月と太陽

人の懐の大きさを知る

原宿のクレープが食べたい気持ちが一心だった紗栄は、コインパーキングに降り立った。



 素顔を曝け出し、隠すことをやめた。




 案外、普通の格好だからか、駐車場では誰もいないこともあって何も起きなかった。




 さとしは、車の施錠をすると、戦国のごとく出陣だと言わんばかりの気持ちで足を進めた。




 代々木公園から程近い巷では人気のクレープ屋に10時半オープンと同時に行こうと歩道を歩き続けた。



 
カツカツとハイヒールの音が響く。


 

 道路が狭い道から広い道へ切り替わった時、左右どちらの道にも人達が歩いていた。




 
 ふと、近くを歩いていた10代の女の子3人がこちらを見ているが、気付かないふりをして、颯爽と目的地を目指した。



「ねぇ、あれって、モデルのSAEじゃない? ほら、隣にイケメンマネージャーついてるし、そうだよ。絶対。」





「嘘、違うんじゃない?変装しないでここに来ないっしょ。他人の空似なんじゃないの?」



 
「えー私、KARIN &SAEのファンなんだけど、サインとかってもらえないかなぁ…。」




 本人だという人もいれば、違うでしょうともいう。



 変装せずに潜りこんだ方が案外スムーズに過ごせるかもと上機嫌だった。




 だが、そうも言ってられなくなった。




「あの!すいません。SAEさんですよね。モデルの。」


 

 明らかに秋葉原から来ましたという頭に赤いバンダナ、全身ジーンズ生地スタイル。


 中の服はチェックのワいシャツの20代らしき男性に声をかけられた。



 念のため、さとしは紗栄の前に立っていた。



「そ、そうですけど…。」




「僕、大ファンなんです。昨日のフォックスTV見ました。とてもよかったです。握手してもらえませんか?」




「TVご覧になってくれたんですね。ありがとうございます。ごめんなさい。今のご時世で、握手はできないですが、グータッチでもいいですか?」




「なんでもいいです。ぜひ、お願いします。」




 ズボンの脇で両手を拭いてから、グーを出した男性。





 紗栄はファンサービスを大切にしないとっと両手のグーを優しくタッチした。




 それを周りにいた通行人たちは素通りするものもいれば、なんだなんだと興味をもち、徐々に人だかりになってきた。




危険を察知したさとしは紗栄の腕を引っ張って、人気の少ない公園の方まで走って連れて行く。



「え、さっきの人誰だったの?」


「モデルのSAEだって、知ってる?」


「うん、TVに出てた人。」


「撮影か何か?」


「カメラマンいなかったよ。プライベートかなぁ。」



 ざわざわと歩道が騒がしくなった。


 グータッチをしてもらえた男性は嬉しくて立ち止まり、涙を流して喜んでいた。



 公園に着くと、さとしはイライラしていた。


 息が上がって、肩で呼吸をしていた。



「紗栄、無理だ。やっぱり、人だかりできてるから交通の邪魔になるし、クレープ諦めよう。あと、ほら、11時に仕事行かなきゃいけないし。な? 俺がお店よりも美味しいクレープ作るから!」



「え?本当? んじゃ諦める。」



 意外にもあっさり諦める紗栄だった。



 心の中では崖から落ちそうなくらいに岩の淵を求めて叫ぶくらいクレープが食べたかった。


 東京の原宿といえばクレープの代名詞に乗っかりたかった。


 願い叶わずだった。




 有名になるとやりたいことが制限されるなんて嫌だと、感じながら、さとしのクレープで仕方ないなぁとしぶしぶコインパーキングに戻ることにした。



次の仕事場は渋谷の撮影スタジオで写真撮影だった。



さとしのスマホにあさみから電話が来ていた。



『おはようございます。さとしさん! 時間大丈夫ですか? みなさん、お揃いですよ。』




「おはようございます。今、渋滞につかまってしまって、向かってますので、みなさんに申し伝えてもらって良いのですか?」




『承知しました。渋滞ならば、仕方ないですね。気をつけてください。待ってますから!』



 さとしは、嘘をついていた。



 渋滞なんて捕まっていないし、車は走っている。

 電話はハンズフリーのBluetooth接続で話していた。


 あと5分の距離で着く。


 目標の予定時刻よりは少し遅くなったが、許容の範囲内のはずだったが、今日は個人撮影ではなく、男性モデルも一緒だった。



 演者が2人で慌ただしい準備になっていた。


 
 ヘアメイクのあさみはスタイリストの龍二ともに謝罪しながら、遅れますと挨拶周りしていた。


 
「おはようございます。このたびは遅れまして、申し訳ございません。」



 さとしは紗栄とともに深々とおじぎした。


 一緒の撮影だったモデルは、坂本健太郎だった。


 
 時計を見ると予定時刻の10分前だった。


 
「大丈夫ですよ。」


 腕時計を指さして。


「時間、間に合ってます。ねぇ、カメラマンさん。」



「ああ、まだ許容範囲内だね。」



 モデルの坂本とスタッフは笑顔で対応してくれた。



 今、まさに撮影現場でメイクを終えて、撮影始めるよという体制だったのに、遅刻を許してくれた。



 なんと心の広い方々だと感動した。



 現場が和やかになった。



 前もって渋滞していたことを2人が伝えていたこともあったかもしれない。



 連携が取れていた。



「ありがとうございます。ほら、準備して。」



 さとしは紗栄を急かす。



 あさみはすぐに紗栄とともにメイク室に駆け込み、紗栄の髪とメイクを施した。



 龍二はハンガーかけから、今回のイメージ撮影用の服をサイズとともに担当の人と相談していた。



 元々、打ち合わせで何を着るかは決まっていたが、順番は当日決めようという話だった。最初に坂本1人の写真からやっていこうと臨機応変に元の予定を変更して行われた。




 しばらく、坂本の写真撮影をして、数分後。  



「続けてツーショット入ります。SAEさんお願いします。」



 紗栄は最後のモデルの仕事だと心に誓い、いつも以上に本気で挑んだ。



「はい。よろしくお願いします。」



 春に向けて桜色の背景に、カップル役で2人はどんどん撮られた。


 桜吹雪が飛ばされ、人工で作った風も強かった。


 全体の引きで撮ったものと寄りのアップ写真。


 
 手を繋いだその手だけを撮られたものや広げて重ねた2人の手の上に桜の花びらを乗せたものもあった。



 
 全部で約100枚以上は行ったであろう。

 

 長時間の撮影会となった。




「お疲れさまでした。以上で来月雑誌の表紙と特集ページの撮影は終了となります」



 ADが大きな声で連絡する。


 
 みなそれぞれに挨拶し合う。


 
 終わりがけにあさみがスタッフみなさんにSAEからということで差し入れを配って行った。



 遅刻したこともあって、紗栄も、頭を下げながら、一緒に手渡した。



 差し入れの中身は缶の中にショートケーキが入っている珍しいお菓子だった。




 紗栄は余ったのを持ち帰ろうとニコニコしていた。




 坂本は紗栄に近づいて、耳打ちした。



「クレープ、食べたかったんでしょう。遅刻した理由は。」


「え、あ。なんで知っているんですか?」



 小声で話した。



「君のInstagramに載ってたよ。写真。よ、有名人。」



 ファンであろう、原宿のクレープでグータッチしていたシーンをいろんな角度からスマホ撮影されていたようで、既にバレていた。



「大丈夫、これね。」



 口元に人差し指を立てて言った。クレープ屋に行っていてのあの対応。凄いと感じた。



 それを遠くで見ていたさとしは平然を装っていたが、額にはピキピキと筋が出ていた。



(あいつ、なんだよ。紗栄に気安く近づくんじゃない。)


 耳打ちで話をしているのが、悔しかったのか、敵意むきだしで、抑えきれずに、坂本にばれていた。



 ハッとこちらに近づいてきた。


「あ、きみ、業界で噂になってるよ。裏方にしておくのが勿体無いって小笠原社長が言ってたね。本当に興味ないの?タッパもあるし、肌もきれいじゃん。モデル行けるんじゃない?」



 坂本は手で身長を比べると大して変わりないことを確認する。



「ありがとうございます。私にはもったいないお言葉ですね。」



 お辞儀をしてお礼を言うと、坂本はさとしに耳打ちする。


「彼女、しっかり守らないと狙っている人たくさんいるからね。がんばって。」
 


 自分の気持ちを悟られたのか、ウィンクをされて、起き上がり、手をぱたぱた振って立ち去った。



 スタッフ一同声をあげた。


「お疲れさまでした。」


 坂本が立ち去るとそれぞれ片付けを始めた。



 紗栄は気になったのか、片付けを手伝い始めた。




「SAEさん。いいんですよ。手伝わなくて…。」



 スタジオスタッフが申し訳なさそうにいう。



「いえ、これくらいは平気です。やらせてください。」


「あ、ありがとうございます。」



 準備してもらって、何もしないで帰るのは申し訳ないと思った紗栄は積極的に行動した。



 演者でも、片付けは別だと考えていた。


 スタッフ皆さんに挨拶して、ようやく、出ることができた。



 あさみと龍二、さとし、紗栄は4人横にならんだ。



「今日は本当にお疲れさまでした。あさみさんの差し入れ、助かりました。遅刻して申し訳ないです。」


 さとしは謝罪すると、頭を上げてとあさみは促す。


「大丈夫ですよ。坂本さんが言っていたとおり、間に合ってはいたんですから。あと、あの差し入れは社長の奥さんから美味しかったから現場に持って行ってって言われたんです。気にしないでください。」


「お疲れさまでした!」


 龍二はさとしの肩をポンと叩いた。


 
 手にはショートケーキ缶の入った紙袋がかけられた。



「ありがとうございます。」



「俺らジュマンジメンバーだろ。お互いに助け合いだよ。気にすんな、な。」



 ホッと安心する2人だった。


 
 本当、良くしてくれて涙が流れる。



 辞めると決めていたのに、何だか罪悪感でいっぱいになる。



 あさみと龍二に両肩をポンと叩かれた。



 紗栄はその後ろ姿を見て微笑ましかった。



 とても慕われていたのだと、身に染みて感じた。



 さとしの仕事への熱心さが伝わってきた。



 夕日がビルとビルの間で沈んでいくのが見えた。



 いつの間にか夕方になっていた。




 4人は肩を並べてそのまま家路を急いた。
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