出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい
 執務室を出て、リロイの部屋に向かったユリウスが見たのは、子供たちに挟まれてソファで気持ち良さげに眠っているジゼルの寝顔だった。

「あ、ボルトレフ卿」

 三人を眺めてどうしたものかと考えていたメアリーが、現れたユリウスに頭を下げた。
  
「寝てしまったのか」
「はい」

 ユリウスは眠っている三人に近づき、ジゼルの膝の上から落ちそうになっている本を取り上げた。
 それはリロイがお気に入りの冒険小説だった。

「このままでは風邪を引いてしまうな」

 先に手前の方にいたリロイを寝台に移し、それからその横にミアを寝かせた。一度寝てしまうとなかなか目を覚まさない子供たちは、二人同時にムニャムニャと口元を動かしている。
 そんな二人の寝顔を見下ろし優しく髪を撫でてから、ユリウスはジゼルの所へ戻った。
 自分が「人質」などと言って連れてきたせいで、途中で熱を出させてしまい、彼女を死なせてしまうかも知れなかった。 
 ふわりと抱き上げた彼女は、あの時と同じように軽かった。
 だが、この前は熱で苦しそうだったジゼルも、今日の寝顔はとても安らかだ。

 ケーラとレシティにあんなことを言われたので、つい意識してしまう。
 確かに殆どの人間が、彼女を見て美人だと思うだろう。
 しかし、ユリウスの心を揺さぶるのは、今は閉じているその瞼に閉ざされた、ペリドットの瞳の奥に潜む何かだ。

 それは彼女を苛むものか、それとも憂いか。

 しかし、部屋に行く途中で目が覚める前、なんの夢を見ていたのか、彼女の口角が微かに上がったことに気づいた。
 どうやらあの時と違い、今度はいい夢でも見ているのだろう。

(彼女の胸の内には、まだバレッシオ大公がいるのだろうか)

 彼女とバレッシオ大公との婚姻が、政治的な繋がりから決められたことは皆が知っている。
 なのにいつまで経っても妊娠出来ず、トリカディールとエレトリカとの関係悪化が重なった結果の離縁だと聞いてる。
 バレッシオはエレトリカとの関係より、トリカディールとの関係を選択した。
 だが、人には感情というものがある。きっかけがどうであれ、七年も共にいたのなら、そこには情というものが生まれるはずだ。
 耳にした話から、大公は母親に頭が上がらないようだ。
 はたして離縁について大公の意志はあったのか。少なくとも、彼女の望んだ形ではなかっただろう。一方的な申し出による離縁に、どれほど傷付いたか。そのことを想像すると、心がざわつく。

 ユリウス自身、ボルトレフの後継者として、幼い頃から父に厳しく育てられてきた。
 戦争に赴き腕を奮い、勝利を収めることを対価としている自分たちは、ただ息子だからと言うだけで後を継げるほど、生易しくはない。
 上に立つための資質がなければ、誰もついてこない。 
 ボルトレフの者は皆、命を張って生きている。その命を預けるに足る資質を示してこそ、総領として認められる。
 お飾りでは通用しない。ただ血を継いでいるだけではボルトレフの総領にはなれない。
 もちろん戦争だけでは食べていくのは大変だから、自分たちが食べていくために農作物を育て、馬や牛、羊などを飼い、工芸品を作り、出来るだけ自給自足が出来るよう代々技術を磨いてきた。
 ボルトレフの名の元に集まり、苦楽を共にしてきた仲間たちのためにも、自分は彼らの生活がきちんと恙無く送れるよう、最大限の努力をしなければならない。
 自分はボルトレフといういわゆる王国の責任者として、この地に住まう者たちを統率していく責務がある。

 最初の妻、リロイとミアの母親のリゼは幼い頃から共に育ち、側にいるのが当たり前のような、ユリウスにとっては家族、妹のようなものだった。
 リゼはボルトレフの一族がどういうものか理解し、よく知っている。
 年が近かったせいもあり、自然と周りも自分たちもお互いにこのまま結婚するんだろうなぁと、そんな風に思っていた。
 燃え上がるような恋情はなくても、互いに尊重しあい共に子を育て、また次代にボルトレフを継いでいく。
 そう思っていた。

 誤算だったのは、妊娠と出産がリゼに及ぼした影響。

 妊娠後期から彼女は塞ぎ込むようになった。

 かと思えば気分が高揚し、興奮して夜通し起きていることもある。
 また不意に理由もなく(少なくともユリウスには思い当たる節がない)、ボロボロと涙を流し、ちゃんと子供を育てられるだろうかとブツブツ言い続ける。
 体も浮腫(むく)み、イライラを治めるためにひたすら食べ、体は妊娠前の倍に膨れ上がった。
 それまでも頻繁に訪れていた妹のオリビアが、そんな姉を心配して泊まり込むようになった。
 オリビアが側にいれば、多少は気が紛れるかと思ったが、リゼの感情は一日の内でも大きく変動し、精神的にも肉体的にもどんどん憔悴していった。

 子供が双子だったこともあるのか、出産は予定より一ヶ月も早くなった。

 陣痛が起きて丸一日、彼女は苦しんだ。
 最初に生まれたのはミアで、それからリロイが生まれた。
 双子はどちらも小さかった。
 母子ともに命が危険な状態だったが、助かったのはファーガスのお陰だ。
 数年間他国を周り、色々な技術と知識を身につけた彼がいなければ、リゼは出産で命を落とし、子供たちも生きて産まれてこなかっただろう。

 しかし、出産後、小さいながらも子供たちが日々元気に育っていくのとは対象的に、リゼは寝たり起きたりの日々となった。
 オリビアがそんなリゼに付き添い、何とか世話をしてくれたが、リゼは子供たちを側に連れてきても、ただ無表情に眺めて触ろうともしなかった。
 仕事で忙しく、ユリウスが会いに行っても、いつも会いたくないと言っていると、オリビア伝いに言われ、会えない日々が続いた。
 
 そしてある嵐の夜、彼女は寝室を抜け出し、翌朝冷たい遺体となって発見された。
 
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