出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい

第三章

「ふむ、もう心配ありませんね」

 ファーガスがジゼルの脈を診て、ニコリと微笑んだ。

「もうひと晩安静にして、明日から少しずつ体を動かして行きましょう」
「はい、ありがとうございます」

 ジゼルは頭を下げた。

「メアリー、お茶を持ってきてもらえる?」
「あ、私は」
「先生、ぜひ、一緒にお茶を」
「では、遠慮なく」 

 柔らかいが有無を言わさないジゼルの口調に、ファーガスは彼女の誘いに応じることにした。

「あの、先生」
「あの傷のこと、ですか?」

 メアリーが出ていくのを待って、ジゼルが切り出す。
 
「あの侍女殿にも秘密ですか?」
 
 わざわざメアリーを追い出して切り出した意味を、彼は察した。

「彼女は存じません。家族も含めて誰も」
「…ということは、昔からではないのですね」

 ジゼルの言葉から、ファーガスがその意味を紐解く。

 無言の態度が肯定であることを示す。
 
 ジゼルは、ファーガスが話題にした箇所である、右脇腹の辺りを服の上からぎゅっと握りしめる。

 そこには、ジゼルが家族に秘密にしている体の傷がある。  
 離縁されて戻ってきてから、入浴の手伝いは誰にもさせていない。
 家族の誰にも言っていなかったが、高熱を出した時に、不可抗力で彼と侍女長には知られてしまった。
 

「あの、このこと、ボルトレフ卿には」
「言っていません、言うわけがありません。ですが」
「ですが?」
「いえ、最初、ユリウスがやったのかと…」
「ボルトレフ卿が、どうしてそんな」
「あなたのことを『人質』だとか言うものですから、もちろん、彼のことは信用していますし、そんなことをする人間とは思っていません。一瞬、ほんの一瞬、事故みたいなことでもあったのかと。でも、傷は古かったし、すぐに思い直しました」
「これは、ボルトレフ卿とは関係ないことです」

 まだ出会って少ししか経っていないが、子供に接する時の彼の表情や、子供たちが彼に向ける信頼を見ていれば、少なくともあの人とは違うことはわかる。

「事情をお伺いしても?」
「もう、過ぎたことです」

 もう一度脇腹を擦る。

「わかりました。もう傷まないのならいいです」
「色々とご心配をおかけしました」
「いえ、ですが、もし辛くなったらいつでも話してください。聞くくらいなら、いつでも致します」
「ありがとうございます。いつか…ここにいる間に話す勇気ができたら」
「遠慮なく仰ってください」

 そういう時が来るかどうかわからないが、一人で抱えてきたジゼルに取って、少し肩の荷が下りたような気持ちだった。

「ジゼル様」

 そこへメアリーがお茶を持って戻ってきた。
 メアリーには「王女様」と呼ぶのは止めるように言ってあった。

「あ、ボルトレフ卿」

 メアリーの後ろにボルトレフ卿の姿を見て、ジゼルは慌てて立ち上がった。

「そのままで」

 大股で近づきながら、彼はジゼルに言った。それから彼はファーガスの方を見た。

「それで?」
「ああ、そうですね。もう大丈夫ですが、念の為もうひと晩休むようにと伝えたところです」
「そうか」
「あ、ありがとうございました。この部屋もずっと使わせていただいて、申し訳ございません。それで、あの、部屋のことなのですが」
 
 本来の部屋の主を追い出して、いつまでも陣取っていることに、ジゼルは心苦しさを感じていた。

「そろそろ、その部屋を…」
「ああ、そうだな。準備は出来ている。では明日移動出来るよう侍女長に言っておこう」
「ありがとうございます。リロイ様にも、ご迷惑をおかけしましたね」
「そう言っていたと伝えよう。しかし、そう思うなら今度あの子の頼みを聞いてやってほしい」
「頼み…ですか?」

 いきなりのことに、ジゼルはきょとんとした。

「そうです。何やらあなたにしてほしいことがあるそうですが、まだ病み上がりだからと我慢させているのです」
「は、あ…」

 どんな頼みだろうかと気になったが、それは本人の口から聞いてほしいと言われた。

「そんなに警戒しなくても、五歳の子供の言うことですからね。そんなに難しいことではないと思います」
「わかりました」
 
 五歳児の望むこととは何だろうと思いながら、自分が「人質」であることをつい忘れてしまいがちになる。

「他に私が出来ることがありましたら、何でも仰ってください。お掃除はやったことはありませんが、刺繍などで少しは針と糸を扱っておりますから、お裁縫なら出来ると思います」
「王女殿下が、掃除…ですか?」

 それを聞いてファーガスがボルトレフ卿を見る。

「言いたいことはわかる。しかし、ここでは特別扱いはしないと言ったまでだ。掃除でも何でも、出来ることをする。子供たちだって鶏や豚に餌をやったりしているではないか」
「だからと言って王女様にもそうしろとは、強引ですね」
「ファーガス様、ボルトレフ卿の仰るとおりです。私も特別扱いを望んではおりません」
「まあ、王女様がそうお思いなら、よろしいですが、決して無理はなさらないでくださいね」
「何だ? まるでこちらがこき使うような言い方をするな」
「いや、そこまでは思っていない。ただ王女様相手でもぶれないなと思っただけだ」
「うちは元々そういう方針だ。知っているだろ。それとも、王女様がお前にそのことで苦情でも言ったか」

 ボルトレフ卿はジゼルが働くのが嫌だと、ファーガスに申し立てたのかと勘違いしたようだった。

「そ、そのようなことは」
「そうだ。そのようなこと、彼女はひと事も言っていない」
「そうか。では、俺の勘違いだな」
「そういうことだ」

 ボルトレフ卿の視線が二人に注がれる。 
 なぜかその視線にジゼルは何もかも見透かされているような、居心地の悪さを感じた。
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