出戻り王女の恋愛事情〜人質ライフは意外と楽しい
「あんなどこの馬の骨ともわからない男に惑わされるなど、どうかしている。奴の評判を知っているか、野蛮な輩どもを束ねて一国の王のように振る舞っている勘違い野郎だ」

 ドミニコはユリウスを口汚く罵る。
 反論したい気持ちを、ジゼルはぐっと堪えた。ここで逆らおうものなら、彼の怒りをさらに煽ることはわかっていた。彼の怒りの沸点は低い。我を忘れた時の激情ぶりを、ジゼルは何度も目にし、身をもってその激しさを知っている。

「まあまあ大公閣下、そのように激昂なさらないで。王女様が怯えておりますよ」

 名も知らない男がドミニコの肩を叩いて、彼を宥める。取り敢えず罵ることは止めたようだ。しかし、まだ怒りは収まらないのかぶつぶつと何か文句を言い続けていた。

「とにかく、いつまでもここにいても仕方がありません。早くバレッシオに」
「そ、そうだな。ほら、ジゼル」
「やめて」

 腕を乱暴に引っ張られ、ジゼルは抵抗する。

「大人しくした方が身のためですよ、王女様。あなた如きここから運ぶのはいくらでも方法があります。ですが、乱暴なことはしたくありません」

 無理矢理にでもここから引きずり出す方法はあると、男はジゼルを脅しているのだ。
 あれほど慕っていた母親でさえ、ドミニコは簡単に見捨てた。しかし彼もいつ豹変するかわからない。
 それでも、大人しく従うのは、自分がドミニコとバレッシオに行くことを了承したことになる。

「さあ、ジゼル」

 ドミニコが再び手を差し出したが、その手をジゼルは取ることなく自ら立ち上がった。
 
「ジゼル?」
「勘違いしないでください。あなたは簡単に戻れると思っているのでしょうけど、それは無理です」

 ジゼルは震える自分の手を自ら掴んで、震えを止める。そして真っ直ぐにドミニコを見据えた。

「あなたと私は最初から掛け違っていました。途中で掛け直す機会はあったかも知れないのに、お互いにそれをしなかった。いつまで経っても噛み合わない。離縁は残念なことですが、それでお互い新しい道を進むことが出来たのです。そう思って、諦めていただけませんか」
「諦める? 諦めるだと?」

 ジゼルからそんなことを言われるとは思わず、ドミニコは目を見開いた。

「そうです。ここであったことは、私は誰にも言いません。ですから」
「甘いな。王女様」

 それを遮ったのは、素性を知らない男だった。

「勘違いしているようだが、俺はあんたたち夫婦の仲を取り持つためにこんなことをやっているのではないんですよ」
「あんた達だと、お前、誰に物を言っている」
「実のないお坊ちゃま大公。我が儘で無能で、母親のスカートの陰に隠れて、偉そうな態度だけは一人前のあんただ」
「何だと!?」

 ドミニコは男に食って掛かり、胸ぐらを掴んだ。
 しかし男は動じない。

「手を取り合う条件として、あんたが王女様を連れてこいと言った。だからこちらも協力しただけです。拗れた男女間の関係改善まで求められても困りますよ」
「無礼だぞ、貴様」
「無礼で結構、もとよりあんたは俺の主君ではない。あんたは俺たちの目的を達成するために必要な駒に過ぎない」
「何だと!?」
「いい加減、その短気を改めた方がいいですよ。そのせいで王女様にも嫌われて愛想を尽かされているんですから。まあ、男の俺から見ても、ボルトレフの総領とあんたでは格が違うのは一目瞭然だ」

 男はちらりとジゼルに視線を向ける。

「何も難しいことは無い。王女様はバレッシオ大公と共にバレッシオ公国に行く。そしてそのまま二人で暮らせば良い。後は我が国とバレッシオ公国が手を結びボルトレフを倒してエレトリカ王国を侵略する。それで終わりだ」

 パチンと男が指を鳴らすと、外からバンと大きな音を立てて扉が開いた。武装した屈強な男が三人入ってくる。
 
「少々時間を取り過ぎた。丁重にお二人をお連れしろ。王女様は暴れるかもしれない。一応縛っておけ」
「はっ」
「やめて、離して!」

 藻掻いたが三対一で適う筈もなく、ジゼルは上半身を縄で縛られ、足首も布を巻かれた。
 そしてそのまま一人の男に肩に担ぎ上げられた。

「離して、やめて」

 外に出ると、大勢武装した男達が待ち構えていた。いつの間にか日は傾き、松明の火が長い影を地面に落としていた。担ぎ上げた男の肩の上で、縛られた手足で何とか降りようと藻掻く。

「ジゼル、大人しくしろ」
「やれやれとんだお転婆王女様だ。聞いていた話と違いますね、大公」
「どうしたというのだ、君らしくない」
「いいえ、これが私の本当の姿です」

 首を巡らせてジゼルはドミニコに叫んだ。

「バレッシオでの私は、あなたと、テレーゼ様がそうあるべきだと作り上げたもので、本当の私ではありません」
「ジゼル、いい加減にしろ」
「何をしている!」

 叱責するドミニコの声に被って、空気を震わせるような野太い声が響き渡った。
 
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