吸血鬼の旦那様は私の血よりも唄がお好みのようです ~婚約破棄されましたが、優しい旦那様に溺愛されながら幸せの唄を紡ぎます~
18 料理長さんのお顔を拝見したいです
アナスタシアがオースティン家にやってきて数日が経っていた。アーヴェントが仕事で多忙な時以外、食事は一緒にとることが多く、まだとりとめのない話題は多いものの二人の会話は少しずつ増えきている。
数日間のうちにアナスタシアはラストの案内で屋敷内を見て周った。まだ完全に把握しているわけではないが、初日よりは屋敷の中で迷うようなことはなくなっていた。
この日の昼食はアーヴェントが不在ということで食堂にはアナスタシアの姿しかない。あとは数人の使用人達とメイド長のラストだけだ。
「今日の料理もどれも美味しいわ」
「それは良かったですっ」
ラストも他の使用人達もアナスタシアが喜んでいるのを見て微笑んでくれていた。それが更にアナスタシアを安心させてくれる。今日の昼食に並んだ料理は香草の練り込まれたパンに野菜のスープ、そしてメインディッシュは白身魚をポワレしたもので上からかけられたソースによって食感がとても良いものになっていた。
(特にこのソースが美味しい……白身魚に優しくアクセントを加えていてパンにつけて食べてもいいような適量が盛られているのね)
初日からオースティン家の料理には驚かされていたアナスタシアだったが、この数日間で気づいたことがあった。それは料理の見た目やおいしさは元より、食べる者へのきめ細かな配慮がいつでも料理一品ごとに施されている点であった。
(でも……)
ふとアナスタシアの手が止まり、俯き加減になる。お腹が一杯になったわけではない。ただ料理に関して一つだけ、どうしても気になることがあったからだ。実は未だにこの料理を作った者の顔を見たことがないことだった。
(この数日間で何度か厨房に足を運んでいて、料理人のほとんどの人達には挨拶が済んでいるけれど……料理長さんにはまだ一度も会ったことがないのよね)
―料理長ですか? あれ……さっきまで此処にいたんですけどね。
―何故か、急にジャガイモの在庫を調べに倉庫に行ってしまわれました。
毎回、何か都合が合わないようでアナスタシアは料理長にだけ会えずじまいだったのだ。
(もしかして……避けられているのかしら……でも何か粗相をした覚えはないし、そもそもまだお顔を拝見したこともないはずなのだけれど)
すっと食べる手が止まり、考え込むアナスタシアを見かねてラストが声を掛けてくれた。
「アナスタシア様、何かお気に召さないことでもありましたか?」
「あ、いえ。そうじゃないの。ちょっと気になることがあって」
「お話出来ることであれば、何なりと言ってくださいね。もし皆に聞かれたくないというのであれば他の使用人達には席を外してもらうことも出来ますよ」
ラストの言葉に他の使用人達も静かに笑顔を浮かべて頷いてくれた。その心遣いもアナスタシアにはとても嬉しいものだ。
「ありがとう。でもそんなことはないから、大丈夫よ」
そうですか、とラストは笑顔で返事をしてくれた。
(悩んでいても、ラスト達に余計な心配をかけるだけよね……ここは聞いてみた方が早いかもしれない)
「ねえ、ラスト」
「はい、なんでしょうか。アナスタシア様」
「料理長さんってどんな人なのかしら……?」
「料理長ですか? ……ああ、なるほど」
アナスタシアのその言葉と、落ち着かない態度を見てラストはピンときた様子だった。
「そういえばまだお会いしていませんでしたね」
「そうなの。いつも美味しい料理を作ってもらっているから、一度ちゃんとお礼が言いたくて」
「そういうことでしたか。なら、とっておきの方法がありますよ」
「え、何かしら」
「アナスタシア様、少しお耳を拝借させて頂きますね」
そう言うとラストはアナスタシアの近くまで歩いてくる。そして少し屈むとアナスタシアの左耳に右手をそっと添えて小さい声で何かを話す。
(え…? それで本当に料理長さんに会えるの?)
「ラスト……」
大丈夫ですよ、と言わんばかりの笑顔をラストは浮かべていた。アナスタシアは刹那、躊躇するが会いたい気持ちが強かったために顔を上げて口を開いた。
「ああ、いつ食べても料理が美味しいっ。特に今日のソースはとてもお気に入りねっ。一体どんな食材を使っているのか気になってしまうわっ」
アナスタシアはラストに教わったことを実践する。それはいつも思っていることを声を少し張り上げて口にする、というそれだけのことだった。
(いくらなんでもこれだけで、いつも都合が合わないほど忙しい料理長さんに会えるわけないわよね……)
すると背後の扉がゆっくりと開く音が聞こえた。
(え……?)
アナスタシアが食堂の扉の方に目を向けると、片方だけ空いた扉の影から白いコック服と扉に添えられた手がはみ出して見えていた。しばらく見つめていると、扉の影からそっと男性の顔が覗き、目が合った。途端にまた扉の影に隠れてしまう。といっても大きめな身体をしているようで隠れきれてはいなかった。ラストがそれを見て、クスッと笑いながら扉の方に向かって話しかける。
「ナイト、そんな所に隠れていないで出て来なさい。アナスタシア様がお聞きになりたいことがあるそうよ」
その言葉に扉から見えている体の半分と手がビクッと震える。落ちそうになるコック帽を慌てて直すとやっと扉の影から全身があらわになる。この時点で既にとても繊細な人物なのがアナスタシアにもわかった。
「も、申し訳ありません」
謝罪の言葉を口にしながら現れたのは恰幅のいい大きな身体と茶色の髪を携え、右腕には装飾の施された金の腕輪をつけた男性だった。少し傾いたコック帽がとても似合っている。
(とっても優しそうな方……料理は作った人の顔が見えるというけれど、本当なのね)
「こっちへ来てもらってもいいかしら?」
「ナイト」
「は、はい。ただいまっ」
コック帽を揺らしながらそそくさとラストの隣にナイトと呼ばれる男性が並ぶ。おどおどしている様子が屋敷に来たばかりの自分自身とよく似ているとアナスタシアは思っていた。
「ナイト、ご挨拶を」
「は、はい。初めまして、アナスタシア様。え、えっと……わ、わたくしの名前はナイトと申しますっ」
大きめの身体を小さく小さく縮こませながらナイトが挨拶する。
(なんて可愛らしい方なのかしら……こう言っては失礼よね)
「いつも美味しい料理を作ってくれてありがとう、ナイト」
アナスタシアは感謝の意味を込めて、笑顔で言葉を掛ける。
「いえ、とんでもございません。き、恐縮ですっ」
目をぎゅっとつむりながらナイトが返事をする。
「忙しいのに出てきてもらってしまって、ごめんなさい。厨房でもいつも忙しいみたいだから」
「あ……いえ、それは……」
(……?)
アナスタシアが首を傾げると、見兼ねたのかラストが口に手を添えながら語り掛ける。
「アナスタシア様、ナイトはとっても恥ずかしがり屋なんです。恐らく、アナスタシア様が来るのがわかった途端身を隠してしまっていたんですよ」
「ら、ラスト……本当のこと言わないでくださいよ。……あっ」
しまった、というバツの悪そうな顔をしながらナイトが両手を口に当てる。その様子がとても面白くて、失礼だと思ったがアナスタシアは笑みをこぼしてしまう。
「ふふっ……ごめんなさい。とっても可愛らしい方だと思ってしまって……」
「お、お褒めに預かりこ、光栄です」
顔を真っ赤にしながら俯き加減でナイトが呟く。もじもじしている所も自分と似ているとアナスタシアは心の中で思っていた。
「それにナイトは『やきもちやき』な面もあるんですよ。きっとアーヴェント様を独り占めされたと思っていたんじゃないですかね」
「ナイト、そうだったの……?」
アナスタシアが目を丸くしながら尋ねると、頭を思い切りナイトが下げる。落としそうになったコック帽はしっかりとキャッチしていた。
「す、すいませんっ。美味しく料理を召し上がってもらっているのに、その、アーヴェント様とアナスタシア様がお似合いで……お似合いだったのですけれど、その……あまりの仲の良さに妬いてしまっておりました。申し訳ございませんっ」
はっきりと妬いてしまっていた、と言われたがアナスタシアの反応は怒るどころか顔を赤らめて俯き加減になってしまっていた。
(わ、私とアーヴェント様はいつもそんな風に見えていたのね……嬉しいけれど……とっても恥ずかしい)
「あ、アナスタシア様?」
「あ、ああ……ごめんなさい」
ナイトが粗相をしてしまったのではないかという表情で声を掛ける。彼も顔を赤くして必死に謝っていた。そんな所が似ていると思ったアナスタシアからはクスっと笑い声が聞こえてきた。
「私達、とっても似ているのかもしれないわね。ナイト、これからは料理の説明も聞きたいから貴方さえよければ食事の時に同席してもらってもいいかしら?」
「! い、いいんですか?!」
コック帽を思わず落としてしまうほど、ナイトが動揺しながら口にする。それを見てまたクスッと笑いながらアナスタシアが返事をする。
「ええ。いいかしら……?」
「そ、それはもうっ。こ、光栄ですっ!」
「これからもよろしくね、ナイト」
「こちらこそ宜しくお願いします、アナスタシア様っ!」
二人のやりとりを見てラストも他の使用人も笑みを浮かべていた。食堂は楽し気な雰囲気に包まれていた。
数日間のうちにアナスタシアはラストの案内で屋敷内を見て周った。まだ完全に把握しているわけではないが、初日よりは屋敷の中で迷うようなことはなくなっていた。
この日の昼食はアーヴェントが不在ということで食堂にはアナスタシアの姿しかない。あとは数人の使用人達とメイド長のラストだけだ。
「今日の料理もどれも美味しいわ」
「それは良かったですっ」
ラストも他の使用人達もアナスタシアが喜んでいるのを見て微笑んでくれていた。それが更にアナスタシアを安心させてくれる。今日の昼食に並んだ料理は香草の練り込まれたパンに野菜のスープ、そしてメインディッシュは白身魚をポワレしたもので上からかけられたソースによって食感がとても良いものになっていた。
(特にこのソースが美味しい……白身魚に優しくアクセントを加えていてパンにつけて食べてもいいような適量が盛られているのね)
初日からオースティン家の料理には驚かされていたアナスタシアだったが、この数日間で気づいたことがあった。それは料理の見た目やおいしさは元より、食べる者へのきめ細かな配慮がいつでも料理一品ごとに施されている点であった。
(でも……)
ふとアナスタシアの手が止まり、俯き加減になる。お腹が一杯になったわけではない。ただ料理に関して一つだけ、どうしても気になることがあったからだ。実は未だにこの料理を作った者の顔を見たことがないことだった。
(この数日間で何度か厨房に足を運んでいて、料理人のほとんどの人達には挨拶が済んでいるけれど……料理長さんにはまだ一度も会ったことがないのよね)
―料理長ですか? あれ……さっきまで此処にいたんですけどね。
―何故か、急にジャガイモの在庫を調べに倉庫に行ってしまわれました。
毎回、何か都合が合わないようでアナスタシアは料理長にだけ会えずじまいだったのだ。
(もしかして……避けられているのかしら……でも何か粗相をした覚えはないし、そもそもまだお顔を拝見したこともないはずなのだけれど)
すっと食べる手が止まり、考え込むアナスタシアを見かねてラストが声を掛けてくれた。
「アナスタシア様、何かお気に召さないことでもありましたか?」
「あ、いえ。そうじゃないの。ちょっと気になることがあって」
「お話出来ることであれば、何なりと言ってくださいね。もし皆に聞かれたくないというのであれば他の使用人達には席を外してもらうことも出来ますよ」
ラストの言葉に他の使用人達も静かに笑顔を浮かべて頷いてくれた。その心遣いもアナスタシアにはとても嬉しいものだ。
「ありがとう。でもそんなことはないから、大丈夫よ」
そうですか、とラストは笑顔で返事をしてくれた。
(悩んでいても、ラスト達に余計な心配をかけるだけよね……ここは聞いてみた方が早いかもしれない)
「ねえ、ラスト」
「はい、なんでしょうか。アナスタシア様」
「料理長さんってどんな人なのかしら……?」
「料理長ですか? ……ああ、なるほど」
アナスタシアのその言葉と、落ち着かない態度を見てラストはピンときた様子だった。
「そういえばまだお会いしていませんでしたね」
「そうなの。いつも美味しい料理を作ってもらっているから、一度ちゃんとお礼が言いたくて」
「そういうことでしたか。なら、とっておきの方法がありますよ」
「え、何かしら」
「アナスタシア様、少しお耳を拝借させて頂きますね」
そう言うとラストはアナスタシアの近くまで歩いてくる。そして少し屈むとアナスタシアの左耳に右手をそっと添えて小さい声で何かを話す。
(え…? それで本当に料理長さんに会えるの?)
「ラスト……」
大丈夫ですよ、と言わんばかりの笑顔をラストは浮かべていた。アナスタシアは刹那、躊躇するが会いたい気持ちが強かったために顔を上げて口を開いた。
「ああ、いつ食べても料理が美味しいっ。特に今日のソースはとてもお気に入りねっ。一体どんな食材を使っているのか気になってしまうわっ」
アナスタシアはラストに教わったことを実践する。それはいつも思っていることを声を少し張り上げて口にする、というそれだけのことだった。
(いくらなんでもこれだけで、いつも都合が合わないほど忙しい料理長さんに会えるわけないわよね……)
すると背後の扉がゆっくりと開く音が聞こえた。
(え……?)
アナスタシアが食堂の扉の方に目を向けると、片方だけ空いた扉の影から白いコック服と扉に添えられた手がはみ出して見えていた。しばらく見つめていると、扉の影からそっと男性の顔が覗き、目が合った。途端にまた扉の影に隠れてしまう。といっても大きめな身体をしているようで隠れきれてはいなかった。ラストがそれを見て、クスッと笑いながら扉の方に向かって話しかける。
「ナイト、そんな所に隠れていないで出て来なさい。アナスタシア様がお聞きになりたいことがあるそうよ」
その言葉に扉から見えている体の半分と手がビクッと震える。落ちそうになるコック帽を慌てて直すとやっと扉の影から全身があらわになる。この時点で既にとても繊細な人物なのがアナスタシアにもわかった。
「も、申し訳ありません」
謝罪の言葉を口にしながら現れたのは恰幅のいい大きな身体と茶色の髪を携え、右腕には装飾の施された金の腕輪をつけた男性だった。少し傾いたコック帽がとても似合っている。
(とっても優しそうな方……料理は作った人の顔が見えるというけれど、本当なのね)
「こっちへ来てもらってもいいかしら?」
「ナイト」
「は、はい。ただいまっ」
コック帽を揺らしながらそそくさとラストの隣にナイトと呼ばれる男性が並ぶ。おどおどしている様子が屋敷に来たばかりの自分自身とよく似ているとアナスタシアは思っていた。
「ナイト、ご挨拶を」
「は、はい。初めまして、アナスタシア様。え、えっと……わ、わたくしの名前はナイトと申しますっ」
大きめの身体を小さく小さく縮こませながらナイトが挨拶する。
(なんて可愛らしい方なのかしら……こう言っては失礼よね)
「いつも美味しい料理を作ってくれてありがとう、ナイト」
アナスタシアは感謝の意味を込めて、笑顔で言葉を掛ける。
「いえ、とんでもございません。き、恐縮ですっ」
目をぎゅっとつむりながらナイトが返事をする。
「忙しいのに出てきてもらってしまって、ごめんなさい。厨房でもいつも忙しいみたいだから」
「あ……いえ、それは……」
(……?)
アナスタシアが首を傾げると、見兼ねたのかラストが口に手を添えながら語り掛ける。
「アナスタシア様、ナイトはとっても恥ずかしがり屋なんです。恐らく、アナスタシア様が来るのがわかった途端身を隠してしまっていたんですよ」
「ら、ラスト……本当のこと言わないでくださいよ。……あっ」
しまった、というバツの悪そうな顔をしながらナイトが両手を口に当てる。その様子がとても面白くて、失礼だと思ったがアナスタシアは笑みをこぼしてしまう。
「ふふっ……ごめんなさい。とっても可愛らしい方だと思ってしまって……」
「お、お褒めに預かりこ、光栄です」
顔を真っ赤にしながら俯き加減でナイトが呟く。もじもじしている所も自分と似ているとアナスタシアは心の中で思っていた。
「それにナイトは『やきもちやき』な面もあるんですよ。きっとアーヴェント様を独り占めされたと思っていたんじゃないですかね」
「ナイト、そうだったの……?」
アナスタシアが目を丸くしながら尋ねると、頭を思い切りナイトが下げる。落としそうになったコック帽はしっかりとキャッチしていた。
「す、すいませんっ。美味しく料理を召し上がってもらっているのに、その、アーヴェント様とアナスタシア様がお似合いで……お似合いだったのですけれど、その……あまりの仲の良さに妬いてしまっておりました。申し訳ございませんっ」
はっきりと妬いてしまっていた、と言われたがアナスタシアの反応は怒るどころか顔を赤らめて俯き加減になってしまっていた。
(わ、私とアーヴェント様はいつもそんな風に見えていたのね……嬉しいけれど……とっても恥ずかしい)
「あ、アナスタシア様?」
「あ、ああ……ごめんなさい」
ナイトが粗相をしてしまったのではないかという表情で声を掛ける。彼も顔を赤くして必死に謝っていた。そんな所が似ていると思ったアナスタシアからはクスっと笑い声が聞こえてきた。
「私達、とっても似ているのかもしれないわね。ナイト、これからは料理の説明も聞きたいから貴方さえよければ食事の時に同席してもらってもいいかしら?」
「! い、いいんですか?!」
コック帽を思わず落としてしまうほど、ナイトが動揺しながら口にする。それを見てまたクスッと笑いながらアナスタシアが返事をする。
「ええ。いいかしら……?」
「そ、それはもうっ。こ、光栄ですっ!」
「これからもよろしくね、ナイト」
「こちらこそ宜しくお願いします、アナスタシア様っ!」
二人のやりとりを見てラストも他の使用人も笑みを浮かべていた。食堂は楽し気な雰囲気に包まれていた。