出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい
「呼んでいないぞ」
今しがた、ジゼルの後ろ姿を眺めて呆けていた表情を見られてはいないだろうかと、ジゼルと入れ替わりで入室の許可なしに入ってきたレイドルフに、彼はむっとした表情で言った。
「あれが例の『人質』のお姫様ですね」
レイドルフはユリウスの母方の叔父に当たる。
叔父と言っても、ユリウスの母とレイドルフは十二も年が離れていたため、ユリウスに取っては叔父というより歳の離れた兄のようなものだ。
「例の?」
「とぼけても無駄だ。もう邸中噂になっているのは知っているだろう。君が次のボルトレフ夫人を連れ帰ってきたとね。まあ、言いふらしているのはおチビちゃんたちだが」
「別にそんなつもりで連れてきたのではない。正真正銘人質だ」
「そう思っているのは、君とあのお姫様だけだと思うが」
「勝手にそう思っていればいい。本当にそんなつもりはない」
「ここではお目にかかることのない、たおやかなで美しい女性じゃないか。一緒に王都についていった者たちが騒ぐのもわかる。しかも王女様だと言うから、ふんぞり返っているかと思えば、偉そうな素振りもないし、私はいいと思うが」
「だから、そんなつもりで連れてきたのではない」
少しむきになって彼は答えた。
「手折るには恐れ多いか?」
レイドルフは怯むことなく畳み掛ける。
「そんなんじゃないと言っている」
先ほどとは違って少し声を落とす。一族を束ねる責任をおい、常に指導者であり続ける彼にも、頭の上がらない人物がいる。
侍女長のケールと家令のサイモン、そして秘書官のレイドルフがそうだ。
彼らは常にユリウスの命に従うが、こうして彼の迫力にも臆せず言いたいことを言ってくる。
彼らは大抵はユリウスが下した決断を尊重するが、時には年長者として的確な助言や苦言をユリウスにくれる。
もちろんユリウスの指導者としての才もあるが、彼らがいたからこそ、これまで無事に当主としてやってこれたことを、ユリウスはわかっている。
「あの王女様を見て、男として何も思わないわけじゃないだろ?」
「確かに美人だ。外敵にさらされることなく、温々とした環境で大事に育てられてきたような女性だ。逞しく生きるここの女達とは違う。少しの強風で簡単に折れてしまいそうだ」
ユリウスもレイドルフも、何も自分の周りにいる女性たちを蔑んでいるわけではない。
自然の厳しさを知り、子供を産み育て逞しく生き抜く力を持つ一族の女性たちを、ここの男たちは皆、尊敬し尊重している。
男だけでは社会は成り立たない。外に出て獲物を狩り、命を張って生きていく男たちを、優しく出迎え、時には励ましてくれる女性たち。
ここでは女だからと蔑んだり、軽んじる者はいない。
場合によっては、女が主導権を握ることもある。
彼の一族では、女は守るべき存在だけではない。
「半年経てば帰すつもりだ。それまでせいぜい機嫌良く過ごしていただくだけだ」
「それならばそれでいいですが、全員がその言葉を信じないと思いますよ。特にミアとリロイは、新しく来た王女様に興味津々だ。純粋なあの子達の気持ちを踏みにじるのは、大人して心苦しい限りです」
「……卑怯だぞ」
ユリウスも子供たちは可愛い。目の中に入れても痛くないと思っている。五歳になる彼らに母親の記憶は殆ど無い。
普段は明るく元気にしている二人だが、母のいる子供たちが母親に甘える姿を、時折羨ましそうに見ていることも知っている。
母親がほしいと口にしたことはないが、心の底ではやはり母親という存在に思慕を持っているのがわかる。
周りの大人たちも彼らを大事にしてはいるが、やはり仕える主の子供としての遠慮がある。
彼らをユリウスと同じように愛し、共に育ててくれる母親という存在がいればとは思っている。
「しかし、ユリウス様が次に結婚するなら、私は子供たちの母親というだけでなく、ちゃんと妻として迎えたいと思う女性がいいと思います」
「初めから母になりたいと思う人がいるか?」
「ユリウス様の妻にという女性ならたくさんいるでしょうがね」
「オレの妻にというのも、難しいと思うが」
「それは鈍感というものです。しかし…」
レイドルフがそこで渋い顔を見せた。
「わかっている。オリビアのことだな」
その意味するところを、ユリウスが察して言葉を続けた。
「母親の腰もそろそろ良くなっている頃です。そうすればすぐにも彼女は戻ってくるでしょう」
「うっとうしい」
その人物のことを考え、深いため息をユリウスは吐いた。
「いつまでもはっきりしないからです。もうリゼが亡くなって四年です」
「わかっている。だが、そういう気があるような態度も見せていないつもりだがな」
「でも、その気がないとも言っていない」
妻のリゼが亡くなって四年。子育てと仕事に忙殺されてきた。
レイドルフの指摘も頷けるが、だからと言って安易に妻を迎えるのもどうかと思う。
後継ぎならリロイがいる。
少し気が弱くて、ミアの方がどちらかと言えば元気がいいが、その分人を良く見ている。
自分のように率先して剣を持って突っ込んでいくのは不得手でも、良き指導者にはなると思っている。
「まだ二十三歳ですから、男としても隠居するのは早過ぎるでしょう」
「わかっている。だが…」
ユリウスとて、立派な健康的な男だ。人並みに性欲はある。女性の体の柔らかさや肌触り、その身のうちに己の一部を挿入した時の快感を忘れたわけではない。
ただ、自分の立場から、誰にでも手を出して不用意に子供が出来ることは避けなければならない。相手を慎重に選んでいるだけだ。
初めてジゼルを見た時、封じ込めていた雄の本能のようなものが疼いたのは事実だ。
陽の光を編んだような細く長い髪、美しく透明な輝きを放つペリドットの瞳。白く透き通った肌に、整った顔立ちと細いが女性らしい体つき。
子供たちが言う、絵本に出てくる妖精そのもの。
(オレも男だから、あんな女性を見たら注目してしまう)
熱を出した彼女をこの腕に抱いた感触は、今でも覚えていて、時折夢の中でユリウスを苛める。
あの白く柔らかくきめ細やかな肌に触れ、その肌が高潮した様を何度も夢に見た。
息子の部屋ではっと目が覚めて、勃ちあがった己のものを静めるために冷水を被ったりもした。
しかし、同時に熱に浮かされ苦しげな息の下で、彼女が漏らした言葉が気にもなっていた。
「オリビアには、きちんと気持ちを伝える。王女とは関係なく、俺にそのつもりはないこともな」
「すぐに納得するとは思えませんが、私共はその意に従います」
レイドルフはそう言って、執務室を出ていった。
一人残されたユリウスは、窓辺に向かい外を見た。
視線の先には何度も見慣れた風景が広がっているが、彼の意識はそこには向いていなかった。
「今夜からあのベッドで寝るのか。眠れるのか」
長い小麦色の髪がそこに広がる様子が思い浮かぶ。
シーツも枕カバーも取り替えられているだろうが、そこに彼女が横たわっていたかと思うと、今でも体が疼く。
「これは、重症だな」
誰もいない部屋で、ユリウスは一人呟いた。
今しがた、ジゼルの後ろ姿を眺めて呆けていた表情を見られてはいないだろうかと、ジゼルと入れ替わりで入室の許可なしに入ってきたレイドルフに、彼はむっとした表情で言った。
「あれが例の『人質』のお姫様ですね」
レイドルフはユリウスの母方の叔父に当たる。
叔父と言っても、ユリウスの母とレイドルフは十二も年が離れていたため、ユリウスに取っては叔父というより歳の離れた兄のようなものだ。
「例の?」
「とぼけても無駄だ。もう邸中噂になっているのは知っているだろう。君が次のボルトレフ夫人を連れ帰ってきたとね。まあ、言いふらしているのはおチビちゃんたちだが」
「別にそんなつもりで連れてきたのではない。正真正銘人質だ」
「そう思っているのは、君とあのお姫様だけだと思うが」
「勝手にそう思っていればいい。本当にそんなつもりはない」
「ここではお目にかかることのない、たおやかなで美しい女性じゃないか。一緒に王都についていった者たちが騒ぐのもわかる。しかも王女様だと言うから、ふんぞり返っているかと思えば、偉そうな素振りもないし、私はいいと思うが」
「だから、そんなつもりで連れてきたのではない」
少しむきになって彼は答えた。
「手折るには恐れ多いか?」
レイドルフは怯むことなく畳み掛ける。
「そんなんじゃないと言っている」
先ほどとは違って少し声を落とす。一族を束ねる責任をおい、常に指導者であり続ける彼にも、頭の上がらない人物がいる。
侍女長のケールと家令のサイモン、そして秘書官のレイドルフがそうだ。
彼らは常にユリウスの命に従うが、こうして彼の迫力にも臆せず言いたいことを言ってくる。
彼らは大抵はユリウスが下した決断を尊重するが、時には年長者として的確な助言や苦言をユリウスにくれる。
もちろんユリウスの指導者としての才もあるが、彼らがいたからこそ、これまで無事に当主としてやってこれたことを、ユリウスはわかっている。
「あの王女様を見て、男として何も思わないわけじゃないだろ?」
「確かに美人だ。外敵にさらされることなく、温々とした環境で大事に育てられてきたような女性だ。逞しく生きるここの女達とは違う。少しの強風で簡単に折れてしまいそうだ」
ユリウスもレイドルフも、何も自分の周りにいる女性たちを蔑んでいるわけではない。
自然の厳しさを知り、子供を産み育て逞しく生き抜く力を持つ一族の女性たちを、ここの男たちは皆、尊敬し尊重している。
男だけでは社会は成り立たない。外に出て獲物を狩り、命を張って生きていく男たちを、優しく出迎え、時には励ましてくれる女性たち。
ここでは女だからと蔑んだり、軽んじる者はいない。
場合によっては、女が主導権を握ることもある。
彼の一族では、女は守るべき存在だけではない。
「半年経てば帰すつもりだ。それまでせいぜい機嫌良く過ごしていただくだけだ」
「それならばそれでいいですが、全員がその言葉を信じないと思いますよ。特にミアとリロイは、新しく来た王女様に興味津々だ。純粋なあの子達の気持ちを踏みにじるのは、大人して心苦しい限りです」
「……卑怯だぞ」
ユリウスも子供たちは可愛い。目の中に入れても痛くないと思っている。五歳になる彼らに母親の記憶は殆ど無い。
普段は明るく元気にしている二人だが、母のいる子供たちが母親に甘える姿を、時折羨ましそうに見ていることも知っている。
母親がほしいと口にしたことはないが、心の底ではやはり母親という存在に思慕を持っているのがわかる。
周りの大人たちも彼らを大事にしてはいるが、やはり仕える主の子供としての遠慮がある。
彼らをユリウスと同じように愛し、共に育ててくれる母親という存在がいればとは思っている。
「しかし、ユリウス様が次に結婚するなら、私は子供たちの母親というだけでなく、ちゃんと妻として迎えたいと思う女性がいいと思います」
「初めから母になりたいと思う人がいるか?」
「ユリウス様の妻にという女性ならたくさんいるでしょうがね」
「オレの妻にというのも、難しいと思うが」
「それは鈍感というものです。しかし…」
レイドルフがそこで渋い顔を見せた。
「わかっている。オリビアのことだな」
その意味するところを、ユリウスが察して言葉を続けた。
「母親の腰もそろそろ良くなっている頃です。そうすればすぐにも彼女は戻ってくるでしょう」
「うっとうしい」
その人物のことを考え、深いため息をユリウスは吐いた。
「いつまでもはっきりしないからです。もうリゼが亡くなって四年です」
「わかっている。だが、そういう気があるような態度も見せていないつもりだがな」
「でも、その気がないとも言っていない」
妻のリゼが亡くなって四年。子育てと仕事に忙殺されてきた。
レイドルフの指摘も頷けるが、だからと言って安易に妻を迎えるのもどうかと思う。
後継ぎならリロイがいる。
少し気が弱くて、ミアの方がどちらかと言えば元気がいいが、その分人を良く見ている。
自分のように率先して剣を持って突っ込んでいくのは不得手でも、良き指導者にはなると思っている。
「まだ二十三歳ですから、男としても隠居するのは早過ぎるでしょう」
「わかっている。だが…」
ユリウスとて、立派な健康的な男だ。人並みに性欲はある。女性の体の柔らかさや肌触り、その身のうちに己の一部を挿入した時の快感を忘れたわけではない。
ただ、自分の立場から、誰にでも手を出して不用意に子供が出来ることは避けなければならない。相手を慎重に選んでいるだけだ。
初めてジゼルを見た時、封じ込めていた雄の本能のようなものが疼いたのは事実だ。
陽の光を編んだような細く長い髪、美しく透明な輝きを放つペリドットの瞳。白く透き通った肌に、整った顔立ちと細いが女性らしい体つき。
子供たちが言う、絵本に出てくる妖精そのもの。
(オレも男だから、あんな女性を見たら注目してしまう)
熱を出した彼女をこの腕に抱いた感触は、今でも覚えていて、時折夢の中でユリウスを苛める。
あの白く柔らかくきめ細やかな肌に触れ、その肌が高潮した様を何度も夢に見た。
息子の部屋ではっと目が覚めて、勃ちあがった己のものを静めるために冷水を被ったりもした。
しかし、同時に熱に浮かされ苦しげな息の下で、彼女が漏らした言葉が気にもなっていた。
「オリビアには、きちんと気持ちを伝える。王女とは関係なく、俺にそのつもりはないこともな」
「すぐに納得するとは思えませんが、私共はその意に従います」
レイドルフはそう言って、執務室を出ていった。
一人残されたユリウスは、窓辺に向かい外を見た。
視線の先には何度も見慣れた風景が広がっているが、彼の意識はそこには向いていなかった。
「今夜からあのベッドで寝るのか。眠れるのか」
長い小麦色の髪がそこに広がる様子が思い浮かぶ。
シーツも枕カバーも取り替えられているだろうが、そこに彼女が横たわっていたかと思うと、今でも体が疼く。
「これは、重症だな」
誰もいない部屋で、ユリウスは一人呟いた。