月と太陽
支えになってくれる人
車のトランクに荷物を乗せて運転席に乗った。
紗栄は、後部座席に乗り込んだ。
いつもの座る位置だった。
前に乗ると週刊誌に写真を撮られたら勘違いされるからという理由だ。
後ろなら分かりにくい。
現場入りまで、あと、40分。
移動距離的にはあと10分で着きそうだった。
「忘れ物…無いですか?」
「はい、大丈夫です。」
「シートベルト締めてください。出発します。」
エンジンをかけて、シフトレバーをDに変えた。
慌てて、紗栄はベルトをカチャとつけた。
言葉数が少ない。
バックミラー越しに顔を見た。
窓の外を見つめていた。
今の仕事で唯一楽しみなのは話さなくてもいつも顔を見れること、しかも、ヘアメイクさんやスタイリストさんに着飾れた紗栄を真近で見られることが楽しみになっていた。
忙しさの中の小さな幸せを噛みしめていた。
生まれてからずっと片想いという状況がなかったさとしにとって、この空気も良いなと噛みしめる。
仕事に夢中になれれば、それで良いと割り切れる。初めて、朝のバラエティ番組で胸が高鳴っていた。
午前4時、現場に入った。ひと通り、お世話になる出演者、カメラマン、ADや制作、美術などの全ての方に頭を下げながら、名前と共に自己紹介して周った。
パッとでの出演でも、失礼のないようにするのが業界の暗黙の決まりだった。
挨拶ひとつ忘れるだけで、笑いのネタとして提供されることもあるが、お笑い芸人ではないため、できれば挨拶しないことは避けたいところだった。
さとしの方は、事務所の社長と回って歩いた時に概ねこのスタジオのスタッフには知らせていたが、紗栄はまるっきりの初めてだった。
「お、大越さん。小笠原社長から聞いてるよ。例の担当モデルさんだね。」
「はい。初めてですので、ご指導のほどよろしくお願いします。」
「バラエティは臨機応変なトークが求められるから、頼んだよ。紗栄さん。大丈夫、大丈夫。司会の川田さんが頑張ってくれるから、気楽にね。」
本番まであと3時間後だったため、楽屋の方に戻った。
ふぅと緊張の糸が切れて、ペットボトルの水を飲んだ。
紗栄は鏡の前に座った。
「写真撮影スタジオは慣れているけど、空気が違うね、バラエティ。言葉一つで笑いが生まれたりするんだもんね。うまくやれるかな。」
「…深呼吸して、リラックスしよう。」
両肩をさすって、一緒に深呼吸をした。
楽屋でも何となく、緊張が走る。
あさみから、預かっていたメイク道具を取り出して、化粧直しをした。
「うまくやろうとしなくていいです。そのままで自然が1番。ほら、手に人を3回書いて、飲み込んで!」
言われたまま、その通りにのみこんだ。
おまじないにしかならないけど、少しは緊張が和らいだ。
ひな壇に座ったら、今話題のお菓子を食し、感想を言うお仕事だった。
シンプルに答えてもよいが、洒落た言葉を言えたらもっと良いねとスタッフから言われていた。
食べ物の好き嫌いがないけれど、何が出てくるかわからなかった。
バレンタインが近いこともあって、高級なチョコがあるかもしれないとのことだった。
「んー、お酒入りのチョコだったら、酔ってしまいそうですね。それは遠慮しておきますか?」
「いえ、大丈夫です。何とかやってみます。」
生放送の本番が始まった。オープニングはその日の記念日から紹介が入り、甘いお菓子特集となる。
紗栄は早速試食となり、10秒以内にコメントすると内容。
出てきたお菓子はコロコロマカコンという動物の形をしたマカロンだった。
パンダの形でとても可愛いものだった。
「見た目からとても可愛いです。いただきます。」
もぐもぐと食べると、生チョコクリームが入ってちょうどよい甘さで美味しかったようだ。
「すごい甘くて美味しいです。ちょうどよい甘さで…でも可愛すぎて食べるのがもったないです!」
「そうですよね。パンダ可愛いですよね。他の動物の形もあるので、お子様にも人気だそうです。」
コメントも終わり、CMに映った。そのまま、エンディングはVTRを見てワイプに抜かれるため、気を抜けない。
笑顔を出し、頷きを見せたりした。そして、数時間後。
「お疲れ様でした。撮影は以上になります。」
スタッフのかけ声で無事滞りなく、生放送は終了した。紗栄は、終わってすぐに陰にいたさとしに駆け寄った。
「がんばったな。お疲れ様でした。」
頭を軽くポンと撫でた。
終わって良かったと
ホッとしたところに
「お? 君がイケメンで有名な紗栄さんのマネージャーさん? やっぱり良い男だね、ねぇ?」
司会の川田さんが声を掛けてくれた。
紗栄とさとしはぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「紗栄さん、新しいマネージャー探しておかないと、スカウト来ちゃうよ?んじゃ、また機会があれば、ぜひ出演よろしくね。」
左手を振って、川田は、スタジオを出ていく。
さとしはお辞儀をして、見送った。
紗栄は、ここでも不安になった。
私には、さとしよりも目立たないのかと自信を失っていた。
帰りの車の中にて、
紗栄は口を開いた。
「あの…表舞台に出ない仕事はありませんか?」
今、芸能界であぶらがのってきたところでここから裏に回ろうとしている紗栄の心理が気になった。
「今、仕事のオファーはひっきりなしに全国から寄せられていますが、表じゃない仕事したいと言うことですか?」
「うん。可能ならば。」
「何か興味ある職種はありますか?」
「物作りが好きなので、自分のデザインした服を作るとか…アクセサリーや焼き物とかどうですか?」
運転中のため、調べることはできなかったが、頭の中で考えた。
知名度は上がっているため、プロデュースという形でものを作るのもありかもしれないとひらめいた。
「そうですね。紗栄ブランドということでいろいろ作るのもできるかと思います。これからの入っているテレビ出演の仕事はお断りしますか?今、引き受けているものだけでよろしいですか?」
「写真撮影のモデル業はやりこなします。テレビ、ラジオ、舞台はお断りしたいです。物作りに関わるものは引き受けます。作業場が欲しいのですが、用意できますか?」
「社長に相談しておきます。ちなみに今日はホテルの予約が取れていますので、そちらに送ります。」
バックミラー越しに会話しながら、ホテルへと、車を走らせる。
「あ、あの大越さんはどちらに?」
「え? 私は…送り届けましたら、社宅に戻ろうかと考えていました。明日は午前11時からの仕事なので、10時に迎えに来ます。起きられますよね。今は午前10時半ですし…寝る時間短かったでしょうし、ゆっくり休まれては?」
「そ、そうですか…。」
「何かありますか?」
「ご、ご飯一緒に食べましょう!お腹が空きました。」
ハザードランプをつけて、一度街路樹付近に車を停車させた。
「何を召し上がりますか?」
「うーん。お任せします。」
「何でもが1番困るんですけど…」
そう言いながらもスマホで周辺マップを開き、飲食店を探した。
範囲を広げて東京と神奈川と大きく表示したら、ちょうど、横浜中華街へいく道につながっていた。
学校の修学旅行以来行っていなかった。
「お時間が平気なら、横浜中華街でも構いませんか?」
「はい。問題ないです。近いですか?」
「ここから約40分です。近くはないですね。行きますか?」
さとしはこの仕事をしてからしばらく出かけたことがなかった。
体は疲れていたが、気分転換にはドライブがてら良いだろうと中華街を選んだ。
スマホの画面を見て調べていると後部座席から紗栄がさとしのメガネを取った。
「ねぇ、出かける時くらい、仕事のこと忘れて、元に戻そうよ。今から敬語禁止ね!これ、伊達めがねでしょ?」
「え、いや、俺、視力めっちゃ悪いから、返してください。見えない!」
本気でお怒りのようで振り回したさとしの腕が危なく体に腕が当たりそうだった。さっとよけた。
「んじゃ、返すから、すぐにコンタクトに変えてよ。持っているんでしょう。」
「……家に置いてきた。」
「どこの?」
「社宅。東京のあさみさん達と住んでいるアパート。」
紗栄は、車から降りて、運転席側からさとしを押し込んで、運転しようとした。
「んじゃ、私が運転するから、メガネつけないでね。」
「な、なんで! てか、俺まだ、死にたくない! ペーパードライバーの紗栄の車には乗りたくない。」
助手席に移ったさとしは、目がボヤけて見えないまま、訴える。
うっすら、隣に紗栄がいることだけは分かった。
「失礼しちゃうな。そんなことないです。仙台で運転してたでしょう。駅前付近の10分程度の距離だけど…。」
「いや、これ、ローンまだ払い終わってないから保険も俺にしかけてないから本当にやめて。」
両腕で押し込まれた。
「んじゃ、コンタクト取りに行ってくれる?」
「ああ、わかった。わかったから運転しないで。」
紗栄はめがねを渡すと後部座席に戻ってバックを取りに行き、助手席側に座った。
「コンタクト、してくれるなら隣でもいいよね。」
「いや、まだメガネだし、そしてこれから取りに行くんだよ! 隣同士で乗ったら、週刊誌の餌食にされるよ?」
紗栄はため息をついた。
さとしは、シートベルトを締めなおした。イライラがおさまらない。
「後ろ、戻ってください。」
「いや。」
「なんで?」
「前の景色を楽しみたい。」
「子供かよ。…全く。」
さとしは黙って後部座席のポケット収納からニット帽子をとり、紗栄の頭にポスっとかぶせた。
車のミラーにしまっておいたサングラスも取り出し、かけさせた。
「その格好で乗っていただけますか?それなら良いです。」
「ガッテン承知のすけ!」
額に敬礼しながら、言う。
紗栄は夜からずっと寝ていなくて、テンションがおかしいことになっていた。
そのまま、車を回した。
車内では、レミオロメンの粉雪が流れていた。
ナビをセットしていたため、右折してくださいと話し始めた。
さとしはしばし、沈黙になった。
コンタクトを取りに目的地の中華街とは反対方向へ向かった。
ついでに積んでいた荷物をおろして、龍二に借りていた洋服を返して自前の服に着替えた。
家には誰もいなかった。
2人とも仕事に行ったようだ。
部屋は静かだった。
「あさみさん達、いないね。」
「あぁ、仕事に行ったよ。あの2人も本家あるから。ここは仮で仕事の時だけ使うんだよ。ちょっと着替えてくるから、リビングでコーヒーでも飲んでて。」
マグカップにインスタントコーヒーを入れて、ポットのお湯を注ぎ入れた。
コーヒーの香りが漂って良い匂いだった。
冷蔵庫の中は調味料が入っていてほとんど空っぽなのに違和感を覚えた。
前に一緒に暮らしていた時は、自炊メインだったさとしはいつも食材が入っていた。
乾物ケースにはレトルトカレーやレトルト牛丼があった。
住んでいるのはさとしだけじゃないが、何となく変だった。
「お待たせ。んじゃ、行きますか。」
ワッフルトレーナーとぴっちりとしたスキニージーンズ。
女性もののジーンズをあえて履く。
ウエストが細くてメンズのジーンズが限られたものしか履けなかった。
それくらいさとしは足が細かった。
いや前よりもっと。
そして、久しぶりに見た、コンタクトでメガネなしの姿。
紗栄は昔に戻ったみたいでホッと安心した。
「ねぇ、ご飯食べてる?」
「え…。べ、別に普通に食べてますけど。」
前よりも激痩せしている体を見て、心が痛んだ。
「よし、中華街行こう!」
2人はそれぞれコーヒーを飲み終えると、紗栄はコートを羽織り、さとしはダウンジャケットを羽織った。
部屋の鍵を閉めた。
紗栄は、後部座席に乗り込んだ。
いつもの座る位置だった。
前に乗ると週刊誌に写真を撮られたら勘違いされるからという理由だ。
後ろなら分かりにくい。
現場入りまで、あと、40分。
移動距離的にはあと10分で着きそうだった。
「忘れ物…無いですか?」
「はい、大丈夫です。」
「シートベルト締めてください。出発します。」
エンジンをかけて、シフトレバーをDに変えた。
慌てて、紗栄はベルトをカチャとつけた。
言葉数が少ない。
バックミラー越しに顔を見た。
窓の外を見つめていた。
今の仕事で唯一楽しみなのは話さなくてもいつも顔を見れること、しかも、ヘアメイクさんやスタイリストさんに着飾れた紗栄を真近で見られることが楽しみになっていた。
忙しさの中の小さな幸せを噛みしめていた。
生まれてからずっと片想いという状況がなかったさとしにとって、この空気も良いなと噛みしめる。
仕事に夢中になれれば、それで良いと割り切れる。初めて、朝のバラエティ番組で胸が高鳴っていた。
午前4時、現場に入った。ひと通り、お世話になる出演者、カメラマン、ADや制作、美術などの全ての方に頭を下げながら、名前と共に自己紹介して周った。
パッとでの出演でも、失礼のないようにするのが業界の暗黙の決まりだった。
挨拶ひとつ忘れるだけで、笑いのネタとして提供されることもあるが、お笑い芸人ではないため、できれば挨拶しないことは避けたいところだった。
さとしの方は、事務所の社長と回って歩いた時に概ねこのスタジオのスタッフには知らせていたが、紗栄はまるっきりの初めてだった。
「お、大越さん。小笠原社長から聞いてるよ。例の担当モデルさんだね。」
「はい。初めてですので、ご指導のほどよろしくお願いします。」
「バラエティは臨機応変なトークが求められるから、頼んだよ。紗栄さん。大丈夫、大丈夫。司会の川田さんが頑張ってくれるから、気楽にね。」
本番まであと3時間後だったため、楽屋の方に戻った。
ふぅと緊張の糸が切れて、ペットボトルの水を飲んだ。
紗栄は鏡の前に座った。
「写真撮影スタジオは慣れているけど、空気が違うね、バラエティ。言葉一つで笑いが生まれたりするんだもんね。うまくやれるかな。」
「…深呼吸して、リラックスしよう。」
両肩をさすって、一緒に深呼吸をした。
楽屋でも何となく、緊張が走る。
あさみから、預かっていたメイク道具を取り出して、化粧直しをした。
「うまくやろうとしなくていいです。そのままで自然が1番。ほら、手に人を3回書いて、飲み込んで!」
言われたまま、その通りにのみこんだ。
おまじないにしかならないけど、少しは緊張が和らいだ。
ひな壇に座ったら、今話題のお菓子を食し、感想を言うお仕事だった。
シンプルに答えてもよいが、洒落た言葉を言えたらもっと良いねとスタッフから言われていた。
食べ物の好き嫌いがないけれど、何が出てくるかわからなかった。
バレンタインが近いこともあって、高級なチョコがあるかもしれないとのことだった。
「んー、お酒入りのチョコだったら、酔ってしまいそうですね。それは遠慮しておきますか?」
「いえ、大丈夫です。何とかやってみます。」
生放送の本番が始まった。オープニングはその日の記念日から紹介が入り、甘いお菓子特集となる。
紗栄は早速試食となり、10秒以内にコメントすると内容。
出てきたお菓子はコロコロマカコンという動物の形をしたマカロンだった。
パンダの形でとても可愛いものだった。
「見た目からとても可愛いです。いただきます。」
もぐもぐと食べると、生チョコクリームが入ってちょうどよい甘さで美味しかったようだ。
「すごい甘くて美味しいです。ちょうどよい甘さで…でも可愛すぎて食べるのがもったないです!」
「そうですよね。パンダ可愛いですよね。他の動物の形もあるので、お子様にも人気だそうです。」
コメントも終わり、CMに映った。そのまま、エンディングはVTRを見てワイプに抜かれるため、気を抜けない。
笑顔を出し、頷きを見せたりした。そして、数時間後。
「お疲れ様でした。撮影は以上になります。」
スタッフのかけ声で無事滞りなく、生放送は終了した。紗栄は、終わってすぐに陰にいたさとしに駆け寄った。
「がんばったな。お疲れ様でした。」
頭を軽くポンと撫でた。
終わって良かったと
ホッとしたところに
「お? 君がイケメンで有名な紗栄さんのマネージャーさん? やっぱり良い男だね、ねぇ?」
司会の川田さんが声を掛けてくれた。
紗栄とさとしはぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「紗栄さん、新しいマネージャー探しておかないと、スカウト来ちゃうよ?んじゃ、また機会があれば、ぜひ出演よろしくね。」
左手を振って、川田は、スタジオを出ていく。
さとしはお辞儀をして、見送った。
紗栄は、ここでも不安になった。
私には、さとしよりも目立たないのかと自信を失っていた。
帰りの車の中にて、
紗栄は口を開いた。
「あの…表舞台に出ない仕事はありませんか?」
今、芸能界であぶらがのってきたところでここから裏に回ろうとしている紗栄の心理が気になった。
「今、仕事のオファーはひっきりなしに全国から寄せられていますが、表じゃない仕事したいと言うことですか?」
「うん。可能ならば。」
「何か興味ある職種はありますか?」
「物作りが好きなので、自分のデザインした服を作るとか…アクセサリーや焼き物とかどうですか?」
運転中のため、調べることはできなかったが、頭の中で考えた。
知名度は上がっているため、プロデュースという形でものを作るのもありかもしれないとひらめいた。
「そうですね。紗栄ブランドということでいろいろ作るのもできるかと思います。これからの入っているテレビ出演の仕事はお断りしますか?今、引き受けているものだけでよろしいですか?」
「写真撮影のモデル業はやりこなします。テレビ、ラジオ、舞台はお断りしたいです。物作りに関わるものは引き受けます。作業場が欲しいのですが、用意できますか?」
「社長に相談しておきます。ちなみに今日はホテルの予約が取れていますので、そちらに送ります。」
バックミラー越しに会話しながら、ホテルへと、車を走らせる。
「あ、あの大越さんはどちらに?」
「え? 私は…送り届けましたら、社宅に戻ろうかと考えていました。明日は午前11時からの仕事なので、10時に迎えに来ます。起きられますよね。今は午前10時半ですし…寝る時間短かったでしょうし、ゆっくり休まれては?」
「そ、そうですか…。」
「何かありますか?」
「ご、ご飯一緒に食べましょう!お腹が空きました。」
ハザードランプをつけて、一度街路樹付近に車を停車させた。
「何を召し上がりますか?」
「うーん。お任せします。」
「何でもが1番困るんですけど…」
そう言いながらもスマホで周辺マップを開き、飲食店を探した。
範囲を広げて東京と神奈川と大きく表示したら、ちょうど、横浜中華街へいく道につながっていた。
学校の修学旅行以来行っていなかった。
「お時間が平気なら、横浜中華街でも構いませんか?」
「はい。問題ないです。近いですか?」
「ここから約40分です。近くはないですね。行きますか?」
さとしはこの仕事をしてからしばらく出かけたことがなかった。
体は疲れていたが、気分転換にはドライブがてら良いだろうと中華街を選んだ。
スマホの画面を見て調べていると後部座席から紗栄がさとしのメガネを取った。
「ねぇ、出かける時くらい、仕事のこと忘れて、元に戻そうよ。今から敬語禁止ね!これ、伊達めがねでしょ?」
「え、いや、俺、視力めっちゃ悪いから、返してください。見えない!」
本気でお怒りのようで振り回したさとしの腕が危なく体に腕が当たりそうだった。さっとよけた。
「んじゃ、返すから、すぐにコンタクトに変えてよ。持っているんでしょう。」
「……家に置いてきた。」
「どこの?」
「社宅。東京のあさみさん達と住んでいるアパート。」
紗栄は、車から降りて、運転席側からさとしを押し込んで、運転しようとした。
「んじゃ、私が運転するから、メガネつけないでね。」
「な、なんで! てか、俺まだ、死にたくない! ペーパードライバーの紗栄の車には乗りたくない。」
助手席に移ったさとしは、目がボヤけて見えないまま、訴える。
うっすら、隣に紗栄がいることだけは分かった。
「失礼しちゃうな。そんなことないです。仙台で運転してたでしょう。駅前付近の10分程度の距離だけど…。」
「いや、これ、ローンまだ払い終わってないから保険も俺にしかけてないから本当にやめて。」
両腕で押し込まれた。
「んじゃ、コンタクト取りに行ってくれる?」
「ああ、わかった。わかったから運転しないで。」
紗栄はめがねを渡すと後部座席に戻ってバックを取りに行き、助手席側に座った。
「コンタクト、してくれるなら隣でもいいよね。」
「いや、まだメガネだし、そしてこれから取りに行くんだよ! 隣同士で乗ったら、週刊誌の餌食にされるよ?」
紗栄はため息をついた。
さとしは、シートベルトを締めなおした。イライラがおさまらない。
「後ろ、戻ってください。」
「いや。」
「なんで?」
「前の景色を楽しみたい。」
「子供かよ。…全く。」
さとしは黙って後部座席のポケット収納からニット帽子をとり、紗栄の頭にポスっとかぶせた。
車のミラーにしまっておいたサングラスも取り出し、かけさせた。
「その格好で乗っていただけますか?それなら良いです。」
「ガッテン承知のすけ!」
額に敬礼しながら、言う。
紗栄は夜からずっと寝ていなくて、テンションがおかしいことになっていた。
そのまま、車を回した。
車内では、レミオロメンの粉雪が流れていた。
ナビをセットしていたため、右折してくださいと話し始めた。
さとしはしばし、沈黙になった。
コンタクトを取りに目的地の中華街とは反対方向へ向かった。
ついでに積んでいた荷物をおろして、龍二に借りていた洋服を返して自前の服に着替えた。
家には誰もいなかった。
2人とも仕事に行ったようだ。
部屋は静かだった。
「あさみさん達、いないね。」
「あぁ、仕事に行ったよ。あの2人も本家あるから。ここは仮で仕事の時だけ使うんだよ。ちょっと着替えてくるから、リビングでコーヒーでも飲んでて。」
マグカップにインスタントコーヒーを入れて、ポットのお湯を注ぎ入れた。
コーヒーの香りが漂って良い匂いだった。
冷蔵庫の中は調味料が入っていてほとんど空っぽなのに違和感を覚えた。
前に一緒に暮らしていた時は、自炊メインだったさとしはいつも食材が入っていた。
乾物ケースにはレトルトカレーやレトルト牛丼があった。
住んでいるのはさとしだけじゃないが、何となく変だった。
「お待たせ。んじゃ、行きますか。」
ワッフルトレーナーとぴっちりとしたスキニージーンズ。
女性もののジーンズをあえて履く。
ウエストが細くてメンズのジーンズが限られたものしか履けなかった。
それくらいさとしは足が細かった。
いや前よりもっと。
そして、久しぶりに見た、コンタクトでメガネなしの姿。
紗栄は昔に戻ったみたいでホッと安心した。
「ねぇ、ご飯食べてる?」
「え…。べ、別に普通に食べてますけど。」
前よりも激痩せしている体を見て、心が痛んだ。
「よし、中華街行こう!」
2人はそれぞれコーヒーを飲み終えると、紗栄はコートを羽織り、さとしはダウンジャケットを羽織った。
部屋の鍵を閉めた。