出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい
 初めてジゼルを見る者もいたが、既にこの邸にいる者なら、誰もがそれが誰か知っていた。

「はじめまして。ジゼルと申します」

 はにかみながら名乗るジゼルに、全員がその場で凍りついて言葉を失っていた。

「ジゼル様、こちらがここの責任者のレシティです。ここのことはすべて彼女にお聞きください」
「はい。よろしくお願いします。レシティさん」

 ケーラとそれほど年が変わらないだろう、ほっそりとした女性に、ジゼルは頭を下げた。

「え、あ、いえ、こ、こちらこそ…えっと、ここに何のご用…ですか」
「あの、実はこれを」

 左手に抱えていたシャツをジゼルがレシティに見せた。

「これは?」
「繕いを頼まれました。でもやり方もわかりませんので、ケーラさんがここに連れてきてくれました」
「それは、では、私共で」
「だめです。これは私の仕事です」

 メアリーの時と同じように、ジゼルは彼女の手からシャツを遠ざけた。

「私は『人質』です。仕事もしなければなりません」
「え、あの…人質?」

 戸惑うレシティが説明を求めてケーラを見た。他の者たちもざわざわとし始めた。

「ジゼル様はユリウス様が『人質』として王都からお連れになりました。戸惑うのもわかりますが、要は客人ではないと言うことなので、そのように対応してくださいとのことです」
「そういうことって…」

 全員が戸惑い互いに顔を見合わせる。

「レシティ、とにかく頼みます」

 ケーラがもう一度そう言うと、レシティはふうと溜め息を吐いた。

「わかりました」
「ありがとうございます」
「お礼を言われることでは…」

 ジゼルは素直に空いている木の丸椅子に座る。

「それでは私は他にすることがありますので、後はよろしく」
「ありがとうございました。ケーラさん」

 ジゼルとメアリーを置いて、立ち去ろうとするケーラに、ジゼルはお礼を言った。

「後でお菓子とお茶をお持ちします」 

 そう言って彼女は自分の仕事に戻っていった。

「そんな椅子しかなくてすみません」
「いいえ。それで、どうすればいいのかしら」

 レシティたちの方が恐縮してしまうような粗末な椅子に、場違いに一国の王女が座っている。

「まずは、シャツを裏返しましょう」
「はい」

 ジゼルはいそいそと言われたとおりに作業を始めた。

「出来ました」
「針に糸を通します」
「はい」

 真剣に針に糸を通すジゼルを、メアリーだけでなく全員が固唾を呑んで見守っている。

「出来ました」

 一度の挑戦で糸が通ると、皆がなぜか安堵の息を漏らした。
 
「全部取ってしまう方法もありますが、時間もかかりますし、今回は解けた部分だけを縫いましょう。まずはマチ針で縫う布地を固定します。表に糸の端が出ていないことを確認して、糸が残っている場所から返し縫いをしていきます」
「返し縫い?」
「こうするのです」

 レシティは、端切れで返し縫いをしてジゼルに見せた。

「こうして下から刺して少し戻して、向こう側に針を通し、この半分の長さの辺りからまた針を刺す。これを繰り返して行きます」
「なるほど。やってみますね」 

 ジゼルは意外に慣れた手付きで針を刺していく。

「お上手ですね」
「本当ですか」

 褒められてジゼルは嬉しそうに笑顔を向けた。

「ええ。ですが、丁寧なだけでは仕事になりません。もう少し早く動かさないと、数はこなせません」
「すみません」

 上げて下げるではないが、レシティに言われてジゼルは謝った。

「レシティさん、いきなりそこまで言わなくてもいいのでは? そんなにすぐには無理よ」

 レシティより少し若い女性が庇うように言った。
 
「これでも口調を和らげているんですよ。これが見習いに来た子なら、もっと厳しく言います。皆もそうだったでしょう?」
「それは、そうですけど」
「道楽、暇つぶしで針を触るなら、それでいいですが、お仕事をしたいなら、私の言っていることの方が正しいと思いますよ」
「わたしのときも、そうだったわ」

 一番若い子が自分の時のことを思い出して言った。

「お気遣いありがとうございます。でもレシティさんの仰る通りです。たとえ少しの間しかいなくても、すべきことはきちんと致します。至らないところははっきり仰ってください」
「ジゼル様、そこまでお気を張らなくても、もう少し肩の力をお抜きください」

 メアリーがガチガチになっているジゼルに言った。一針一針力んで針を進めるジゼルの顔つきはとても険しくなっていた。

「そうですね。もう少し力をお抜きになられた方がいいですよ。そんなに肩肘張っていては変な所に力が入り、すぐに疲れてかえって効率が悪くなりますよ」

 レシティに言われて、ジゼルは不自然に体に力を入れていたことに気がついた。

「本当ね」
「私の言い方がきつかったかもしれませんが、筋は悪くないと思いますよ」
「本当ですか、嬉しい」 
 
 些細なことだが、褒められてジゼルは頬を赤く染めて喜んだ。

「王女様でも褒められるとそんな風に喜ぶんだ。一緒だね、わたしたちと」

 それを見て、一番若い針子が呟いた。
 まだ十歳くらいに見える。

「す、すみません、王女様、リネはまだ幼くて…リネ、失礼ですよ」

 レシティが謝り、リネを窘める。

「いえ、謝らないでください。リネさん、私も一人の人間です。何も特別なことはありません。たまたま父が国王だっただけです」

 王女という身分は、ジゼルが自分で得たものではない。人は生まれる場所や親を選べない。
 王女として何不自由なく育ってきて、食べるのものにも着るものにも困らないのは有り難いとは思う。
 しかし、人はジゼルに対してでなく、その後ろにいる父を見ているのだ。

「王女という身分がなければ、私にはそれほど価値はありません」
「ジゼル様、そのようなことはありません」

 メアリーが慌てて否定する。

「でも綺麗なドレスを着て美味しいものをいっぱい食べられて、大きな王宮の素敵な部屋のフカフカのベッドで寝られて、掃除も洗濯もしなくていいんでしょ?」
「こらリネ」
「え~、でも、さっきも皆さんで話していたじゃないですかあ、深窓の王女様がここでの暮らしに耐えられるかって~モガ」
「リネ、黙って! す、すみません。この子ったら…ほほ」

 隣に座っていた女性が、リネの口を手で塞ぐ。
 作業をしながら噂話に興じるのはよくあることだ。だが、その中心人物にそのことを知られ、しかも相手は王族なのだ。全員がバツの悪そうな顔していて、部屋の中に微妙な空気が流れた。
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