出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい
「大将、大変だ、ジゼル様が!」
血相を変えてグローチャーが、先頭のユリウスの方に向かって叫んだ。
「姫がどうした?」
グローチャーの方へ向きを変える。
「酷い熱を出して倒れた。意識もない」
「なに! 後を頼む、暫く休憩だ」
「は!」
馬の腹を蹴り、馬車へと向かうとメアリーが「姫様、しっかりなさってください」とジゼルを抱えながら声をかけていた。
「どけ」
馬から飛び降りて馬車に乗り込むと、彼女は真っ青を通り越して白くなってぐったりしている。
ツンとした胃液の匂いがして、馬車の床を見ると、そこには吐き戻したものが落ちている。 口元や衣服も汚れている。
「拭いてやれ」
懐から布を取り出して侍女に渡すと、彼女は慌てて口元を拭った。
「いつからだ?」
額に手をやるとかなりの熱だった。
「わかりません。でも昨夜もその前も良く眠れなかったようですし、今朝は口数も少なくて…大丈夫かとお尋ねしたら、大丈夫だと仰って、もっと早く気がついていれば、私の責任です」
メアリーはオロオロして、取り留めもなくブツブツと呟いている。すっかり気が動転している様子だった。
「大将、元の街へ戻るよりボルトレフ領へ向かったほうが早いです」
「そうだな。しかし、これから道はもっと悪路になる」
少し考えて、ユリウスは羽織っていた外套を脱ぎ、ジゼルを包んだ。
「大将?」
「馬で行く」
「え!」
「お前たちは後から来い」
彼は外套でくるんだジゼルを抱え上げ、端を掴んで自らの体に結び付けさせた。
(軽いな)
気を失った相手は起きている時より重い筈が、ジゼルは思った以上に軽かった。
密着すると、その体の熱さが余計にわかる。高熱が続けば命に係わる。早く医者に見せて熱を下げないと。
ヒラリと自分の愛馬に跨がる。
ウインドヒルと名付けた雌の愛馬は、激しい戦闘の場面でも怯えることもない。乗り手である彼の手綱の引き具合や、挟んだ脚の僅かな機敏も見逃さず信頼のおける相棒だった。
「頼んだぞ、ウインドヒル」
首筋をポンと叩くと、愛馬はわかったと言うようにブルルと鼻を鳴らした。
「大将、気をつけて」
「俺を誰だと思っている」
落とすことはないだろうが、慎重にかつ出来るだけ急ぐ必要がある。舌を噛まないよう気をつけなければ。
「ハアっ!」
ユリウスは掛け声と共に出発した。
片方で手綱を握りながら、もう片方の手でジゼルの頭を支える。
荒い息遣いをしながら、時折悪夢でも見ているのか、きつく顔を顰める。
「大丈夫だ。頑張れ」
そう言って頭を撫でてやると、ふと顔の表情が緩む。しかしまた少しすると、同じ表情に戻る。
汗で髪が顔に張り付き、首筋にも汗が流れていく。時折眼をうっすらと開くが、意識は未だ混濁しているようだ。熱で潤んだペリドットの瞳がこちらを見つめ、その度に彼はどきりとした。
初めて見た時から美しい人だと思っていた。
家族に愛され、掌中の珠のごとく大事にされてきたであろう、芸術品のような王女。
一度結婚に失敗し、最近戻ってきたと聞いていた。
あのように美しいのに、離縁されたとは余程性格に難があるのか、それとも他に問題があるのか。
自分の父が何をしたのか、いや、何をしなかったのか知らず、呑気に戦勝祝いだ誕生祭だと楽しんでいるだけだと思っていた。
しかし、事実を知らされた彼女の反応は、ユリウスの想像とは違っていた。
自ら人質となることを申し出、己の責務を果たそうとするその姿勢は、一国の王女としての役割を理解し、何より凛として神々しいまでだった。
王女という身分を笠に着るでもなく、謙虚に素直にこちらの指示に従う姿に戸惑った。
「世話係とか言われて、どんな我儘で振り回されるかと思ったけど、役得でしたね。あんな美人で優しい方に頼られて、悪い気はしません」
最初、王女の世話係を任命した時は不満タラタラだったグローチャーが、今ではすっかり己の職務を満喫している。
逆に周りの者から羨ましがられ、悦に浸っている。
「『人質』を取るなんて、どういう風の吹き回しですか?」
「約束を反故にされたんだ。少しくらい脅しは必要だろう」
普段、戦場で捕虜を捕まえることはある。しかし、女子供や立場の弱い者を人質に取ることはない。
それは卑怯なことだ。
「しかも、他人を領地に連れ込むなんて」
ボルトレフたちは元々血縁でも何でもない、烏合の衆の集まりだった。
腕が立ち統率力に優れたユリウスの祖先が人々を纏め、ここまで率いてきた。
流れの民でも、孤児でも、掟に従うことを誓えば誰でも受け入れてきた。
お陰で色々な人種が混じり合った一団になっている。
新しい技術も次々取り入れ、一族の生活環境の向上と、戦闘での武力強化に貪欲に取り組んだことで、今の発展がある。
しかし、誓いを立てていない者には排他的で、滅多に表舞台に出ないため、彼らの情報は表に出ることはなく、謎に包まれている。
「あの姫さんに、うちの何が盗めるというのだ。せいぜい半年、我が領地に滞在させて頃合いを見て帰せばいい」
毒にも薬にもならない人の良さそうな王女。
それがユリウスのジゼルに対する印象だった。
「ただ、あの美しさは男どもには毒とも言えるな」
逞しく、男に頼らなくてもしっかり生きていける女性の多いボルトレフ領で、儚げで庇護欲をそそる王女の存在は、きっと男どもの胸をざわつかせることだろう。
「それは大将もじゃないですか?」
グローチャーの鋭い返しに、一瞬言葉が詰まった。
「俺も男だ。美人は目の保養になる。だが、俺の伴侶は一族の女主人でもある。あんな温室育ちの女は趣味ではない」
見るだけなら美しさは重要だが、それだけしかない女性は彼の好みではない。
「人は見かけに寄らないといいますよ。実際、あんなに元気で丈夫だったリゼ様が、あんな風にお亡くなりになるなんて、誰が想像しましたか」
グローチャーがユリウスの亡妻の名を口にする。
「確かにな。しかし、あの王女様は言わば借り物、報奨を得るまでの担保だ。五体満足でお返ししないと」
そう言って遠くを見るユリウスの視線の先に、今は亡き妻の姿があることをグローチャーは知っている。
(いい加減、次の相手を見つけてほしいところだ)
後継ぎについては、双子がいる。ただ、まだまだ男盛りの自分たちの頭領には、すべての重荷を下ろして彼を癒やしてくれる存在が必要であると、誰もが思っている。
(立候補者はいるんだけどな。向こうはそのつもりみたいだが、大将は何とも思っていないみたいだし、彼女では荷が勝ち過ぎる。周りは納得しないだろうな)
これから男盛りとなる自分の主が、いつまでも特定の相手を持たないのは残念だと思っている。それは、彼の一族全員の思いだ。
自分にも愛する妻と娘がいるグローチャーとしては、もどかしい限りだった。
しかし、王女を人質だと言って連れてきたり、世話を焼いたりしているのを見て、常にない彼の行動にグローチャーは何かがこれまでと違うと思った。
ジゼル王女は、少年が憧れを抱くお姫様そのものだ。
美しく品があり、凛としている。そしてどこか儚げな風情もある。人妻だったこともあり、男を知る色香も持ち合わせているが、決してそれを表に出して見せつけることもない。
常に女性としての己の利用価値を見せつける女もいるが、彼女はそうではない。というか、そんなことをして大将に迫るようなら、とっくに邪険に扱われていただろう。
王女の仕草や表情から時折こぼれ出る女性としての色香が、はっと人の目を引いてしまう。
もちろん人の好みはそれぞれであるから、彼女では物足りないと思う者もいるだろう。
(これは、大将に取っては遅い初恋か?)
グローチャーは、そんな風に思っていた。
血相を変えてグローチャーが、先頭のユリウスの方に向かって叫んだ。
「姫がどうした?」
グローチャーの方へ向きを変える。
「酷い熱を出して倒れた。意識もない」
「なに! 後を頼む、暫く休憩だ」
「は!」
馬の腹を蹴り、馬車へと向かうとメアリーが「姫様、しっかりなさってください」とジゼルを抱えながら声をかけていた。
「どけ」
馬から飛び降りて馬車に乗り込むと、彼女は真っ青を通り越して白くなってぐったりしている。
ツンとした胃液の匂いがして、馬車の床を見ると、そこには吐き戻したものが落ちている。 口元や衣服も汚れている。
「拭いてやれ」
懐から布を取り出して侍女に渡すと、彼女は慌てて口元を拭った。
「いつからだ?」
額に手をやるとかなりの熱だった。
「わかりません。でも昨夜もその前も良く眠れなかったようですし、今朝は口数も少なくて…大丈夫かとお尋ねしたら、大丈夫だと仰って、もっと早く気がついていれば、私の責任です」
メアリーはオロオロして、取り留めもなくブツブツと呟いている。すっかり気が動転している様子だった。
「大将、元の街へ戻るよりボルトレフ領へ向かったほうが早いです」
「そうだな。しかし、これから道はもっと悪路になる」
少し考えて、ユリウスは羽織っていた外套を脱ぎ、ジゼルを包んだ。
「大将?」
「馬で行く」
「え!」
「お前たちは後から来い」
彼は外套でくるんだジゼルを抱え上げ、端を掴んで自らの体に結び付けさせた。
(軽いな)
気を失った相手は起きている時より重い筈が、ジゼルは思った以上に軽かった。
密着すると、その体の熱さが余計にわかる。高熱が続けば命に係わる。早く医者に見せて熱を下げないと。
ヒラリと自分の愛馬に跨がる。
ウインドヒルと名付けた雌の愛馬は、激しい戦闘の場面でも怯えることもない。乗り手である彼の手綱の引き具合や、挟んだ脚の僅かな機敏も見逃さず信頼のおける相棒だった。
「頼んだぞ、ウインドヒル」
首筋をポンと叩くと、愛馬はわかったと言うようにブルルと鼻を鳴らした。
「大将、気をつけて」
「俺を誰だと思っている」
落とすことはないだろうが、慎重にかつ出来るだけ急ぐ必要がある。舌を噛まないよう気をつけなければ。
「ハアっ!」
ユリウスは掛け声と共に出発した。
片方で手綱を握りながら、もう片方の手でジゼルの頭を支える。
荒い息遣いをしながら、時折悪夢でも見ているのか、きつく顔を顰める。
「大丈夫だ。頑張れ」
そう言って頭を撫でてやると、ふと顔の表情が緩む。しかしまた少しすると、同じ表情に戻る。
汗で髪が顔に張り付き、首筋にも汗が流れていく。時折眼をうっすらと開くが、意識は未だ混濁しているようだ。熱で潤んだペリドットの瞳がこちらを見つめ、その度に彼はどきりとした。
初めて見た時から美しい人だと思っていた。
家族に愛され、掌中の珠のごとく大事にされてきたであろう、芸術品のような王女。
一度結婚に失敗し、最近戻ってきたと聞いていた。
あのように美しいのに、離縁されたとは余程性格に難があるのか、それとも他に問題があるのか。
自分の父が何をしたのか、いや、何をしなかったのか知らず、呑気に戦勝祝いだ誕生祭だと楽しんでいるだけだと思っていた。
しかし、事実を知らされた彼女の反応は、ユリウスの想像とは違っていた。
自ら人質となることを申し出、己の責務を果たそうとするその姿勢は、一国の王女としての役割を理解し、何より凛として神々しいまでだった。
王女という身分を笠に着るでもなく、謙虚に素直にこちらの指示に従う姿に戸惑った。
「世話係とか言われて、どんな我儘で振り回されるかと思ったけど、役得でしたね。あんな美人で優しい方に頼られて、悪い気はしません」
最初、王女の世話係を任命した時は不満タラタラだったグローチャーが、今ではすっかり己の職務を満喫している。
逆に周りの者から羨ましがられ、悦に浸っている。
「『人質』を取るなんて、どういう風の吹き回しですか?」
「約束を反故にされたんだ。少しくらい脅しは必要だろう」
普段、戦場で捕虜を捕まえることはある。しかし、女子供や立場の弱い者を人質に取ることはない。
それは卑怯なことだ。
「しかも、他人を領地に連れ込むなんて」
ボルトレフたちは元々血縁でも何でもない、烏合の衆の集まりだった。
腕が立ち統率力に優れたユリウスの祖先が人々を纏め、ここまで率いてきた。
流れの民でも、孤児でも、掟に従うことを誓えば誰でも受け入れてきた。
お陰で色々な人種が混じり合った一団になっている。
新しい技術も次々取り入れ、一族の生活環境の向上と、戦闘での武力強化に貪欲に取り組んだことで、今の発展がある。
しかし、誓いを立てていない者には排他的で、滅多に表舞台に出ないため、彼らの情報は表に出ることはなく、謎に包まれている。
「あの姫さんに、うちの何が盗めるというのだ。せいぜい半年、我が領地に滞在させて頃合いを見て帰せばいい」
毒にも薬にもならない人の良さそうな王女。
それがユリウスのジゼルに対する印象だった。
「ただ、あの美しさは男どもには毒とも言えるな」
逞しく、男に頼らなくてもしっかり生きていける女性の多いボルトレフ領で、儚げで庇護欲をそそる王女の存在は、きっと男どもの胸をざわつかせることだろう。
「それは大将もじゃないですか?」
グローチャーの鋭い返しに、一瞬言葉が詰まった。
「俺も男だ。美人は目の保養になる。だが、俺の伴侶は一族の女主人でもある。あんな温室育ちの女は趣味ではない」
見るだけなら美しさは重要だが、それだけしかない女性は彼の好みではない。
「人は見かけに寄らないといいますよ。実際、あんなに元気で丈夫だったリゼ様が、あんな風にお亡くなりになるなんて、誰が想像しましたか」
グローチャーがユリウスの亡妻の名を口にする。
「確かにな。しかし、あの王女様は言わば借り物、報奨を得るまでの担保だ。五体満足でお返ししないと」
そう言って遠くを見るユリウスの視線の先に、今は亡き妻の姿があることをグローチャーは知っている。
(いい加減、次の相手を見つけてほしいところだ)
後継ぎについては、双子がいる。ただ、まだまだ男盛りの自分たちの頭領には、すべての重荷を下ろして彼を癒やしてくれる存在が必要であると、誰もが思っている。
(立候補者はいるんだけどな。向こうはそのつもりみたいだが、大将は何とも思っていないみたいだし、彼女では荷が勝ち過ぎる。周りは納得しないだろうな)
これから男盛りとなる自分の主が、いつまでも特定の相手を持たないのは残念だと思っている。それは、彼の一族全員の思いだ。
自分にも愛する妻と娘がいるグローチャーとしては、もどかしい限りだった。
しかし、王女を人質だと言って連れてきたり、世話を焼いたりしているのを見て、常にない彼の行動にグローチャーは何かがこれまでと違うと思った。
ジゼル王女は、少年が憧れを抱くお姫様そのものだ。
美しく品があり、凛としている。そしてどこか儚げな風情もある。人妻だったこともあり、男を知る色香も持ち合わせているが、決してそれを表に出して見せつけることもない。
常に女性としての己の利用価値を見せつける女もいるが、彼女はそうではない。というか、そんなことをして大将に迫るようなら、とっくに邪険に扱われていただろう。
王女の仕草や表情から時折こぼれ出る女性としての色香が、はっと人の目を引いてしまう。
もちろん人の好みはそれぞれであるから、彼女では物足りないと思う者もいるだろう。
(これは、大将に取っては遅い初恋か?)
グローチャーは、そんな風に思っていた。