出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい

第八章

「いやだ……いやだ…こないでぇ…おとーさまぁ……た、たすけて」

 どんな悪夢を見ているのだろうか。
 リロイは涙で顔をグチョグチョにし、何かを追い払うかのように手足をばたつかせている。

「こないで、あっちへいけ、ミア、そっち、だめ、やだぁ」

 何かに襲われているようで、そこから必死で逃れようとしている。
 時折目をうっすらと開けるが、意識は混濁していて目の焦点が合っていない。
 ケーラと二人で部屋を訪れ、暫くするとリロイは時折ビクッと体を痙攣させ、やがて今のように暴れだした。

「な、なんてこと……」

 その様子に二人は愕然とした。
 ファーガスはリロイがこんなふうに痙攣しているとは、ひと言も言っていなかった。
 もっと血相を変えて言ってきただろうし、こんな状態のリロイを放っては置かなかったに違いない。
 と、するならば、先程ファーガスが診察した後からこんなふうになったのだろう。
 ジゼルは堪らず腕を伸ばし、そんなリロイの体をぎゅっと抱きしめた。

「大丈夫、大丈夫よ。誰もあなたを追ってこない。大丈夫、守ってあげるから」

 リロイの意識に働きかけるように、耳元で囁く。

 腕を擦り、背中をポンポンと叩くと、ジタバタ手足を動かすリロイの体から少しだけ力が抜ける。

「ひどい。本当にこれが薬のせいなら酷すぎます」

 ジゼルはまだ自分の腕の中でビクビクと体を震わせ、泣き続けるリロイを抱きしめながら、生まれて初めて人を恨んだ。
 バレッシオでどんなに罵られても、蔑まれても、己が悪いのだと自責の念を抱くだけで、ここまで怒りを感じることはなかった。

「まだ五歳なのに、この子が何をしたと言うのです」

 確実なことはわからないが、もしこれが故意だと言うなら、人のすることではない。ジゼルはあまりの怒りに涙が滲む。
 
「この子たちの母親も、このような様子だったのですか?」
「それが、私たちが知っているのは、塞ぎ込んで虚ろな目をされたリゼ様の姿で、時折何やらブツブツおっしゃっておりましたが、このような状態は見たことがありません。殆どオリビアさんが看病していて、私達は簡単には近づけませんでした」

 ケーラが情けない気持ちを顔に浮かべる。
 その表情は後悔に満ちている。

「妊娠出産で気持ちが落ち込む人があると知っていましたから、私共はそれを信じ、ファーガス先生も満足に診察させてもらえませんでした」

 もし彼女の気鬱も薬のせいなら、気が付かなかったことを悔やんでいるのだろう。

「もしオリビアさんの仕業なら、なぜ実の姉や甥にこのようなことを……」
「わかりません。ですが、そのことに気づかなったことを、とても悔やんでおります」
「誰も、まさか彼女がそのようなことをするとなど、思いもしなかったでしょう。今のところ憶測でしかありませんが、これが真実なら、とても恐ろしいことです。一人は亡くなってしまったのですから」

 随分大人しくなったが、時折ビクリと体を震わせ、リロイは「やだ、くるな、ミア、おとーさまたすけて、あっちへ行け」と呟き続けている。

 そこへ、ファーガスが慌てて走り込んできた。

「はあ、はあ、はあ、い、今、ある薬で…はあ、つ、つくって…作ってきました……こ、これを…リロイ…さまに……ど、どうされたのですか」

 息も絶え絶えに、茶色い小瓶を片手にやってきたファーガスが、リロイを抱きしめるジゼルを見て尋ねた。

「私とジゼル様がここに来た時に、リロイ様がうわ言を繰り返し、手足をばたつかせていました。それをジゼル様が抱き締め、優しく声をかけられ、擦ってあげているのです」

 少し前のリロイの状態をケーラが説明する。

「このように短期間で症状が変わるとは……やはり薬のせいという説が濃厚になってきました」

 ファーガスが自分の見立てに確信を持つ。

「けれど、もし、リロイ様の症状が、先生の思っていらっしゃる薬のせいでなかったら、どうなりますか?」

 ファーガスが疑っている薬が原因だとしたら、この薬は効果が期待されるだろう。
 だが、もし違った場合、これを飲むことで、さらに症状が悪化しないだろうか。
 ジゼルが心配して尋ねる。
 薬にも飲み合わせがあると聞いたことがあったからだ。

「リロイ様はお子様ですから、その辺りの加減は必要だと思います。しかし、このまま何もせずにいれば、リロイ様の心が耐えられません。少量ずつ、様子を見ていきましょう」
「そうですか」

 ファーガスの言うとおり、薬で今はこうなっていたとしても、このまま続けばリロイの精神が壊れてしまう。

「さあ、リロイ様」

 ファーガスが持ってきたのは液体の薬だった。
 それをスプーンに取り、そっと僅かに開いた唇の隙間から注ぎ込み、軽く顎を押さえて吐き出さないように口を閉じた。
 
「う……」

 リロイの口元が歪み、眉間に深い皺が刻み込まれる。
  
「味は度外視ですからね。かなり苦いと思います」

 ファーガスが申し訳無さそうに言う。

「背に腹はかえられません。この際味は二の次ですよ」
「ケーラさんの言うとおりです。可愛そうですが治るのなら味は四の五の言っていられません」

 子供に取って薬は、大人以上に辛いものがある。

「良くなったら、あなたの好きなものを食べましょうね」

 そしてもう一口、ファーガスがリロイの口に薬を注ぎ込んだ。
 
 
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