没落令嬢のおかしな運命~餌付けしたら溺愛されるなんて聞いてません!~
夕方でお店が閉まるギリギリだったけれど、レモンは無事に手に入れることができた。茶色い包みの中身を確認した私は緊張の糸を緩めそうになったが、いけないと頭を振った。
まだエンゲージケーキは完成していないから油断は禁物だ。
茶色の包みを抱え直すと再び帰りを急ぐ。
レモンが無事に手に入ったところで時間は待ってくれない。早く帰ってエンゲージケーキを完成させなければという焦りから、私は人通りの少ない裏路地を使ってお店に帰ることにした。けれどこの選択が間違いだったと、この後すぐに気づかされる。
「お嬢ちゃん、ちょっと財布をなくしちまったみたいでよ。お金を貸してくんねえかな?」
早歩きで向かっていると、物陰からぬうっと現れた男に声を掛けられた。
きつい体臭やくたびれた身なりからして彼が浮浪者でまともな暮らしをしていないことだけは容易く想像がつく。
運の悪いことに路地にいるのは男と私の二人だけ。大通りを出れば人通りはあるけれど、そこにたどり着くまでに距離があるし、助けを求めようにも恐らく私の声は喧騒にかき消されて届かないだろう。
ここは下手に浮浪者を刺激ないようにして、状況を切り抜けなくてはいけない。顎を引いた私は丁重かつ毅然とした態度で立ち向かった。
「申し訳ございませんが今は持ち合わせがありません。財布をなくしたのであれば、警備隊へ行かれた方が確実ですよ。急いでますので私はこれで失礼します」
「おいおい、つれないこと言うなよ」
「つれるつれないの問題ではありません。私は急いでいるのであなたの相手をしている暇はないんです」
同じような応酬がその後何度も続く。これでは埒が明かないし、時間だけを無駄に消費してしまう。
仕方がないけれど、ここは来た道を引き返した方が得策だと判断した私はくるりと踵を返す。
だが、浮浪者は逃がすまいと私の腕を捻じり上げるようにして掴んできた。