出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい
「う……」

 頭が重く胸もムカムカする。
 ジゼルは吐き気を感じながら目を見開いた。

「こ、ここ…は?」

 見覚えのない狭い部屋の固い寝台の上に、ジゼルは後ろ手に手を縛られて寝かされていた。

「うっ!」

 頭痛がして顔を顰め、そして気を失う直前のことを思い出していた。

 オリビアが会っていた相手がカリエテーレの人間らしいと言うことがわかったが、それだけで他に手がかりらしいものを、サイモンは見つけられなかった。
 
「とにかく、オリビアさんのことと、リロイ様のことは、既に関わっている者以外には暫く秘密にしておきましょう。変な憶測だけが独り歩きして、混乱が起こっては大変です」

 サイモンがいい、その場にいた全員が納得した。

「私は引き続きオリビアさんを探します」
「では、リロイ様のことは我々で守りますので」

 ファーガスがそう言い、ジゼルは彼と共にリロイの看病に戻った。

「本当にオリビアさんがやったのでしょうか」

 スヤスヤ眠るあどけないリロイの寝顔を見ながら、ジゼルは呟いた。
 こんな可愛い子を苦しめる人間がいるなんて信じられない。ましてや他人でもない、実の甥にだ。

「人の価値観や、望むものは様々ですから、理解が及ばないこともあります。自分の物差しで他人を計ろうとしても、そもそもが違う物差しなのですからね」
「他人とは、分かり合えないということでしょうか」

 オリビアのことだけでなく、ドミニコとも結局は分かりあえたとは言えない。
 もしかしたらユリウスとも、そうなのかとジゼルは考えた。

「私も難しいことはわかりませんが、わかり合おうとしたなら、それも出来ますが、相手にその気がないとかなり厳しいと思います」
「そうですよね」

 ドミニコとは、わかり合うための努力をしてこなかった。したと思っていたが、実際は何も実を結ばなかった。
 それはもう致し方ないと思っている。
 しかし、ユリウスとは、わかり合えないということで諦めたくなかった。
 
(私、本当に彼のことが好きなのだわ。もしかしたら、私にとっても彼が初恋なのかしら)

「ジゼル様、実は私、気になる患者がおりまして、一度様子を診てきてもよろしいでしょうか。もう高齢の方で数日前から臥せっているのです」
「まあ、そんなことが……リロイ様のことは様子を見ていますので、気にせず行ってきてください」
「すみません。明け方には戻ってまいります」
「それでは、先生の休む時間がありませんわ」

 今からその患者の様子を見に行って、明け方に戻ってくるならファーガスの休む時間がない。

「構いませんよ。薬が効いているのか、リロイ様の容態も気になりますから。休んだところで落ち着きません。熱が出るかも知れませんので、こちらに熱冷ましの薬を置いておきます」
「熱……」

 今は穏やかな様子のリロイをジゼルは振り返る。

「熱が出るかもしれないのですか?」
「人の体には、自然に治癒しようとする力が備わっています。風邪などを引いて熱が出るのは、それが体に入った異物を排除しようと頑張っているからです。ですから、熱が出るのは必ずしも悪いことではありません」
「そうなのですね」
「熱も体力を消耗します。リロイ様はまだ小さいので、熱に抵抗する力も今は弱っています。水もたくさん飲ませて汗も掻かせてください」
「わかりました」

 ジゼルはファーガスが言った言葉を頭の中に叩き込んだ。
 そしてファーガスは、その患者の元へ様子を見に行った。
 それからファーガスの言うようにリロイは熱も出した。
 熱に浮かされ、リロイはユリウスやミア、そして記憶に残っていないだろう母親のことを呼んでいた。
 ケーラも時折様子を見に来て、二人で汗をかいたリロイを着換えさせたり、汗を拭いたり、額に濡れた布をあてたりして、何とか薬を飲ませずとも夜明け前に熱が下がった。

「もう大丈夫でしょう。どうやら薬が良く効いたようです」
「本当ですか、良かった」
 
 まだ夜が明け切っていない時間に、ファーガスが戻ってきてリロイを診察して言った。
 それを聞いてケーラと二人でジゼルは安堵の喜びを感じた。

「ジゼル様のお陰です。徹夜で看病なさったのですから」
「いえ、ひと晩くらい何ともありませんわ」

 体は疲れていたが、心は落ち着いていた。
 ユリウスが留守の時に、彼の子供たちに何かあっては申し訳ない。
 ジゼルは託されたわけではなかったが、彼の大事な存在を守れたことに、不思議と達成感が湧いていた。

「さあ、ジゼル様、後は私に任せて少しお部屋に戻ってお休みください」

 ケーラがジゼルにそう言って、彼女の背中を押して促した。

「でも、あなたもお疲れでしょう? それに先生だって」
「私は少し仮眠を取らせていただきました。さあ、あなた様が倒れられては大変です」
「ケーラさんの言うとおりです。私はジゼル様より体力もありますし、慣れておりますから。お気遣いありがとうございます」

 ケーラとファーガスが心配して言ってくれているのがわかっているので、ジゼルは彼らの言うとおりにすることにした。

 まだ夜は明けきれておらず、リロイの部屋から自分に充てがわれた部屋に戻る前に、ジゼルは中庭に出た。
 そこは数日前、ユリウスに告白された場所だった。

「ユリウス、早く帰ってきて」

 誰かのことをこんなふうに、恋しく思うのは初めてこことだった。
 彼の肌の温もり、息遣い、囁く声。彼に女であることの歓びを教えてもらった。
 「人質」としてこの地に赴く時には、不安しかなかったが、ここでジゼルは新しい感情を知り、自分に欠けていたものが何かを知ることができた。

「王女様」
 
 その時、後ろから声をかけられ、はっと振り向いた。
 その先には、探し回っていたオリビアがいた。 
 
 
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