出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい
「いかがでしたか?」

 表情を変えることなく、仕える主の執務室から出てきたジゼルにケーラが尋ねた。
 隣にはメアリーも心配そうに立っている。

「駄目でした」
「さようでしょうね。ユリウス様は一度決められたことは、滅多なことでは意見を変えません」
 
 初めから結果はわかっていたが、彼女があまりに拘るので、これも経験だと直談判に行かせたのだった。

「わかっています。上に立つ者の意見がコロコロ変わっては、下の者が苦労します」
「それは?」

 メアリーが、執務室に入る時には持っていなかったシャツを見る。

「私にお仕事だと、袖付けと裾の綻びを直すようにとお預かりしました」
「ジゼル様にですか? それは…」

 メアリーが気色ばむ。

「構いません。事前に特別扱いはしない。仕事もするようにと言い渡されておりましたから。だから、そのつもりでいましたから。ケーラさん、針と糸をお貸しいただけますか?」
「それは構いませんが、やり方はご存知なのですか?」
「いえ、でも針なら刺繍をしますから、使えます。やり方を教えてください」
「お貸しください。そのようなこと、私がいたします」

 メアリーがさっと手を出したが、ジゼルはその手からシャツを遠ざけた。

「大丈夫よ。何も出来ない役立たずだと思われたくないわ」

 バレッシオで言われた言葉がジゼルの脳裏に蘇る。
 ドミニコの子供を生むことが出来ず、追い出されたが、それは自分でもどうしようもないことだった。
 子は天からの授かりものとも言われる。
 しかし、繕い物については、ジゼルの努力で何とかなることだ。
 最初から出来ないものと諦めたくはない。
 バレッシオ公国で、すっかり自分自身の評価を下げてしまったが、元来、ジゼルは負けず嫌いなのだ。ここで何か役に立てるなら、やってみたいと思った。
 
(すっかり忘れていたわ)

 出来なかった計算も、読めなかった文字も、努力して取り組んできた。
 幼い頃、いずれ国を継ぐかも知れないと、勉学に励んでいた時は、出来ないのですかと、言われるとむしろ不屈の精神で頑張ってきた。
 
「では、作業部屋へ案内しましょう。ついてきてください」
「ありがとう」

 メアリーはまだジゼルに繕い物などさせるなんて、と不満そうだったが、ケーラはそれも主が決めたのとならとジゼルを使用人たちの作業部屋へ案内するため、別棟へと歩き出した。

「そう言えば、ユリウス様のご子息が、私に何か頼み事があると、あの方が仰っていました」
「リロイ様がですか?」
「はい。どのようなことか、本人に聞いてほしいと言われましたが、あなたはご存知ですか? 卿はご存知ないようでした」

 ケーラなら知っているかと思って尋ねた。

「申し訳ございません。私もこれと思い当たるものがございません」

 少し考えてケーラは首を振った。

「直接お聞きになられるしかありませんね」
「そう…直接」

 少し困ったようにジゼルは微笑んだ。

「もしや子供がお嫌いとかですか?」

 子供を苦手に思う人もいる。自分もかつては子供だったろうにとも思うが、大人のように言葉で言い聞かせることも出来ず、癇癪を起こすと収拾がつかないこともある。
 そうケーラに思われたのだと悟り、ジゼルは慌てて否定した。

「い、いえ、そうではありません。子供は…私にも十歳離れた弟がおりますから、小さい頃はよく共に遊びました」 

 ジュリアンとの庭を走り回った日々を、ジゼルは遠い昔のように思い出す。
 自由で、毎日が驚きと新鮮に満ちていた。
 大人になって経験と知識を重ねるにつれ、あの無邪気さは失われ、心も体もどんどん重くなっていった。

「でも、今の年齢になって、小さな子供と関わることがありませんでしたから、どんなことをお願いされるのかと、ちょっと怖くて」

 小さい子供を見ると、自分の子供だったら、どんなだろうとつい考えてしまう。でも、ジゼルは現実には一生自分のお腹を痛めた子を持てないかも知れないのだ。
 そう思うと、もしかして辛く当たってしまうのではと不安になるのだった。

「出来ないとことを頼まれたら、正直に出来ない、無理だと仰れば良いのです。何でも自分の思い通りにならないと知ることも、よい経験です」
「それでいいのですか?」
「はい。少なくとも私はそうしてきました。嘘や適当なことを言って誤魔化す方が悪いと思います。着きました。ここです」

 話しているうちに、作業部屋の前に着いたようだ。

「凝った衣装は外から買うこともありますが、それ以外のものや補正や修理、小物などはここでまかないます」

 中からは賑やかな話し声が聞こえてくる。
 それなりに人数がいるようだ。
 コンコンと軽くノックして「入りますよ」と声をかけて、ケーラが扉を開けた。

「ケーラ様、どうなさったのですか?」
 
 女性がケーラに声をかけた。ケーラが前に立ちはだかっているので、ジゼルからは部屋の中は見えない。

「用があるのは私ではありません。私は案内をしただけです」
「え?」

 すっとケーラは中に入って脇に避け、後ろに立つジゼルにどうぞと声をかけた。

「この方に針と糸を貸して、袖付けと裾の繕い方を教えて差し上げてください」
「よ、よろしくお願いいたします」

 シャツを抱えているため、右手で軽くスカートの生地を摘んで、ジゼルは丁寧にお辞儀をした。

 ピタリとそれまで賑やかだった部屋の中が、静まり返った。
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