元皇女なのはヒミツです!

8 炎の道を行く

「リーナ!」


 振り返ると、息せき切ったフレデリック様がそこにいた。ビクリと心臓が跳ねる。
 私もセルゲイも硬直したままで、瞳だけ彼を追った。
 遠くでミルキーウェイ・リヴァーにいる恋人たちの声がさざ波のように聞こえて、テントの中は夜の海のような妙な静けさが漂っていた。

 リーナ――エカチェリーナの愛称だ。私は息を凝らす。恐れていたことが現実になる。
 ついにこのときがやって来たのね。
 フレデリック様は……皇女を見つけたのだ。
 エカチェリーナ・ニコラエヴナ・アレクサンドルを。



「リーナ……やっと君に会えた」

 しばらくしてフレデリック様は、ふっと私に微笑みかけた。
 対する私とセルゲイは表情が強張ったままだ。
 ドクドクと身体中が脈打っているのが聞こえる。極度の緊張で一瞬気を失いそうになるが、持ち前の胆力でなんとか正気を保った。

 私はおもむろに立ち上がって、一歩前へ出る。
 正面を向いてまっすぐにフレデリック様――フレデリック・リーズ王太子殿下を見た。
 そして一礼する。
 それは、高貴な身分の令嬢が行うカーテシーではなく、平民のぎこちない一礼。

 私はもう、皇女では……ない。

「リ……リーナ?」

 王太子殿下は困惑た様子で、かつての皇女の愛称を再び呼んだ。
 私は再び殿下の双眸を見つめる。唇が微かに震えた。

「王太子殿下、私はリナです。エカチェリーナ皇女殿下は………………死にました」

 王太子殿下は目を剥いた。


 深い沈黙。

 永遠の時じゃないかというくらいに、私たちの周りには静寂が重く停滞していた。



 そして、

「そうか……。それが君の選択した道なんだね……」

 王太子殿下がポツリと呟いた。揺らいでいた彼の瞳がにわかに強く光った。
 私は肯定するように彼の瞳をじっと見る。

 私はエカチェリーナではない。
 だから、返事はしない。

 また、静かな時間が通り過ぎて、それから王太子殿下が口火を切る。

「済まない。僕はどうやら思い違いをしていたようだ」

「そうですか……」

 私たちは、視線で確認し合う。これが、最後の会話だ。

「リナ嬢」

「はい」

「君に会えて良かったよ。ありがとう」

「私も……殿下にお目にかかれて光栄でした。ありがとうございました。……どうかお幸せに」

「あぁ……。君も……君も幸せになってくれ」


 王太子殿下はセルゲイにちょっと目配せをしてから、静かに踵を返した。
 私は、その姿を目に焼き付けるように見つめる。


 さようなら、フレデリック様。



 私の初恋の人。
 


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