花散る雨、里に恋しなりゆく
夢現
彼のそんな思惑には気づかず、ぷはっ、と楓は思わず吹き出す。巷で見るアニメやゲームに登場する、竜や狐の耳や尾が付いた、いかにもな和装のあやかしキャラの風貌をイメージしていたのだ。
「……案外、普通なん?」
――普通?
口元を抑え、軽く笑いをこらえながら問いかける。こんな仕草をするのも久しぶりだった。
「水神様なら、まんま龍、とか……」
――実体というものは、基本的に無い。力を使う時にも必要ないから、欲しいとも思わない。昔、龍に見えたと言った人間がいたのだろうが…… ずっと夢を壊していて、悪いな
急にしおらしく詫びる彼が可笑しくなり、はは、と力無げにまた笑う。こんな風に心から楽しく笑えたのは、いつぶりだろう……
「ええよ。うちが勝手に妄想してただけやし……」
そんな彼女が視界に映った瞬間、実体の無いサクヤの身体の奥が、妙にざわつき出した。今夜、話しているうち、何か得体の知れないものが、自意識の中で蠢き始めているという異常事態に、彼はずっと気づいていた。
「……桜は、ほんま哀しいけど…… もう少ししたら、ツツジとか菖蒲が咲くし、紫陽花に向日葵……夏の花も、綺麗なの沢山ある。しとしと降る雨は、結構好きやしね。草や土の匂いも強なる。蒸すんは嫌やけど」
そんな彼の状態に気づいていない楓は、突然、水を得た魚のように生き生きと語り始める。サクヤはまた少し驚いたが、彼女の話の魅力が理解できない。人間と同じ感覚が、彼ら天上の者には無いのだ。
「あ、そうや。水の匂いもすごい好きなんよ」
無言のままの彼に、楓は我に返り、心配になった。調子に乗って喋り過ぎた、と自省する。
「ゴメン……気に触った? うるさかったね」
――いや、水を好いてくれるのは有難い。だが、その『匂い』というものが、私にはわからない
「そう、なん……?」
水を司る神様なのに、水の良さがわからないなんて信じられなかった。
――天上の者と人間は、基本的に感じ方が違う。視界に姿形が映ったり、音が聞こえたりはするが、匂いや温度、触感までは得られない
「そっか…… 水って触るとすごく気持ちいいし、みずみずしい匂いがちゃんとするんよ? 犬並みの鼻やなって、子供ん時いじられたけど」
――自分の事、ちゃんと話せるじゃないか
「……サクヤさんやから、よ」
そう。彼だから何でも話せるのだ。聞いてほしい事も、好きな事も……祖母のことも。
さあっ、とゆるやかな夜風が吹いた。初めて感じる、切なくも高揚した想いが自分の心に芽生えた事に、楓も気づいた。
急に気まずくなる。隠れたいような、逃げ出したいような、永遠にこの場に居たいような、矛盾した様々な感情がミックスしている。どうしたら良いかわからない。
微妙な気まずい空気を感じ取ったのか、サクヤが改めるように問いかけた。
――……恋する者は、いないのか。年頃だろう?
「なんよ、また急に……」
相変わらず唐突過ぎるサクヤの言葉に、楓は思わず少し顔を赤らめ、俯く。
「……おらへん、けど」
――そうか
「……初恋みたいなのはあったかもしれんけど……あんまり覚えてへんし、そもそも恋とか愛とか……ようわからん」
――そうか
同じ返答しかしない彼の意図が判らず、楓は戸惑い、錯乱してきた。何だかとてもカッコ悪い事を言っているようで恥ずかしい。
確かに気になる人すらいなかった。それは、本当だった。――そう、今までは……
「――せやけど、サクヤさんみたいな……人、ええな、と思う」
話の流れと勢いで白状してしまった。すごく変な表情をしている気がする。暮明だが、彼になら見えてしまうかもしれないと思うと、顔が熱くなった。心の中では省かれていた『みたいな』が、妙にざわついて、ふわふわ浮いている。
一方、予想外の楓の言葉に、サクヤは驚いていた。何となく気になり、聞いてみた答えの威力が、予定外に自身を圧倒させている。自然に生まれた素朴な疑問を、どうにか返した。
――姿形もわからないのに、か?
「声はわかるし……話し方、雰囲気も何となくやけど。……性別?は、男ってことも……年はさすがに判らんけど」
――私の事など、何も知らないだろう
「話してて、ええな思て好きんなったって、よく言うやん。……依存してるだけ、かもしれへんけど…… 文字だけのSNSで知り合って、付き合う子かていはるんよ。そりゃ、ちょっと危ないと思うけど……」
話の流れに呑まれ、とんでもない事を口走ってしまった気がする。急に怖くなり、必死にまくし立てたが、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
だけど、これだけは、はっきりとわかる。
「――サクヤさんともっと話したい。もっと色々知りたいし、一緒にいたい思てる。そういうんは……あかんの……?」
切実に伝えているうちに、いつの間にか告白しているような状況になってしまった。自覚したのと同時に……とか、あり得ない…… 何でこんな事に……と、楓は自分を呪った。穴があれば地の底まで掘って、許されるならそのまま埋まりたい。
――……だが『人間』ではない。別の種族だ。お前と同じ感覚は持っていない。共感もできない
今更な事実を突き付けられ、ひっぱたかれたようなショックを受ける。そうだった。わかっていたはずだったのに…… いや、だけど……
「人間同士でも解り合えない事……あるよ。自分と違うからって理由で、傷つけ合う事も……酷い虐めかてある……」
少し我に返り、暗いトーンに落ちた。今までの日常で見聞きしている事、現実を思い出す。ネットやテレビから、毎日毎日、当たり前のように流れてくるニュースには、悲しく残酷な情報があふれ返っている。
何でこんなひどい事が起きてしまうかと落ち込み、怒り、憤り、次第にそんな日々に疲れ、周りは麻痺してしまったように見える。友人ともその類いの話題は避けるのが暗黙の了解で、深くは話さない。
辛い気持ちを聞いて欲しくても、面倒がられて引かれてしまう…… 世相の空気に対しても人一倍敏感な楓は、そんなリアルな毎日が、本当に嫌だった。
――私には心が無い
「心……?」
――そうだな……人間が作った人工知能とやらみたいなものだ。お前の話す事、状況を聞いて『最善』と判断した事を言う。そこに個の思いはない
「……サクヤさん、優しいやん」
――『問題あり』『不利益』と判断し、対策として話した事を、お前がそう捉えただけだ。醜さ、狡さ、愚かさ、欲望…… そんなものが無いのに、心があるとは言わないだろう?
では、今、自分と話している彼は何なのか。かつてない位に、心を揺さぶられているのは何故なのか。楓は混乱した。
「……案外、普通なん?」
――普通?
口元を抑え、軽く笑いをこらえながら問いかける。こんな仕草をするのも久しぶりだった。
「水神様なら、まんま龍、とか……」
――実体というものは、基本的に無い。力を使う時にも必要ないから、欲しいとも思わない。昔、龍に見えたと言った人間がいたのだろうが…… ずっと夢を壊していて、悪いな
急にしおらしく詫びる彼が可笑しくなり、はは、と力無げにまた笑う。こんな風に心から楽しく笑えたのは、いつぶりだろう……
「ええよ。うちが勝手に妄想してただけやし……」
そんな彼女が視界に映った瞬間、実体の無いサクヤの身体の奥が、妙にざわつき出した。今夜、話しているうち、何か得体の知れないものが、自意識の中で蠢き始めているという異常事態に、彼はずっと気づいていた。
「……桜は、ほんま哀しいけど…… もう少ししたら、ツツジとか菖蒲が咲くし、紫陽花に向日葵……夏の花も、綺麗なの沢山ある。しとしと降る雨は、結構好きやしね。草や土の匂いも強なる。蒸すんは嫌やけど」
そんな彼の状態に気づいていない楓は、突然、水を得た魚のように生き生きと語り始める。サクヤはまた少し驚いたが、彼女の話の魅力が理解できない。人間と同じ感覚が、彼ら天上の者には無いのだ。
「あ、そうや。水の匂いもすごい好きなんよ」
無言のままの彼に、楓は我に返り、心配になった。調子に乗って喋り過ぎた、と自省する。
「ゴメン……気に触った? うるさかったね」
――いや、水を好いてくれるのは有難い。だが、その『匂い』というものが、私にはわからない
「そう、なん……?」
水を司る神様なのに、水の良さがわからないなんて信じられなかった。
――天上の者と人間は、基本的に感じ方が違う。視界に姿形が映ったり、音が聞こえたりはするが、匂いや温度、触感までは得られない
「そっか…… 水って触るとすごく気持ちいいし、みずみずしい匂いがちゃんとするんよ? 犬並みの鼻やなって、子供ん時いじられたけど」
――自分の事、ちゃんと話せるじゃないか
「……サクヤさんやから、よ」
そう。彼だから何でも話せるのだ。聞いてほしい事も、好きな事も……祖母のことも。
さあっ、とゆるやかな夜風が吹いた。初めて感じる、切なくも高揚した想いが自分の心に芽生えた事に、楓も気づいた。
急に気まずくなる。隠れたいような、逃げ出したいような、永遠にこの場に居たいような、矛盾した様々な感情がミックスしている。どうしたら良いかわからない。
微妙な気まずい空気を感じ取ったのか、サクヤが改めるように問いかけた。
――……恋する者は、いないのか。年頃だろう?
「なんよ、また急に……」
相変わらず唐突過ぎるサクヤの言葉に、楓は思わず少し顔を赤らめ、俯く。
「……おらへん、けど」
――そうか
「……初恋みたいなのはあったかもしれんけど……あんまり覚えてへんし、そもそも恋とか愛とか……ようわからん」
――そうか
同じ返答しかしない彼の意図が判らず、楓は戸惑い、錯乱してきた。何だかとてもカッコ悪い事を言っているようで恥ずかしい。
確かに気になる人すらいなかった。それは、本当だった。――そう、今までは……
「――せやけど、サクヤさんみたいな……人、ええな、と思う」
話の流れと勢いで白状してしまった。すごく変な表情をしている気がする。暮明だが、彼になら見えてしまうかもしれないと思うと、顔が熱くなった。心の中では省かれていた『みたいな』が、妙にざわついて、ふわふわ浮いている。
一方、予想外の楓の言葉に、サクヤは驚いていた。何となく気になり、聞いてみた答えの威力が、予定外に自身を圧倒させている。自然に生まれた素朴な疑問を、どうにか返した。
――姿形もわからないのに、か?
「声はわかるし……話し方、雰囲気も何となくやけど。……性別?は、男ってことも……年はさすがに判らんけど」
――私の事など、何も知らないだろう
「話してて、ええな思て好きんなったって、よく言うやん。……依存してるだけ、かもしれへんけど…… 文字だけのSNSで知り合って、付き合う子かていはるんよ。そりゃ、ちょっと危ないと思うけど……」
話の流れに呑まれ、とんでもない事を口走ってしまった気がする。急に怖くなり、必死にまくし立てたが、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
だけど、これだけは、はっきりとわかる。
「――サクヤさんともっと話したい。もっと色々知りたいし、一緒にいたい思てる。そういうんは……あかんの……?」
切実に伝えているうちに、いつの間にか告白しているような状況になってしまった。自覚したのと同時に……とか、あり得ない…… 何でこんな事に……と、楓は自分を呪った。穴があれば地の底まで掘って、許されるならそのまま埋まりたい。
――……だが『人間』ではない。別の種族だ。お前と同じ感覚は持っていない。共感もできない
今更な事実を突き付けられ、ひっぱたかれたようなショックを受ける。そうだった。わかっていたはずだったのに…… いや、だけど……
「人間同士でも解り合えない事……あるよ。自分と違うからって理由で、傷つけ合う事も……酷い虐めかてある……」
少し我に返り、暗いトーンに落ちた。今までの日常で見聞きしている事、現実を思い出す。ネットやテレビから、毎日毎日、当たり前のように流れてくるニュースには、悲しく残酷な情報があふれ返っている。
何でこんなひどい事が起きてしまうかと落ち込み、怒り、憤り、次第にそんな日々に疲れ、周りは麻痺してしまったように見える。友人ともその類いの話題は避けるのが暗黙の了解で、深くは話さない。
辛い気持ちを聞いて欲しくても、面倒がられて引かれてしまう…… 世相の空気に対しても人一倍敏感な楓は、そんなリアルな毎日が、本当に嫌だった。
――私には心が無い
「心……?」
――そうだな……人間が作った人工知能とやらみたいなものだ。お前の話す事、状況を聞いて『最善』と判断した事を言う。そこに個の思いはない
「……サクヤさん、優しいやん」
――『問題あり』『不利益』と判断し、対策として話した事を、お前がそう捉えただけだ。醜さ、狡さ、愚かさ、欲望…… そんなものが無いのに、心があるとは言わないだろう?
では、今、自分と話している彼は何なのか。かつてない位に、心を揺さぶられているのは何故なのか。楓は混乱した。