baby’s breath(眠れる森の王子は人魚姫に恋をした side story)
「ねぇ、この(あと)一緒にご飯食べに行かない?もちろん二人きりで。」

私の顔がすっぽりと収まってしまうほどの大きな手で、少し長めの前髪をかき上げながら子犬のような笑顔で誘ってきたのは、2週間ほど前にこのイタリアンレストランにバイトとして入ってきた葛城 将文(かつらぎ まさふみ)という如何(いか)にも女慣れしていそうな男だった。半年ほど前にアメリカから帰国したというのだが、26歳にもなってわざわざ飲食店でバイトなんかせずに、きちんと就職すべきだと思う。

「断るのが面倒なんで、もう二度と誘わないでください。」

2週間という短い期間にほぼ毎日シフトが入っている私は、彼とシフトが重なるたびに誘われるので、こちらの断り方もだいぶ雑になってきた。毎回断っているのだから、いい加減あきらめて欲しい。今の私には恋愛なんて楽しむ余裕なんてないのだ。

「え~~~っ。一度くらい良いじゃーん。香澄(かすみ)ちゃんの意地悪ぅ~~~。」

私はこの軽いノリが苦手だ。もともと恋愛経験が少ないため、どこまでが冗談でどこからが本気なのかの判断に困るのだ。しかし、何度断っても挨拶の様に食事に誘ってくるので、彼にはきっとこの対応が正解なのだと思う。

「久保田さん、こんなチャラい男は無視して帰りましょ!」

同じホールでバイトしている鈴木さんが声を掛けてくれたので、いじける素振りを見せる彼を無視して鈴木さんと一緒に店を出でる。

 見た目は悪くないんだけどね…。いや、見た目だけじゃないか…。

外国人のお客様と流ちょうに英語で会話する2メートル近い長身の葛城くんに女性スタッフは胸をときめかせていた。そして子犬のように愛らしいスマイルにはスタッフだけではなく女性のお客様も釘付けになっていた。もちろん、私だってつい魅入ってしまう時があるので、そんな彼にときめかない様にするのに必死だった。

私にはいつもふざけた感じで話しかけてくるが、お子様からお年寄りまでどんなお客様にも誠心誠意込めて真摯に対応する姿はとてもカッコ良いと思う。彼ほどのコミュニケーション能力があればアルバイトではなく正社員でもきっとやっていけるだろう。

目に焼き付いた彼の姿を思い出し、せめて夢の中だけでも素直に食事を一緒にしたいと願いながら眠りについた。

 ドンッ! ドンッドンッ!

「さっさとここを開けろっ!!!」

インターホンもなしに玄関のドアを叩く音で目が覚めた。携帯電話の横にあるボタンを押してサブウィンドウに表示される時間を確認した。

 …1時半か。

物静かな母はなぜかいつもダメ男を拾ってしまう。いや、世話好きで相手に尽くすタイプの母がダメ男にしてしまうのだろうか??何度か結婚と離婚を繰り返す母に珍しく会社を経営する一見優秀な方と私が高校2の夏にと再婚をした。これで母も幸せになるだろうと思っていたのだが、私が大学へ進学したころ、友人に騙されて多額の借金を負ってしまったのだ。そこからは経営していた会社も倒産し、絵にかいたような転落人生で借金取りが来たり、お酒に溺れる義父の姿はよくあるドラマを観ているようだった。
それまでは母にも連れ子である私にも優しかった義父だが、最近、母に暴力を振るようになっていた。母は私に知られない様に普段は外出する時にしかしない化粧を普段からするようになり、顔のあざを隠そうとしていたが、残念ながらバレバレであった。

「キャーッ!!」

ガタンっ!ガタガタっ!

「金持ってんじゃねぇーかっ!サッサと出しやがれっ!!」

ドンッ!! バタンっ!!

義父は母からお金を奪い、また出て行ったのか玄関のドアが閉まる音と共に再び夜の静けさがリビングに広がる。

「…お母さん、大丈夫?」

ゆっくりと殴られた頬を抑えながら振り変える。

「えぇ…。夜中にごめんね。大丈夫よ。」

 とても大丈夫には思えない…。

「ねぇ…、もう、離婚すれば?」

片足を引きずりながらキッチンへ向かう母は驚いた顔をした。足は先ほど義父にやられたのだろう…。

「そうねぇ…。光志(みつし)さんも借金抱えるまではとても良い人だったのよ?知ってるでしょ?あなたの学費だって快く出してくれたの。借金したからって直ぐには離婚できないわ…。まるで裏切るみたい。」

「そうだけど…。お義父さんに殴られたの今日が初めてじゃないでしょ?心配だよ…。」

「あなた気づいてたのね…。私たちの事は私たちで解決するから…。あなたは何も心配いらなわ。明日も大学で授業でしょ?もう寝なさい。」

そう言うと、母は無理くり笑顔を作って私を部屋へと戻らせた。
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