出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい
話したいことがあると言いながら、ユリウスは何も言わず廊下を歩いていく。途中立ち止まって顎に手を当てて何やら考え込んだかと思うと、こちらへ、と言って中庭へとジゼルを連れて行った。
中庭は所々篝火が焚かれているものの、やはり夜なので殆ど何も見えない。
「あの、お話とは何でしょうか?」
ジゼルは問いかけた。
「オリビアのことだ」
「オリビアさん?」
ジゼルは先程会ったばかりの彼女の顔を思い浮かべる。
「彼女がどうかされましたか?」
「彼女は私の亡くなった妻の妹だ」
「はい、それは先程お聞きしました」
実は昼間メアリーから聞いていたが、詮索していたように思われるかもと、そのことは伏せた。
「妻が妊娠中に精神的に不安定になったので、心配だと付き添ってくれるようになったのだ」
「仲の良い姉妹なのですね」
妊娠により体質が変わることはジゼルも知っている。それまで食べていたものが受け入れられなくなったり、逆に嫌いだったものがほしくなったり、酸味を求めたりするらしい。
そんな姉を心配して妹が付きそうのは、ちっとも不思議ではない。
同性同士のオリビアたちのようにはいかないだろうが、もしジュリアンが体調を崩したならば、ジゼルもできるだけのことはしようとするだろう。
「双子だったからか、予定より一ヶ月も早い出産で、母子ともに危なかった。幸い子供たちは他の子より小さかったが、何とか無事生まれ、特に問題もなかった。しかし妻は体調が思わしくなく、オリビアは姉を心配してここに残った。彼女は結局亡くなり、子供たちを残して逝った姉の代わりだと言ってそれからもオリビアはずっとここにいる」
それはメアリーが他の人たちから聞いてきたと言って、ジゼルに話したままの内容だった。
「何度かこっちは大丈夫だから、家に戻るようにと言ってきたが、そのうちそのうちと言っている間に、四年も経ってしまった」
「母親を亡くしたお子様たちのことが心配だったのでは?」
もし自分が同じ立場だったら、できる限りのことをしようと思うだろう。
仲が良かったのなら尚更だ。
「実際、サイモンやケーラたちがいれば、彼女がいなくても困ることはないが、特に帰す理由もなかったので、あえて何も言わずに来たのだが、それが悪かったのだろうか」
オリビアの滞在を黙認してきたことを、後悔しているような口ぶりだった。
彼が話の矛先をどこに持っていきたいのかわからず、ジゼルは黙って彼の話を聞いていた。
(ところで、この手はいつまで繋いでいればいいのかしら)
彼の話に耳を傾けながら、ジゼルの意識は繋いだままの手に向く。
ジゼルの手をすっぽりと覆う彼の手は、硬いと思っていたが、掌は意外と柔らかく温かい。剣を握る人の手だとはわかっていたが、ペンだこのようなものもあるのは、彼が勤勉であることを示している。
(ドミニコの手は、いつも綺麗だったわ)
ユリウスの爪は短く切られていて、不潔なわけではない。よく日に焼けて男性らしい。
でもドミニコは爪をヤスリにかけ、手荒れを防ぐクリームを塗り、手入れに気を遣っていた。
彼曰く、身だしなみに気を遣うのは富の象徴であり、相手に侮られないための武装なのだそうだ。
(でも私は、努力しているのがわかる、彼のような手が好きだわ)
彼の方が体温が高いからか、繋いだ手からじんわり伝わる彼の体温に、ジゼルは心地良さを感じていた。
「俺がエレトリカの王宮へと出発するのとほぼ同時に、彼女の母親が腰を痛めて寝込んでいる。娘に会いたがっていると連絡が入った」
そんなことをジゼルが考えている間も、ユリウスはオリビアのことについて話を続けた。
ジゼルは自分の考えを打ち切り、彼の話を聞いて思った言葉を口にする。
「お母様も心細くなられたのでしょうね。病気や怪我をすると、人恋しくなりますから」
「そうだと思う。だから父親が俺にも手紙を送ってきて、戻るように伝えてほしいと頼んできた。だからそれを伝え、彼女もそれに従った」
それもメアリーから聞いた通りだった。
しかし彼女がここにいる事情を、なぜジゼルにそこまで詳しく話す必要があるのたろうか。
ジゼルはそう思いながらも、ユリウスの話に耳を傾けたが、次の言葉は思ってもみなかった内容だった。
「オリビアは、次のボルトレフ夫人は自分だと言っているようなのだ」
「え、そ、それは…」
それはすなわち、ユリウス・ボルトレフの妻になるということだ。
「亡くなった伴侶の身内と、家門のために縁組することはない話ではありませんわ」
家同士の繋がりや利害関係を保つため、再婚相手を同じ血族から選ぶことは珍しい話ではない。
ここに来てまだ日の浅いジゼルには、ボルトレフ家とオリビアの家との関係性はわからないが、年齢もちょうどいいし気心がわかっているなら、特に問題もなさそうだ。
しかし、姉妹兄弟で夫婦になることに、躊躇いを抱く者もいる。
(私の意見を聞きたいのかしら? それともオリビアさんが私の存在を気にするのかも)
ジゼルと彼の間には個人的な関係性はない。
「人質」と言っても、それはエレトリカとボルトレフとの契約の一端なだけだ。
オリビアがジゼルがここにいることを気に入らないと思ったら、彼もジゼルの処遇を考えないといけないのではないだろうか。
先程の様子から、オリビアからは歓迎されていないような気がしていた。
(結婚相手の周りを、よくわからない人間がウロウロしていたら、気分は良くないわね)
これからもボルトレフとエレトリカが互いに良好な関係を継続していけるようにすることと、彼の結婚は別の話であり、ジゼルには何も言う権利はない。
彼もまだ二十三歳だ。先妻を亡くして四年も経つなら、そろそろ次の相手をと考えてもおかしくはない。
でも、なぜかジゼルは砂を飲み込んだような重苦しさを胸に感じた。
中庭は所々篝火が焚かれているものの、やはり夜なので殆ど何も見えない。
「あの、お話とは何でしょうか?」
ジゼルは問いかけた。
「オリビアのことだ」
「オリビアさん?」
ジゼルは先程会ったばかりの彼女の顔を思い浮かべる。
「彼女がどうかされましたか?」
「彼女は私の亡くなった妻の妹だ」
「はい、それは先程お聞きしました」
実は昼間メアリーから聞いていたが、詮索していたように思われるかもと、そのことは伏せた。
「妻が妊娠中に精神的に不安定になったので、心配だと付き添ってくれるようになったのだ」
「仲の良い姉妹なのですね」
妊娠により体質が変わることはジゼルも知っている。それまで食べていたものが受け入れられなくなったり、逆に嫌いだったものがほしくなったり、酸味を求めたりするらしい。
そんな姉を心配して妹が付きそうのは、ちっとも不思議ではない。
同性同士のオリビアたちのようにはいかないだろうが、もしジュリアンが体調を崩したならば、ジゼルもできるだけのことはしようとするだろう。
「双子だったからか、予定より一ヶ月も早い出産で、母子ともに危なかった。幸い子供たちは他の子より小さかったが、何とか無事生まれ、特に問題もなかった。しかし妻は体調が思わしくなく、オリビアは姉を心配してここに残った。彼女は結局亡くなり、子供たちを残して逝った姉の代わりだと言ってそれからもオリビアはずっとここにいる」
それはメアリーが他の人たちから聞いてきたと言って、ジゼルに話したままの内容だった。
「何度かこっちは大丈夫だから、家に戻るようにと言ってきたが、そのうちそのうちと言っている間に、四年も経ってしまった」
「母親を亡くしたお子様たちのことが心配だったのでは?」
もし自分が同じ立場だったら、できる限りのことをしようと思うだろう。
仲が良かったのなら尚更だ。
「実際、サイモンやケーラたちがいれば、彼女がいなくても困ることはないが、特に帰す理由もなかったので、あえて何も言わずに来たのだが、それが悪かったのだろうか」
オリビアの滞在を黙認してきたことを、後悔しているような口ぶりだった。
彼が話の矛先をどこに持っていきたいのかわからず、ジゼルは黙って彼の話を聞いていた。
(ところで、この手はいつまで繋いでいればいいのかしら)
彼の話に耳を傾けながら、ジゼルの意識は繋いだままの手に向く。
ジゼルの手をすっぽりと覆う彼の手は、硬いと思っていたが、掌は意外と柔らかく温かい。剣を握る人の手だとはわかっていたが、ペンだこのようなものもあるのは、彼が勤勉であることを示している。
(ドミニコの手は、いつも綺麗だったわ)
ユリウスの爪は短く切られていて、不潔なわけではない。よく日に焼けて男性らしい。
でもドミニコは爪をヤスリにかけ、手荒れを防ぐクリームを塗り、手入れに気を遣っていた。
彼曰く、身だしなみに気を遣うのは富の象徴であり、相手に侮られないための武装なのだそうだ。
(でも私は、努力しているのがわかる、彼のような手が好きだわ)
彼の方が体温が高いからか、繋いだ手からじんわり伝わる彼の体温に、ジゼルは心地良さを感じていた。
「俺がエレトリカの王宮へと出発するのとほぼ同時に、彼女の母親が腰を痛めて寝込んでいる。娘に会いたがっていると連絡が入った」
そんなことをジゼルが考えている間も、ユリウスはオリビアのことについて話を続けた。
ジゼルは自分の考えを打ち切り、彼の話を聞いて思った言葉を口にする。
「お母様も心細くなられたのでしょうね。病気や怪我をすると、人恋しくなりますから」
「そうだと思う。だから父親が俺にも手紙を送ってきて、戻るように伝えてほしいと頼んできた。だからそれを伝え、彼女もそれに従った」
それもメアリーから聞いた通りだった。
しかし彼女がここにいる事情を、なぜジゼルにそこまで詳しく話す必要があるのたろうか。
ジゼルはそう思いながらも、ユリウスの話に耳を傾けたが、次の言葉は思ってもみなかった内容だった。
「オリビアは、次のボルトレフ夫人は自分だと言っているようなのだ」
「え、そ、それは…」
それはすなわち、ユリウス・ボルトレフの妻になるということだ。
「亡くなった伴侶の身内と、家門のために縁組することはない話ではありませんわ」
家同士の繋がりや利害関係を保つため、再婚相手を同じ血族から選ぶことは珍しい話ではない。
ここに来てまだ日の浅いジゼルには、ボルトレフ家とオリビアの家との関係性はわからないが、年齢もちょうどいいし気心がわかっているなら、特に問題もなさそうだ。
しかし、姉妹兄弟で夫婦になることに、躊躇いを抱く者もいる。
(私の意見を聞きたいのかしら? それともオリビアさんが私の存在を気にするのかも)
ジゼルと彼の間には個人的な関係性はない。
「人質」と言っても、それはエレトリカとボルトレフとの契約の一端なだけだ。
オリビアがジゼルがここにいることを気に入らないと思ったら、彼もジゼルの処遇を考えないといけないのではないだろうか。
先程の様子から、オリビアからは歓迎されていないような気がしていた。
(結婚相手の周りを、よくわからない人間がウロウロしていたら、気分は良くないわね)
これからもボルトレフとエレトリカが互いに良好な関係を継続していけるようにすることと、彼の結婚は別の話であり、ジゼルには何も言う権利はない。
彼もまだ二十三歳だ。先妻を亡くして四年も経つなら、そろそろ次の相手をと考えてもおかしくはない。
でも、なぜかジゼルは砂を飲み込んだような重苦しさを胸に感じた。