吸血鬼の旦那様は私の血よりも唄がお好みのようです ~婚約破棄されましたが、優しい旦那様に溺愛されながら幸せの唄を紡ぎます~
15 ずっとその言葉を言えなかったんです
朝食を終え、アーヴェントを静かに見送ったアナスタシアはまだ食堂の椅子に腰かけていた。俯き加減で先ほどまでアーヴェントが座っていた席の方をじっと見つめていた。そこに食事の片付けを済ませたラストが戻って来た。
「アナスタシア様、今日はこれからいかが致しましょうかっ?」
ラストは相変わらずハキハキと明るく元気に話しかける。だが、アナスタシアはぼーっと相手がいなくなった席を見つめていた。
「……」
「アナスタシア様?」
「え……? あっ、ごめんなさいっ……何か言ったかしら」
考え事をしていたのか、アナスタシアはラストがいることにやっと気づいたようだ。肩をビクンと竦ませながら振り向く。目線は変わらず俯き気味だ。
「気にしないでください。今日の予定をどうするか聞いただけですから」
「あ……そうだったのね。そうね、どうしようかしら……」
(お屋敷の中を見る……? それとも庭園に……ううん。今は正直、そんな気分にはなれない……だって……また言えなかったのだから)
アナスタシアが考え込む。それを見たラストはそっと他の使用人達にその場から外すように指示を出す。
(ああ……どうしようかしら……早く、早く何か言わないと怒られてしまうかも)
目を閉じてぎゅっと力を込める。膝に添えていた両手にも無意識に力が入っていた。昔からすぐに返事をしなかっただけでよく叔父夫婦やフレデリカに罵られていたことを思い出す。そんな時、ラストが静かに話しかける。
「ゆっくりお考えください。私はいつまでもお待ちしておりますからね」
(怒られない……? ああ、ラストは私が答えるのをずっと待っていてくれるのね……)
「……一度部屋に戻ってもいいかしら」
「ええ、構いませんよ。ではご一緒致しますね」
「ありがとう」
ラストはアナスタシアの背後に立つと座っていた椅子を軽く引いてくれた。それから特に何も聞かずに部屋へ戻るアナスタシアの後ろをついてくる。寝室までやってくると扉をゆっくりと開けてくれた。アナスタシアは部屋の中に入り、ベッドの向かい側に置かれた円形のテーブルに備え付けられた椅子に静かに腰かける。もちろん、ラストがすっと後ろに立ち、椅子を引く。
「……」
座った途端またアナスタシアは俯き加減で考え込む。
(ラストは怒らずに私の考えを聞いてくれた……もしかしたら私のあの話も聞いてくれるかしら)
「ねえ、ラスト」
「はい。何でしょうか?」
「……私の話し相手になって欲しい、と言ったらなってくれる?」
勇気を出してアナスタシアが言葉を口にする。添えられた両手は少し震えていた。ラストはそのことにも気が付いているようで、すぐに返事をしてくれた。
「はいっ。私で宜しければお相手させて頂きますわ」
その言葉を聞いたアナスタシアは顔を上げるとぱーっと明るく微笑む。ラストはお茶と菓子をテーブルの上にセッティングすると礼をした後、アナスタシアの対面の席に座る。
「あのね……私の話を聞いて欲しいの」
もじもじしながらアナスタシアはラストの方をそーっと見ながら呟いた。
「もちろん、宜しいですよ。何でもお話ください」
明るくラストが微笑む。
(……本当に何でも話していいのね……嬉しい)
―お前はそんなことも言えないのか!?
―なんて失礼な娘なのかしら!!
過去からの言葉に押しつぶされそうになりながら、それを振り払いアナスタシアは口を開いた。
「実はね、私……言えないの」
「何を、ですか?」
ラストは静かに尋ねる。少し前のめりになって、聞く姿勢をしっかりととってくれていた。二言目がアナスタシアの口から続けられる。
「……行ってらっしゃい、が言えないの」
「そうなのですね」
ラストは何故、どうしてとは聞いてこなかった。ただ、アナスタシアが話すのを待っていてくれた。それがただただ嬉しかった。
「五年前になるわ……ちょうどお父様とお母様が馬車の事故で亡くなった前の日……私、熱を出してしまったの」
ラストは黙って相槌を打つ。
「出発の前にお父様とお母様が様子を見に来てくれたのだけれど、熱にうなされていた私はちゃんと話すことが出来なくて……何も言えずに部屋を出て行くお父様達を見送るしかなかったの……そして次の日、お父様達は事故で亡くなってしまった……あの時、ちゃんとお見送りの言葉を言えていたらってすごく後悔したの……そうしたらいつの間にか私、『いってらっしゃい』という言葉を掛けることが出来なくなっていたの」
「そうだったのですね」
(そして、それを知った叔父様達からは挨拶が出来ない失礼な娘なんだと、酷く罵られた……)
「……私、アーヴェント様にもいってらっしゃいが……言えなかったの。こんなに良くして頂いているのに……っ」
気が付くとアナスタシアのオッドアイの瞳に大きな涙が浮かんでいた。今にも零れてしまいそうに震えていた。そんな彼女に優しい言葉が掛けられる。
「無理に言おうとしなくてもよろしいじゃないですか」
「……でも、言葉は伝えなくては意味がないわ」
「そんなことはありませんよ」
「え……?」
「言葉は自分の『気持ち』が形になって相手に伝わるように先を歩いていってくれるモノに過ぎません。大切なのはいつでもその人の心の中にある『気持ち』なんですよ」
「気持ち……」
「アナスタシア様の『気持ち』はきっとお父様やお母様にちゃんと伝わっていたと、私は思っております」
その言葉を聞いたアナスタシアは両手を軽くテーブルの上に置く。
(ああ……ずっとその言葉が……聞きたかった……誰かに許して欲しかったのね、私……)
「……そうだと……私、嬉しい……」
アナスタシアが微笑むと、ため込んでいた大粒の涙が綺麗な赤と青の瞳から頬を伝って流れていく。ラストは優しく、アナスタシアの両手を握ってくれていた。そしてそっと、取り出した白いハンカチで流れる涙を拭いてくれたのだ。
「アナスタシア様」
「何、ラスト……?」
ラストが再びアナスタシアに声を掛ける。
「ご主人様はこれから、お仕事の関係で外出されるそうですよ」
「……!」
その言葉を聞いたアナスタシアは何かを思ったようで、勢いよく立ち上がる。
「ラスト、お願いがあるの」
「はい。何でもお申しつけください」
「……私についてきて頂戴」
「はい。お供させて頂きます」
そう言って二人は寝室を後にする。ちょうどその頃、玄関ホールには外出の支度を済ませたアーヴェントの姿があった。すぐ傍には荷物を持つ、ゾルンの姿もある。
「それじゃあ、留守を頼む」
「かしこまりました」
使用人が玄関の扉をゆっくりと開き、アーヴェントが外で待つ馬車に向かおうとしたその時玄関ホールにアナスタシアの声が響いた。
「アーヴェント様っ!」
アーヴェントが振り返ると速足で二階からホールへ降りてくるアナスタシアの姿が見えた。そっと彼女に向かって歩いていく。
「アナスタシア? どうかしたのか?」
アーヴェントのすぐ近くまで駆け寄るとアナスタシアは息を整えながら彼の顔を下から見つめる。オッドアイの瞳が輝いて見えた。
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
(言えた……ずっと言えなかった言葉を……っ)
満面の笑顔と共に、気持ちが形になった言葉が先を歩きアーヴェントに伝わる。この屋敷に来て一番の彼女の笑顔だった。その言葉を受けて、アーヴェントも気持ちを言葉にする。
「ありがとう、アナスタシア。行ってくるよ」
「はいっ」
アーヴェントとアナスタシアは微笑み合う。陽の光が温かく、そして優しく二人を照らしていた。
「アナスタシア様、今日はこれからいかが致しましょうかっ?」
ラストは相変わらずハキハキと明るく元気に話しかける。だが、アナスタシアはぼーっと相手がいなくなった席を見つめていた。
「……」
「アナスタシア様?」
「え……? あっ、ごめんなさいっ……何か言ったかしら」
考え事をしていたのか、アナスタシアはラストがいることにやっと気づいたようだ。肩をビクンと竦ませながら振り向く。目線は変わらず俯き気味だ。
「気にしないでください。今日の予定をどうするか聞いただけですから」
「あ……そうだったのね。そうね、どうしようかしら……」
(お屋敷の中を見る……? それとも庭園に……ううん。今は正直、そんな気分にはなれない……だって……また言えなかったのだから)
アナスタシアが考え込む。それを見たラストはそっと他の使用人達にその場から外すように指示を出す。
(ああ……どうしようかしら……早く、早く何か言わないと怒られてしまうかも)
目を閉じてぎゅっと力を込める。膝に添えていた両手にも無意識に力が入っていた。昔からすぐに返事をしなかっただけでよく叔父夫婦やフレデリカに罵られていたことを思い出す。そんな時、ラストが静かに話しかける。
「ゆっくりお考えください。私はいつまでもお待ちしておりますからね」
(怒られない……? ああ、ラストは私が答えるのをずっと待っていてくれるのね……)
「……一度部屋に戻ってもいいかしら」
「ええ、構いませんよ。ではご一緒致しますね」
「ありがとう」
ラストはアナスタシアの背後に立つと座っていた椅子を軽く引いてくれた。それから特に何も聞かずに部屋へ戻るアナスタシアの後ろをついてくる。寝室までやってくると扉をゆっくりと開けてくれた。アナスタシアは部屋の中に入り、ベッドの向かい側に置かれた円形のテーブルに備え付けられた椅子に静かに腰かける。もちろん、ラストがすっと後ろに立ち、椅子を引く。
「……」
座った途端またアナスタシアは俯き加減で考え込む。
(ラストは怒らずに私の考えを聞いてくれた……もしかしたら私のあの話も聞いてくれるかしら)
「ねえ、ラスト」
「はい。何でしょうか?」
「……私の話し相手になって欲しい、と言ったらなってくれる?」
勇気を出してアナスタシアが言葉を口にする。添えられた両手は少し震えていた。ラストはそのことにも気が付いているようで、すぐに返事をしてくれた。
「はいっ。私で宜しければお相手させて頂きますわ」
その言葉を聞いたアナスタシアは顔を上げるとぱーっと明るく微笑む。ラストはお茶と菓子をテーブルの上にセッティングすると礼をした後、アナスタシアの対面の席に座る。
「あのね……私の話を聞いて欲しいの」
もじもじしながらアナスタシアはラストの方をそーっと見ながら呟いた。
「もちろん、宜しいですよ。何でもお話ください」
明るくラストが微笑む。
(……本当に何でも話していいのね……嬉しい)
―お前はそんなことも言えないのか!?
―なんて失礼な娘なのかしら!!
過去からの言葉に押しつぶされそうになりながら、それを振り払いアナスタシアは口を開いた。
「実はね、私……言えないの」
「何を、ですか?」
ラストは静かに尋ねる。少し前のめりになって、聞く姿勢をしっかりととってくれていた。二言目がアナスタシアの口から続けられる。
「……行ってらっしゃい、が言えないの」
「そうなのですね」
ラストは何故、どうしてとは聞いてこなかった。ただ、アナスタシアが話すのを待っていてくれた。それがただただ嬉しかった。
「五年前になるわ……ちょうどお父様とお母様が馬車の事故で亡くなった前の日……私、熱を出してしまったの」
ラストは黙って相槌を打つ。
「出発の前にお父様とお母様が様子を見に来てくれたのだけれど、熱にうなされていた私はちゃんと話すことが出来なくて……何も言えずに部屋を出て行くお父様達を見送るしかなかったの……そして次の日、お父様達は事故で亡くなってしまった……あの時、ちゃんとお見送りの言葉を言えていたらってすごく後悔したの……そうしたらいつの間にか私、『いってらっしゃい』という言葉を掛けることが出来なくなっていたの」
「そうだったのですね」
(そして、それを知った叔父様達からは挨拶が出来ない失礼な娘なんだと、酷く罵られた……)
「……私、アーヴェント様にもいってらっしゃいが……言えなかったの。こんなに良くして頂いているのに……っ」
気が付くとアナスタシアのオッドアイの瞳に大きな涙が浮かんでいた。今にも零れてしまいそうに震えていた。そんな彼女に優しい言葉が掛けられる。
「無理に言おうとしなくてもよろしいじゃないですか」
「……でも、言葉は伝えなくては意味がないわ」
「そんなことはありませんよ」
「え……?」
「言葉は自分の『気持ち』が形になって相手に伝わるように先を歩いていってくれるモノに過ぎません。大切なのはいつでもその人の心の中にある『気持ち』なんですよ」
「気持ち……」
「アナスタシア様の『気持ち』はきっとお父様やお母様にちゃんと伝わっていたと、私は思っております」
その言葉を聞いたアナスタシアは両手を軽くテーブルの上に置く。
(ああ……ずっとその言葉が……聞きたかった……誰かに許して欲しかったのね、私……)
「……そうだと……私、嬉しい……」
アナスタシアが微笑むと、ため込んでいた大粒の涙が綺麗な赤と青の瞳から頬を伝って流れていく。ラストは優しく、アナスタシアの両手を握ってくれていた。そしてそっと、取り出した白いハンカチで流れる涙を拭いてくれたのだ。
「アナスタシア様」
「何、ラスト……?」
ラストが再びアナスタシアに声を掛ける。
「ご主人様はこれから、お仕事の関係で外出されるそうですよ」
「……!」
その言葉を聞いたアナスタシアは何かを思ったようで、勢いよく立ち上がる。
「ラスト、お願いがあるの」
「はい。何でもお申しつけください」
「……私についてきて頂戴」
「はい。お供させて頂きます」
そう言って二人は寝室を後にする。ちょうどその頃、玄関ホールには外出の支度を済ませたアーヴェントの姿があった。すぐ傍には荷物を持つ、ゾルンの姿もある。
「それじゃあ、留守を頼む」
「かしこまりました」
使用人が玄関の扉をゆっくりと開き、アーヴェントが外で待つ馬車に向かおうとしたその時玄関ホールにアナスタシアの声が響いた。
「アーヴェント様っ!」
アーヴェントが振り返ると速足で二階からホールへ降りてくるアナスタシアの姿が見えた。そっと彼女に向かって歩いていく。
「アナスタシア? どうかしたのか?」
アーヴェントのすぐ近くまで駆け寄るとアナスタシアは息を整えながら彼の顔を下から見つめる。オッドアイの瞳が輝いて見えた。
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
(言えた……ずっと言えなかった言葉を……っ)
満面の笑顔と共に、気持ちが形になった言葉が先を歩きアーヴェントに伝わる。この屋敷に来て一番の彼女の笑顔だった。その言葉を受けて、アーヴェントも気持ちを言葉にする。
「ありがとう、アナスタシア。行ってくるよ」
「はいっ」
アーヴェントとアナスタシアは微笑み合う。陽の光が温かく、そして優しく二人を照らしていた。