出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい
「おはようございます。ジゼル王女殿下でいらっしゃいますか」
馬車が止まると、すぐに誰かが近づいてきて、ジゼルたちにドア越しに声をかけてきた。
ボルトレフ卿とは違う声に、ジゼルの体に緊張が走った。
「あなたは?」
「失礼いたしました。私は大将、いえ、ボルトレフ卿の副官をしております、ランディフ・グローチャーと申します」
「王女殿下、レディントンです。この者は確かにボルトレフ卿の配下の者で間違いございません」
知らない人物に声をかけられ、緊張していたジゼルは、レディントンの声を聞いてほっと力を抜いた。
扉を開けると、そこにはレディントンと、もうひとり見知らぬ男性が頭を垂れて控えていた。彼がグローチャーに違いない。
「書面の受け渡しは城門の詰め所で行われます。すぐに済みますのでそれまでこちらでお待ち下さい」
ボルトレフ卿はすでにその場所で待っているという。
宰相がそちらへ向かう。
「私達も降りましょうか」
「はい」
メアリーが一旦立ち上がり座席の下から外套を取り出す。
それを羽織って、ジゼルはメアリーに続いて馬車を降りることにした。
「お手を」
「ありがとう」
グローチャーが手を差しだし、ジゼルが軽くその上に手を乗せた。
「ジゼル王女殿下におかれましては、朝早くから申し訳ございません」
グローチャーは短い灰褐色の髪と薄いグレーの瞳をしていた。よく日に焼けた肌の色をして、全体に顔のパーツが大きく、目鼻立ちもくっきりしている。
しかし、彼も武人らしくがっしりとした体格の持ち主だった。
「いえ、お気遣いは不要です、グローチャー卿。こちらは侍女のメアリーです」
「よろしくお願いします」
「メアリーさん、グローチャーです。よろしくお願いします。旅の間は私が馬車のすぐ横に控えておりますので、何かあればお声をかけてください」
「わかりました。私も侍女も旅慣れていないため、ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」
「殿下にそう言っていただけて、光栄にございます」
「ですが、私は特使でも賓客でもありません。そのような畏まった態度は不要です」
ジゼルは自分が契約を執行するための「人質」であることを強調する。
「人質」が本来どのような扱いを受けるものなのか、詳しくは知らない。しかし少なくとも、このように副官に護られて恭しく頭を下げられるのは違うと思った。
「そう言っていただけると、誠に有り難い限りです。何しろ普段から畏まった態度は苦手でして。実は舌を噛んだりしないかと、ヒヤヒヤものでした」
「まあ」
ガハハと頭をかきながら、グローチャーは笑った。
「どうか私めのことは、グローチャーと呼び捨てで結構です」
「わかりました、グローチャー。でも、私のことも『殿下』などと堅苦しい言い方はやめてください」
「い、いえ、そういうわけには…」
「グローチャーは、私がボルトレフ卿の領地へ赴く理由をご存知ですよね。私は父上がボルトレフ卿に対してその果たすべき責任を全うするために『人質』として向かうのです。『人質』に敬称は付けますか?」
「ま、まあ…普通なら…不要ですね。では、ジゼル様とお呼びしても?」
「『様』も不要かと。呼び捨てでも」
「いや、勘弁してください。これ以上はオレも困ります」
困り果てたグローチャーの様子に、もうこれが限界だとジゼルも引くことにした。
「わかりました。では、今はそれで」
人質だと言うのに、こんなに緊張感がなくていいのかと思ってしまう。
グローチャーと話をしていると、チラチラとジゼルの方に視線が集まってきた。
それに気づいて、ジゼルは辺りを見渡す。
「申し訳ございません。皆、王女様がご同行なさると聞いて、浮足立っております。お近くでご尊顔を拝することなどないと思っていた方ですから」
視線の理由をグローチャーが告げる。
「私はあくまで人質です。とにかく、そのような畏まった態度も必要ありません。ボルトレフ卿はもっと砕けた感じでしたわ」
「いや、まあ、大将、あ、すみません、ボルトレフ卿とかボルトレフ侯爵というのは、エレトリカ側から与えられた呼び名ですから、我々は彼のことを大将と呼んでおります」
「まあ、そうなのですね。でしたら、これからもそのようにお呼びになってください」
「ありがとうございます。しかし、大将だからあのような態度が出来るのです。でも、それなら、お言葉に甘えて、もう少し気楽にお話しいたします。畏まった態度はいずれボロが出ますからね。何しろ我々には品というものがございませんから」
ボリボリと頬をかきながらそう言って笑うグローチャーの笑顔は、ジゼルをほっとさせた。
彼と話しているうちに、宰相が詰め所から戻ってきた。
「それではジゼル殿下、私はこれにて失礼いたします。どうか道中ご無事で。半年後にお会いするまでご息災であられますよう」
「ええ、レディントン、あなたも元気でね。無理をなさらないでください。父上たちやジュリアンのこと、よろしく頼みます」
「もったいなきお言葉。お心遣い痛み入ります」
「メアリー、王女殿下のこと、頼んだぞ」
「はい閣下」
無事ボルトレフ卿との交渉を終えた、レディントンと別れの挨拶を交わす。
「そろそろいいか。グズグズしていると、今日の宿は野宿になるぞ」
ボルトレフ卿が口を挟んだ。
昨日と同じ毛皮を身に着けてはいるが、泥だらけだった服装は別の衣服に着替えてあった。
髭も剃られていて、昨日より随分若く見える。
「ボルトレフ卿、申し訳ございません」
ジゼルが謝ると、彼は口をぎゅっと引き結んで「さっさと馬車に乗れ」と言って背中を向けた。
それから馬にひらりと跨り、さっさと前に行ってしまった。彼はどうやら隊列の先頭を行くようだ。
「お気をつけて」
「ありがとう、レディントン」
もう一度宰相に挨拶をして、ジゼルは馬車に乗った。
「それでは出発いたします」
グローチャーが声を掛け、馬車が動き出した。
「カーテンを開けてもらえる?」
城門を潜る際に、城門警備の兵士たちがジゼルへ頭を下げて見送ってくれていたのを、彼女は手を振って応えた。
半年前は西門から帰ってきた。
そして今度は東門から出ていく。
次第に遠ざかっていく王都を見ながら、ジゼルはこれからのことに思いを馳せた。
(父上、母上、ジュリアン、暫しのお別れです。どうかお元気で)
次第に小さくなっていく王都を見つめながら、ジゼルは心の中で祈った。
馬車が止まると、すぐに誰かが近づいてきて、ジゼルたちにドア越しに声をかけてきた。
ボルトレフ卿とは違う声に、ジゼルの体に緊張が走った。
「あなたは?」
「失礼いたしました。私は大将、いえ、ボルトレフ卿の副官をしております、ランディフ・グローチャーと申します」
「王女殿下、レディントンです。この者は確かにボルトレフ卿の配下の者で間違いございません」
知らない人物に声をかけられ、緊張していたジゼルは、レディントンの声を聞いてほっと力を抜いた。
扉を開けると、そこにはレディントンと、もうひとり見知らぬ男性が頭を垂れて控えていた。彼がグローチャーに違いない。
「書面の受け渡しは城門の詰め所で行われます。すぐに済みますのでそれまでこちらでお待ち下さい」
ボルトレフ卿はすでにその場所で待っているという。
宰相がそちらへ向かう。
「私達も降りましょうか」
「はい」
メアリーが一旦立ち上がり座席の下から外套を取り出す。
それを羽織って、ジゼルはメアリーに続いて馬車を降りることにした。
「お手を」
「ありがとう」
グローチャーが手を差しだし、ジゼルが軽くその上に手を乗せた。
「ジゼル王女殿下におかれましては、朝早くから申し訳ございません」
グローチャーは短い灰褐色の髪と薄いグレーの瞳をしていた。よく日に焼けた肌の色をして、全体に顔のパーツが大きく、目鼻立ちもくっきりしている。
しかし、彼も武人らしくがっしりとした体格の持ち主だった。
「いえ、お気遣いは不要です、グローチャー卿。こちらは侍女のメアリーです」
「よろしくお願いします」
「メアリーさん、グローチャーです。よろしくお願いします。旅の間は私が馬車のすぐ横に控えておりますので、何かあればお声をかけてください」
「わかりました。私も侍女も旅慣れていないため、ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」
「殿下にそう言っていただけて、光栄にございます」
「ですが、私は特使でも賓客でもありません。そのような畏まった態度は不要です」
ジゼルは自分が契約を執行するための「人質」であることを強調する。
「人質」が本来どのような扱いを受けるものなのか、詳しくは知らない。しかし少なくとも、このように副官に護られて恭しく頭を下げられるのは違うと思った。
「そう言っていただけると、誠に有り難い限りです。何しろ普段から畏まった態度は苦手でして。実は舌を噛んだりしないかと、ヒヤヒヤものでした」
「まあ」
ガハハと頭をかきながら、グローチャーは笑った。
「どうか私めのことは、グローチャーと呼び捨てで結構です」
「わかりました、グローチャー。でも、私のことも『殿下』などと堅苦しい言い方はやめてください」
「い、いえ、そういうわけには…」
「グローチャーは、私がボルトレフ卿の領地へ赴く理由をご存知ですよね。私は父上がボルトレフ卿に対してその果たすべき責任を全うするために『人質』として向かうのです。『人質』に敬称は付けますか?」
「ま、まあ…普通なら…不要ですね。では、ジゼル様とお呼びしても?」
「『様』も不要かと。呼び捨てでも」
「いや、勘弁してください。これ以上はオレも困ります」
困り果てたグローチャーの様子に、もうこれが限界だとジゼルも引くことにした。
「わかりました。では、今はそれで」
人質だと言うのに、こんなに緊張感がなくていいのかと思ってしまう。
グローチャーと話をしていると、チラチラとジゼルの方に視線が集まってきた。
それに気づいて、ジゼルは辺りを見渡す。
「申し訳ございません。皆、王女様がご同行なさると聞いて、浮足立っております。お近くでご尊顔を拝することなどないと思っていた方ですから」
視線の理由をグローチャーが告げる。
「私はあくまで人質です。とにかく、そのような畏まった態度も必要ありません。ボルトレフ卿はもっと砕けた感じでしたわ」
「いや、まあ、大将、あ、すみません、ボルトレフ卿とかボルトレフ侯爵というのは、エレトリカ側から与えられた呼び名ですから、我々は彼のことを大将と呼んでおります」
「まあ、そうなのですね。でしたら、これからもそのようにお呼びになってください」
「ありがとうございます。しかし、大将だからあのような態度が出来るのです。でも、それなら、お言葉に甘えて、もう少し気楽にお話しいたします。畏まった態度はいずれボロが出ますからね。何しろ我々には品というものがございませんから」
ボリボリと頬をかきながらそう言って笑うグローチャーの笑顔は、ジゼルをほっとさせた。
彼と話しているうちに、宰相が詰め所から戻ってきた。
「それではジゼル殿下、私はこれにて失礼いたします。どうか道中ご無事で。半年後にお会いするまでご息災であられますよう」
「ええ、レディントン、あなたも元気でね。無理をなさらないでください。父上たちやジュリアンのこと、よろしく頼みます」
「もったいなきお言葉。お心遣い痛み入ります」
「メアリー、王女殿下のこと、頼んだぞ」
「はい閣下」
無事ボルトレフ卿との交渉を終えた、レディントンと別れの挨拶を交わす。
「そろそろいいか。グズグズしていると、今日の宿は野宿になるぞ」
ボルトレフ卿が口を挟んだ。
昨日と同じ毛皮を身に着けてはいるが、泥だらけだった服装は別の衣服に着替えてあった。
髭も剃られていて、昨日より随分若く見える。
「ボルトレフ卿、申し訳ございません」
ジゼルが謝ると、彼は口をぎゅっと引き結んで「さっさと馬車に乗れ」と言って背中を向けた。
それから馬にひらりと跨り、さっさと前に行ってしまった。彼はどうやら隊列の先頭を行くようだ。
「お気をつけて」
「ありがとう、レディントン」
もう一度宰相に挨拶をして、ジゼルは馬車に乗った。
「それでは出発いたします」
グローチャーが声を掛け、馬車が動き出した。
「カーテンを開けてもらえる?」
城門を潜る際に、城門警備の兵士たちがジゼルへ頭を下げて見送ってくれていたのを、彼女は手を振って応えた。
半年前は西門から帰ってきた。
そして今度は東門から出ていく。
次第に遠ざかっていく王都を見ながら、ジゼルはこれからのことに思いを馳せた。
(父上、母上、ジュリアン、暫しのお別れです。どうかお元気で)
次第に小さくなっていく王都を見つめながら、ジゼルは心の中で祈った。