出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい
突然前触れもなく自分たちの主が、馬に乗って帰ってきたのには、誰もが驚いた。
「医者だ、ファーガスを呼んでこい!」
馬から颯爽と降りて来たと思えば、開口一番そう叫ぶ。
ファーガスは医者だ。その名を彼は告げた。
「ユリウス様、ファーガスを呼べとは、どこかお怪我をなされているのですか?」
外套を羽織らず体の前に括り付けた奇妙な出で立ちに訝しみながら、家令のサイモンが彼の体を気遣って尋ねた。
見た感じ、具合が悪いようには見えないので、どこかに怪我でもしたのかと思ったのだ。
「俺は何ともない。とにかくファーガスを呼んでこい」
「は、はい、今すぐ、おい、ファーガス先生を呼んで来なさい」
サイモンが表にいた馬丁に指示し、馬丁が慌てて医者を呼びに走った。
「ユリウス様、なぜ医者を…」
そう言いかけて、サイモンは言葉を失った。
ユリウスが外套の結び目を解きはらりと布地が広がると、中から小麦色の髪の女性が現れた。
女性の頭ががくりと後ろに傾く。
「ま、まさか…」
「何を勘違いしている。生きているぞ。高熱で意識を失っているだけだ。第一死んでいるなら呼ぶのは医者ではなく司祭だろ」
サイモンの勘違いを察し、ユリウスが皮肉る。
「彼女を寝かせたい。今すぐ使える部屋はあるか?」
「客間の用意は出来ておりません。他に使える部屋は…」
「なら、俺の部屋に連れて行く。侍女長を寄越せ」
「え!」
サイモンが躊躇している間に、ユリウスはさっさと歩き出し自室へと向かう。
「お、お待ち下さい、おい、侍女長は?」
「リロイ様たちとお庭に」
「呼んでこい、それからお子様たちは誰か他の者に任せろ」
「はい」
側にいた侍女に命令し、サイモンは小走りで主の後を追った。
がっしりとした体格の主の体越しに、女性の流れる小麦色の髪がなびくのが見える。
一体彼女は誰なのか。
エレトリカの国王から、いつまで経っても先の戦争に出陣した報酬が支払われないことに業を煮やし、取り立てに行くと十数人の部下を連れて出ていったのが十日程前のこと。
それきりいつ帰るとも連絡がないまま、突然現れたかと思ったら、たった一騎で戻ってきて、しかも高熱で意識を失った女性を自ら抱えている。
わけがわからない。どこから質問していいのか。
しかし、病人を救うことがまず一番にすることなのはわかる。
サイモンが部屋に入ると、ちょうどユリウスが女性をそっとベッドに降ろすところだった。
「安心しろ、すぐに楽になるから」
張りついた髪を額からそっと払い除け、子供をあやすように囁く。
突然の呼び出しに慌ててやってきた侍女長のケーラも、同じように驚きを隠せないようだった。
「ケーラ、彼女の着替えを。それから汗が酷い。体を拭いてやってくれ」
「か、かしこまりました」
戸惑いながらもケーラはテキパキと、言われたことをこなしていく。
そうしてるうちに医者のファーガスがやってきた。
彼もユリウスの部屋に見知らぬ女性がいることに、驚きを隠せない様子だったが、女性の様子を見てすぐに診察に掛かった。
「ユリウス様は外に出てください」
「わかった」
ケーラに命令されて、ケーラとファーガスを部屋に残して外に出て扉を閉めた。
「ユリウス様、あの方は…」
「『人質』だ」
「は?」
「人質としてエレトリカから連れてきた」
「人質とは、穏やかではありませんね。エレトリカからとは、どういった方なのですか?」
人質というからには、相手に取って弱点となる者でなくてはならない。
今回交渉に行ったのはエレトリカの国王だ。
その国王にとって弱味となる人物。そして意識がなく弱々しくはあっても気品漂う人物。
「まさか、王女様ですか?」
僻地にあっても、ここではそれなりに情報は入ってくる。
サイモンも最近バレッシオに嫁いでいた王女が離縁されて、戻ってきたことは聞き及んでいた。
「そうだ」
文句があるなら聞くぞという空気を滲ませ、顔は扉を向いたまま視線をサイモンに向けている。
「なぜそのような…」
「今回のこと、我々への報酬がバレッシオへの賠償金として支払われた。このようなこと、我々とエレトリカの間では初めてのこと。二度はないことを知らしめるためにも、強気に出ることは必要だ」
舐められたままでは、今後も同じようなことが起こりかねない。
「それに、役に立てると王女は喜んでいたぞ。かなり責任も感じているようだし、これで罪悪感もいくらか薄まるというものだ」
「進んで人質になりたい者などおりません。かなり無理をなさっているのでは?」
「それだけではなさそうだが…」
「え?」
「何でもない。独り言だ」
サイモンの問いかけにユリウスは言葉を濁した。
「お父様」
廊下に佇んでいると、父親の帰還を聞きつけた双子が父に会おうと駆け込んできた。
「リロイ、ミア」
瞬時に子供たちを心から愛する父親の顔になったユリウスは、走り込んでくる子供たちの体を受け止めた。
「おかえりなさい。お父様」
「おかえりなさい」
「ただいま」
大きな声で元気よく話す娘のミアと、少し恥ずかしそうに話す息子のリロイは、ユリウスが目に入れても痛くないほどに可愛がっている。
母親を亡くしている分、それを不憫に思い殊更に甘やかしている。
「お父様、どうしてお部屋の外にいるの?」
父が己の部屋の外に立っていることを不思議に思い、リロイが尋ねた。
リロイは大人しいが利発で物事をよく観察する目を持っている。
「本当だ、どうして?」
ミアもそのことに気づき、質問する。
「それは、お父様は熱を出して苦しんでいる人を連れてきて、今ファーガス先生に診てもらっているんだ。その人にお父様のお部屋を貸してあげているんだよ」
ちょうどそういった時、扉が開いてファーガスが出てきた。
長い黒髪をひとつに纏め、オレンジ掛かった琥珀の瞳に丸眼鏡をかけた彼は、代々ボルトレフ領で医師を営んでいる。
ユリウスの五歳年上で、兄とも慕っている。
「どうだ?」
「疲労と心労から風邪を引いたようだ。もう少し遅かったら大変だった。今薬を飲ませたがまず熱を下げないと体力が保たないだろう」
「そうか」
「それと」
「何だ?」
ファーガスは、ユリウスの腕を掴んで皆から引き離して耳打ちした。
「彼女は誰だ? どこから連れてきた」
「は? いや、エレトリカから…」
「何か問題でもあったのか? 金の回収に行ったと聞いていたのに」
「そうだが、彼女は残りの金をもらうまでの人質だ」
「人質…」
「お前も驚いたか。あ、こら、お前達」
開いた扉の隙間から子供たちが部屋へと入って行ってしまった。
「あの人、苦しそう。助かるの?」
「ああ、ファーガスがついているからな」
少し離れたところから、子供たちがジゼルの様子を窺っている。
「きれいな人だね」
「なんだ、リロイ、五歳でもう色気づいているのか」
「いろ? なにそれ?」
「ファーガス、子供に何を言っている。リロイ、気にするな。お前は彼女が綺麗だと思ったのか?」
「うん、お父様はそう思わないの?」
「……」
息子の純粋な疑問にユリウスは返事に窮した。
「私は美人だと思うぞ。ユリウスはどうだ?」
先にファーガスが答えた。リロイが期待を込めた眼差しで父親を見上げる。
「好きか嫌いかは別にして、綺麗…ではあるな」
熱で頬を赤くして苦しそうにしている姿も、ユリウスが差し出したパンを美味しそうに食べる姿も、そして人質を名乗り出た凛とした姿も、どんな時もジゼルは美しかった。
しかし、ユリウスの腕の中で顔を顰めてうわ言を繰り返していたジゼルの姿は、二度と見たくないと思うほどに、彼の胸を締め付けた。
「医者だ、ファーガスを呼んでこい!」
馬から颯爽と降りて来たと思えば、開口一番そう叫ぶ。
ファーガスは医者だ。その名を彼は告げた。
「ユリウス様、ファーガスを呼べとは、どこかお怪我をなされているのですか?」
外套を羽織らず体の前に括り付けた奇妙な出で立ちに訝しみながら、家令のサイモンが彼の体を気遣って尋ねた。
見た感じ、具合が悪いようには見えないので、どこかに怪我でもしたのかと思ったのだ。
「俺は何ともない。とにかくファーガスを呼んでこい」
「は、はい、今すぐ、おい、ファーガス先生を呼んで来なさい」
サイモンが表にいた馬丁に指示し、馬丁が慌てて医者を呼びに走った。
「ユリウス様、なぜ医者を…」
そう言いかけて、サイモンは言葉を失った。
ユリウスが外套の結び目を解きはらりと布地が広がると、中から小麦色の髪の女性が現れた。
女性の頭ががくりと後ろに傾く。
「ま、まさか…」
「何を勘違いしている。生きているぞ。高熱で意識を失っているだけだ。第一死んでいるなら呼ぶのは医者ではなく司祭だろ」
サイモンの勘違いを察し、ユリウスが皮肉る。
「彼女を寝かせたい。今すぐ使える部屋はあるか?」
「客間の用意は出来ておりません。他に使える部屋は…」
「なら、俺の部屋に連れて行く。侍女長を寄越せ」
「え!」
サイモンが躊躇している間に、ユリウスはさっさと歩き出し自室へと向かう。
「お、お待ち下さい、おい、侍女長は?」
「リロイ様たちとお庭に」
「呼んでこい、それからお子様たちは誰か他の者に任せろ」
「はい」
側にいた侍女に命令し、サイモンは小走りで主の後を追った。
がっしりとした体格の主の体越しに、女性の流れる小麦色の髪がなびくのが見える。
一体彼女は誰なのか。
エレトリカの国王から、いつまで経っても先の戦争に出陣した報酬が支払われないことに業を煮やし、取り立てに行くと十数人の部下を連れて出ていったのが十日程前のこと。
それきりいつ帰るとも連絡がないまま、突然現れたかと思ったら、たった一騎で戻ってきて、しかも高熱で意識を失った女性を自ら抱えている。
わけがわからない。どこから質問していいのか。
しかし、病人を救うことがまず一番にすることなのはわかる。
サイモンが部屋に入ると、ちょうどユリウスが女性をそっとベッドに降ろすところだった。
「安心しろ、すぐに楽になるから」
張りついた髪を額からそっと払い除け、子供をあやすように囁く。
突然の呼び出しに慌ててやってきた侍女長のケーラも、同じように驚きを隠せないようだった。
「ケーラ、彼女の着替えを。それから汗が酷い。体を拭いてやってくれ」
「か、かしこまりました」
戸惑いながらもケーラはテキパキと、言われたことをこなしていく。
そうしてるうちに医者のファーガスがやってきた。
彼もユリウスの部屋に見知らぬ女性がいることに、驚きを隠せない様子だったが、女性の様子を見てすぐに診察に掛かった。
「ユリウス様は外に出てください」
「わかった」
ケーラに命令されて、ケーラとファーガスを部屋に残して外に出て扉を閉めた。
「ユリウス様、あの方は…」
「『人質』だ」
「は?」
「人質としてエレトリカから連れてきた」
「人質とは、穏やかではありませんね。エレトリカからとは、どういった方なのですか?」
人質というからには、相手に取って弱点となる者でなくてはならない。
今回交渉に行ったのはエレトリカの国王だ。
その国王にとって弱味となる人物。そして意識がなく弱々しくはあっても気品漂う人物。
「まさか、王女様ですか?」
僻地にあっても、ここではそれなりに情報は入ってくる。
サイモンも最近バレッシオに嫁いでいた王女が離縁されて、戻ってきたことは聞き及んでいた。
「そうだ」
文句があるなら聞くぞという空気を滲ませ、顔は扉を向いたまま視線をサイモンに向けている。
「なぜそのような…」
「今回のこと、我々への報酬がバレッシオへの賠償金として支払われた。このようなこと、我々とエレトリカの間では初めてのこと。二度はないことを知らしめるためにも、強気に出ることは必要だ」
舐められたままでは、今後も同じようなことが起こりかねない。
「それに、役に立てると王女は喜んでいたぞ。かなり責任も感じているようだし、これで罪悪感もいくらか薄まるというものだ」
「進んで人質になりたい者などおりません。かなり無理をなさっているのでは?」
「それだけではなさそうだが…」
「え?」
「何でもない。独り言だ」
サイモンの問いかけにユリウスは言葉を濁した。
「お父様」
廊下に佇んでいると、父親の帰還を聞きつけた双子が父に会おうと駆け込んできた。
「リロイ、ミア」
瞬時に子供たちを心から愛する父親の顔になったユリウスは、走り込んでくる子供たちの体を受け止めた。
「おかえりなさい。お父様」
「おかえりなさい」
「ただいま」
大きな声で元気よく話す娘のミアと、少し恥ずかしそうに話す息子のリロイは、ユリウスが目に入れても痛くないほどに可愛がっている。
母親を亡くしている分、それを不憫に思い殊更に甘やかしている。
「お父様、どうしてお部屋の外にいるの?」
父が己の部屋の外に立っていることを不思議に思い、リロイが尋ねた。
リロイは大人しいが利発で物事をよく観察する目を持っている。
「本当だ、どうして?」
ミアもそのことに気づき、質問する。
「それは、お父様は熱を出して苦しんでいる人を連れてきて、今ファーガス先生に診てもらっているんだ。その人にお父様のお部屋を貸してあげているんだよ」
ちょうどそういった時、扉が開いてファーガスが出てきた。
長い黒髪をひとつに纏め、オレンジ掛かった琥珀の瞳に丸眼鏡をかけた彼は、代々ボルトレフ領で医師を営んでいる。
ユリウスの五歳年上で、兄とも慕っている。
「どうだ?」
「疲労と心労から風邪を引いたようだ。もう少し遅かったら大変だった。今薬を飲ませたがまず熱を下げないと体力が保たないだろう」
「そうか」
「それと」
「何だ?」
ファーガスは、ユリウスの腕を掴んで皆から引き離して耳打ちした。
「彼女は誰だ? どこから連れてきた」
「は? いや、エレトリカから…」
「何か問題でもあったのか? 金の回収に行ったと聞いていたのに」
「そうだが、彼女は残りの金をもらうまでの人質だ」
「人質…」
「お前も驚いたか。あ、こら、お前達」
開いた扉の隙間から子供たちが部屋へと入って行ってしまった。
「あの人、苦しそう。助かるの?」
「ああ、ファーガスがついているからな」
少し離れたところから、子供たちがジゼルの様子を窺っている。
「きれいな人だね」
「なんだ、リロイ、五歳でもう色気づいているのか」
「いろ? なにそれ?」
「ファーガス、子供に何を言っている。リロイ、気にするな。お前は彼女が綺麗だと思ったのか?」
「うん、お父様はそう思わないの?」
「……」
息子の純粋な疑問にユリウスは返事に窮した。
「私は美人だと思うぞ。ユリウスはどうだ?」
先にファーガスが答えた。リロイが期待を込めた眼差しで父親を見上げる。
「好きか嫌いかは別にして、綺麗…ではあるな」
熱で頬を赤くして苦しそうにしている姿も、ユリウスが差し出したパンを美味しそうに食べる姿も、そして人質を名乗り出た凛とした姿も、どんな時もジゼルは美しかった。
しかし、ユリウスの腕の中で顔を顰めてうわ言を繰り返していたジゼルの姿は、二度と見たくないと思うほどに、彼の胸を締め付けた。