲイは冗談っぽく言ってくつくつと笑った。

「そうね。たしかに。分かるわ」と、私もくすくすと笑う。


 そして私たちは再び無言で歩き始める。冷たい夜風が肌に突き刺さった。

「……!」

 出し抜けに、セルゲイは私と手を繋いできた。
 突然のことにびっくりしたけど、嫌な気分ではなかった。
 まだ夜は寒いけど、握った手は温かかった。

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